匕首に鍔①

「いやー、光純が邪魔したで! 堪忍な!」


 元気にそう言って、力の抜けた光純をズルズル引きずっていく。そのテンションの高さに愛宕もぽかんとして、行き場のない怒りはモヤモヤと共に消えたようだ。

笑那は私用で席を外しているはず。混乱と安堵の中にいる光純は頭が回らない。笑那の顔を見れば大粒の汗が額に浮かび、ブレザーの上着はボタンが掛け違いできちんと着られていなかった。


 何か見つけて、急いで飛んできてくれたのだろう。そう気付いて光純は、目頭が熱くなった。



「ちょっとは落ち着いたか?」

「……うん」


 屋上。平日は開放型のため、生徒は好きに昼食を摂ったり放課後には談話していたりする。いまは昼休み終了の鐘が鳴って少し経った後だ。笑那と光純を見て、ここを最後に出ていく生徒は怪訝そうな顔を見せたが、それもいまのような状況なら先生に告げ口などすることもないだろう。


 暑いが爽やかな風が二人の間を駆け抜ける。


「光純、まだ情報が足りん。結論を出すのは……早いと思うんや」

「うん……分かってる。でも……」


 備え付けの白いベンチに座って二人は静かに会話する。この学院は何でも白い。そんなことをぼんやりと考えて、ほんのり現実逃避しながら光純はぽつりと語った。


「どうして。次から次へと、こんなことが起こるんだろうって……」

「不安になったんか?」

「ううん、違う、と思う」

「せやったら、怖い?」

「それも、少し違う気がする」


 笑那の問いかけに光純は首を振って否定する。友人との会話は、まるで自分の心をつまびらかにしている時間のようだ。逃げ出した心を落ち着かせて、もっと深いところまで潜ってみる。


「やったら、責任か?」


 その単語に、光純の指が反応した。


「そうかも、しれない」

「そうかぁ。兄妹似た者同士やな」


 にひひと困ったように笑い、笑那はおもむろに立ち上がった。両手を広げて、屋上に流れる風を身体中に浴びる。それはまるで、自由を象徴しているようだった。


「何にも悪いことない! あんな事件が起こったのは、光純のせいやない!」


 そうして向き直って、今度は真剣な表情になって笑那は続けた。


「巻き込んだのはウチや。ひとりで責任を感じることはない。光純、あんたもウチも女子高生や! それ以下でも、それ以上でもない!」

「笑那……」


 等身大で、自分たちにできることを。自分たちにしかできないことを。


「それに、光純が言ったんやで? 約束やったんやろ? 止める立場が逆に止められてどないすんねんっ!」


 それは、つい先日自分が誓った思い。


 ――友達だから、力を貸す。いけない方向に向かいそうなら、いつだって、私が笑那を止める。


「ウチのことちゃんと止めてくれな、約束守れんやろ?」

「そうだった、ね。ごめん」

「謝らんでええって」

「そうだね、お互い様だもんね!」


 言って、しばらく笑い合う。いつもの流れを、少し変えて。思考をリセットして。視野を広げて。


「……ありがとう。もう一度整理してみる。それと、ちょっと気になる話。笑わないで聞いてくれる?」


 光純は笑那に『王子の呪い』のことを話した。そんなあほな、との言葉が聞こえそうだったが、笑那は真剣に聞いてくれていた。情報が少ないが、裏取りの余地はあると判断し笑那は手帳に事柄を書き記していた。


 今度は笑那のターンだ。


「そうそう。フェンシングクラブやけどな、案外すんなり見つかったんや」

「そうなの?」

「王子のことやから遠いとこでも行っとるんかと思ったが……、駅前の寂れたスポーツクラブやった」


 この学院から徒歩で十五分程度。栄えすぎず栄えなさすぎずの駅前には、新しいカフェも古い古物商も雑然としている。笑那は携帯で地図を出して、とあるビルの一角にピンを打つ。


「え、本当にここ……?」


 小さなビルだ。外壁も所々剝がれている。ストリートビューで見ると確かに『英吉えいきちスポーツクラブ』とガラスにビニールテープで示されている。その下には小さいがフェンシングの文字もあった。が、かの学園の王子が、このようなくたびれた場所に足を運ぶだろうか。


「ウチもこの目と耳を疑ったけどな。灯台下暗しと言うか、木を隠すなら森の中と言うか……。とにかく、話し聞く手筈は整えて来たで、さっそく行くとしよか」

「えっ、いまから!?」

「善は急げやで!」

「急がば回れだよ! わわっ!?」


 考える暇も与えてくれず、笑那は光純の手を引っ張る。勢いあまって上履きが突っかかり、屋上の床に倒れ込んでしまった。コンクリートではなく塩ビシートが敷かれているのでまだケガはないが、まともに受け身を取れなかったので地面に張り付いたようになってしまう。


