『思案投げ首』①
校舎の二階、綺羅組教室内。
教室の先頭にはいまだ『自習』の文字が掲げられている。消す暇もなければ、生徒を帰している暇もないのだろう。斜陽が射す窓側の後ろ二席に少女二人は座っていた。前に座る笑那は大股で椅子にまたがって、後ろにいる光純の方を向いている。一つの机に大判の教科書を立てて、周りからはできるだけ見えないようにデジカメの記録を見ていた。
七月。日曜日。該当の日時。
午前中は演劇部の稽古が記載されている。時間もいままでの証言と相違なく、朝七時半から午後一時まで。その後は。
「『アイちゃん……?』」
くすんだ濃い青色で、名前だけが書かれていた。その他、時間はおろか場所さえも書かれていない。その文字だけが色付きで明記されていて、異様に浮いていた。
「あ」やがて思い出したように笑那が考えを口にする。「あれ違うか? 王子の、『離れてはいけない人』?」
胡桃が言っていた、王子を拘束する存在。彼女の言葉が本当なら、この人物がそうなのだろうか。もっと手がかりはないかと別の日を見てみたところ、『アイちゃん』の名前はちらほら見つかった。
「結構な頻度で会ってるね?」
「日曜日はほぼ毎週やな」
たまに抜けはあるものの、瑠樺と『アイちゃん』なる人物の逢瀬は何度も繰り返し行われていた。それも決まって時間や場所の表記がない、青系の文字で書かれている。
「王子の、特別なファンとか……実はパートナーやろか? そんな話聞いとらんで!? 特ダネ逃してもうてるやん!」
「笑那……。まぁ、そんなことより」
「そんなことて何やねん!」
光純が呆れて話から置いておこうとして、笑那は急いで話に飛び乗ってきた。ひそひそと話をしているつもりでも時折ちらりと投げられる視線が痛い。朝は教室内もピリピリしていたが、もうこのような時間まで来るとさすがの淑女たちもだらけてきている。注意されるかとも思ったが、誰一人としてこちらに干渉はしてこなかった。
「まぁやけど、また話聞いてみる必要はあるかもな。関りがないと思っとったことでも、広い目で見なあかんな……」
いままで直接事件と関りのありそうな事柄を訊いて回っていた。今度はこの謎の人物に心当たりはないか再度総当たりを繰り返さなければならない。二度手間に感じているのか、笑那は口をへの字に曲げ頭を掻いていた。
「そう言ったって、あのときは何の手がかりもなかったし。仕方ないよ。じゃ、そろそろ行こうか」
笑那は少し何か言いたげだったが、結局何も言わずに終わった。もうすぐ帰宅時間だ。黙々と複数の手帳を鞄に片付けたり、スカートのポケットにしまったりしている。カメラはいつでもシャッターが取れるように首に引っ提げて、下校のチャイムが鳴ると同時に正面玄関に向かった。
帰宅するためではない。帰宅途中の演劇部に、話を聞くためだ。やがてちらほらと一年生も三年生も、暗い顔をして元気なく歩いてくる。演者、照明、音響、舞台メイク、衣装。と、様々な担当が存在する。その全てに声を掛け、話を聞こうとするもいまはあまり聞く耳を持つ者はいなかった。
途中、衣装担当の友梨と再開し、彼女からはかろうじて話を聞くことに成功した。青ざめた顔で光純たちのほうに寄ってくる。震える声で思考を纏めようと努めていた。
「まさか先生が……こんなことがあるなんて……」
「それなんだけど。実はまだ引っかかるところがあって」
「……引っかかるところ?」
「そう。あの日、鳳先輩は演劇部の練習の後、誰かと会っていたみたいで。先輩が『アイちゃん』って呼ぶ人、知らない?」
それを聞いて友梨はうーんと唸っていたが、やがて申し訳なさそうに小さく首を横に振った。
「心当たりは、ないわ。ごめんね。あ……でも、もしかしたら、大道具担当の人とか最後に出るし、練習の後、瑠樺先輩がどこに向かったとか知ってる、かも?」
確証はないが、と念を押し、何とかアイデアを絞り出してくれた。急なことのうえ、友梨自身もいまは考えることで精いっぱいだろうに頭を捻ってこちらに手助けをくれる。その気持ちを受け取って光純は、どのようなことがあっても絶対に突き止めなければと腹に決める。
「あっ、
そのようなことを話していると、友梨が誰か見つけたようだ。寥と呼ばれた女生徒は、こちらを一瞥しピリピリした雰囲気を纏わせてさっさと去っていく。太めの黒縁眼鏡を着用し、二つのおさげを揺らして速足で通り過ぎて行った。
「あ……。あ、えっと、いまのは大道具担当の先輩の一人でね。いつもあんな感じなんだけど……。一応何か知ってないかと、思ったんだけど」
先輩だから呼び止めることもできず、そのまま正面玄関を出ていくのを見送った。