「わ、悪い……!」

「もー、気をつけてよね! ……あれ?」


 苦笑いを浮かべる笑那を頬を膨らませて咎める。差し伸べてくれる手を取って立ち上がろうとした、そのときだ。


「なんだろ、あれ?」


 向かいのベンチの影に何かが落ちていた。光純が近づいて拾い上げる。


 小さな、白い箱だった。金のリボンが巻いてある。掌サイズよりもう一回り小さいそれはまるで、結婚指輪が入っているようなケースを思わせた。開けてみると、紙が詰められており、数輪の小さな白い花弁が入っている。


 上品で可憐な香りがふわりと流れて、ベルのような形を思わせる花――スズランだ。

 中央にはくぼみが作られており、指輪よろしく何かが入りそうでもあった。


「香水……? 匂い袋でもしまってた、のかな?」

「あっ、そろそろ出んと! 待ち合わせ遅れてまう!」

「えっ、そんなギリギリなの!? 早く言ってよ!」


 誰かの落とし物かもと思い、光純はその小箱をスカートのポケットにしまって、急いで出かける支度をする。教室に入ってもやはりいまだに先生はおらず、連日の自習で痺れを切らしたのか生徒たちもお喋りに花を咲かせていた。よって、そそくさとカバンを抱えて出ていく光純にも誰も気付かなかった。


「おっ、出て来たな。ちょっと速足で頼むわ」


 正面玄関をこそこそ出て来た光純を見つけて、笑那は右手を挙げる。ばつが悪い表情を携えて光純が近くに寄ってきた。


「こんな時間から学院を抜け出すなんて。……不良っぽい」

「そんな固いこと言わんと。ちょっと早い放課後や! 茶でもしばきに行くで!」

「……笑那って本当に女子高生なのか疑うときある」

「なんやて!?」


 足はせかせかと動かしながら、同級生と軽い漫才をして学院を後にする。歩き出して数十メートルほど過ぎれば罪悪感も不思議と薄れていった。


「せや、いまから会う人やねんけど。これまでの情報から一番条件と合致しそうなモンに話付けてきたから。慎重にな? まだ分からんけど、話聞くだけでも役には立つと思うで」

「分かった。ありがとう」


 寂れた英吉スポーツクラブの経営者は愛川あいかわ 英吉と言う。建物と同じくくたびれた中年男性だが教える腕は良く、フェンシングの他にボクシングやテコンドーなど多岐に渡るメニューをこまごまやっていた。門下生は多くないので習得できる種類を増やしたようだ。


 そんな英吉には一人息子がいる。名を英晴ひではると言った。歳は瑠樺と同じく高校三年生で、聖メアリー女学院と同じ地区のとある男子校に通っている。通っているとは言ってもほぼサボっている状態だ。


「えっ、男子……? 聞いてない」

「そら初めて言うたしな。ウチかてさっきうたばっかや。着いたで」


 家族以外の男性とあまり接点がない光純とは違って、幼いころから実家の工場を闊歩していた笑那はケロッとしている。不良上がりで力の強い男は昔から見慣れているのだろう。うろたえる友人を横に、笑那はスポーツクラブの細い扉を開けた。


 破裂音。途端、少女たちの耳に飛び込んできたのは、ボクシンググローブと肉体が弾ける音だった。次いで二人の男の内、一人が体勢を崩す。リングの上に背中から倒れ込み、その勢いで床が揺れ何度か跳ねていた。俗にいうノックアウトというやつだろうか。


 施設の八割を占めるリングは中央にあり、天井が低いのも相まって圧迫感を感じる。汗と熱気が充満し、まるでけぶっているようだった。


「あ? なんだ、さっきの関西弁じゃねぇか」


 光純が呆気に取られていると、まだリングに立っている人物が扉が開いた音に反応し目を向けてくる。笑那とはすでに会って喋っているのか顔見知りのようだった。ハーフアップの金髪にピアスを開けた出で立ちは、いかにも不良らしい。とても知り合いとは思えないが、笑那は軽口を叩いて対応した。


「愛川先輩! 女の子一人増やしてナンパしに来ましたで」

「えっ!?」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたが、英晴は特に気にしていないようだ。けらけら笑って受け流している。


「ははっ、ほんとに来たのかよ。しかもちょうど俺がスパーリング終える時間に」


 グローブを脱いでロープを潜った。汗を拭きながら片づけを始める。英晴も同じく軽口を叩いて少女の傍に寄った。


「んじゃま、俺も紳士としてツラ貸してやるか」

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