「あっ、まあでも、その。こう言っては悪いんだけど、寥先輩は大道具でも特に役職が決まっているわけでもないし、最後まで残るような人じゃないから、もしかしたら知らないかも! 期待させて、ごめんね」
こちらが逆に申し訳なくなるほど友梨はペコペコと何度も謝る。このままでは別れられないと思ったのか、キョロキョロと周りを見渡し、今度はちゃんとした先輩を見つけたようだった。
「あっ、あの、
今度は愛宕と呼ばれた生徒が友梨を発見し、次いで光純、笑那と順番に目を追ってその集団を確認する。一瞬嫌そうな表情を見せたが、
「どうしたの?」
と声を掛けてくれた。寥とは違ってこちらはまだ会話ができそうだった。どこかで見た顔だと思ったら、寮の前で胡桃と口論を繰り広げていた女子だ。大道具担当だからなのか、制服の上からでも薄い筋肉が付いていることが分かる。
「その、光純ちゃんたちが……」
この会話の続きは自分たちが話すべきだ。ちらりと投げられた友梨の視線をもらって、光純と笑那が質問する。
「『アイちゃん』……? 何それ、知らないわよ? というか、瑠樺さまにそんな人がいるっていうのも聞いたことない。見間違いなんじゃないの?」
気性が荒い性格なのか、ズバズバ物を言う。自分の信じたものしか信じないタイプのように感じた。特に今日はエレナが連行されたこともあってか、言葉の棘が多い。
こちらも証拠はあるのだが、この二人以外に写真を見せたら今度は何を言われるか分からないので黙っていることにした。少しばかり下手に出て、気持ちよく証言を引き出す。
「でも確かに、そう書いてあったと思うんですよね。大道具担当でしっかり者の愛宕先輩なら、何かご存じかと思ったのですが。鳳先輩に一番近い場所にいたんじゃないか、ってことも噂で聞きまして。日曜日の『アイちゃん』の存在に、何か心当たりはないですか……?」
「ようそんなおべんちゃらを……。いいえ、何でもありませんで!?」
呆れた笑那がつい本音を漏らして愛宕に睨まれるが、笑那より光純の言葉を信じたようだ。普段の行いの成果である。あることないこと書くと思われている笑那より、一見まじめで警察関係の光純が嘘を吐くはずがないと思ったのだ。
「まあ? 大道具の統括って立場もあるし? 瑠樺さまとは近いポジションにいたと思うわ? そんじゃそこらの平部員とは訳が違うの」
愛宕は自慢げに胸を張って、誇りをもって答えてくれた。しかし思い当たる節がなく、言いにくそうに渋い顔をしながら教えてくれる。
「でも、そうね……。いくら瑠樺さまと近い場所にいるこの私でも、そんな人、聞いたことない……。うーん、でも日曜日、だったら」
そこで一回言葉を切り、脳内の記憶と相談しながら言葉を続けた。
「瑠樺さまは演劇部の練習がない日は、アクションの質を高めるために外部のフェンシングクラブに通っているはず……。そこでのことは、私は知らないわ」
「外部の……!? それは、どちらですか?」
「誰にも教えてくれないの。ファンが押し寄せちゃうからって」
「そう、ですか……」
少し気を落として、光純は返す。でもここまで情報を得られれば上出来だ。あまり引き延ばして愛宕からも詮索の手が伸びてくると対処しきれない。最後まで気持ちよく帰宅してもらおう。
「ありがとうございます! 寥先輩はお話聞いてくれそうもなかったですし、助かりました! やっぱり頼りになりますね!」
「寥……
それには愛想笑いで答え、光純と笑那はお辞儀をする。その後友梨にもお礼を言って、念のためと連絡先を交換して別れた。少し静かになって緊張が解けたところで、光純は思考の海に潜ろうとした――が、それを笑那が助け舟で救出する。
「フェンシングクラブ、か。それならウチが探してくるわ」
「え、分かるの?」
「まだ確証はないけどな。調べてくるから、明日は抜け出すわ。ちょっと待っとって」
「ぬ、抜け出すって……」
「どうせ明日も授業はないやろ? そんなことより私用が大事! はよ、解決しよな」
「……うん! あ、もし授業あったらノート取っとくね!」
「助かるわー!」
そのような会話をしながら他の演劇部員を待ったが、そそくさと学院を後にしたのかほとんど見つけられなかった。仕方なく帰寮し、本日も笑那の寮に泊めてもらう。あのような口喧嘩をしてまともに家族とは顔を見合わせられない。光純は定期連絡のように母に断りを入れ、すぐに携帯をポケットに入れた。あまり不都合なことは見たくない。
帰り道。思いのほか穏やかな会話を続けながら夕闇の中を進む。これからどうなっていくのか、もちろん不安もある。けれど一瞬でも、少しでもその不安を忘れて、少女たちは前に進んでいった。
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