第2話


「司馬の大将と何を長々と話してたのよ」


 やって来た郭嘉かくかに、賈詡かくが不審そうな目を向けた。


「馬鹿じゃないのかって言われちゃったよ」

「なに提案したんだよ……」


 賈詡は口元を引きつらせる。


「聞きたい? 賈詡絶対聞いたら怒るよ」

「分かるなら言うな」

「うん。じゃあ言わないことにしよう」

 郭嘉が馬に跨がる。

 軍が動き始めた。

「今、ぽつって来たね。貴方の言った通りだ」

「……」


「そうだよね。普通必死で祁山きざんの麓に私達が入るの止めに来るはずだよね。

 だってこれで祁山を孤立させなかったら、北への退避路を失うよ? あの人達。

 もしかして内部分裂して蜀軍に合流したいと思ってる人たちがいるのかな?」


「……。」


「だったら襲撃はないね。今頃各々で南へ向かってるはずだ。北の平地を目指している私達には全く興味はないよ。

 良かったね、賈詡。今日はゆっくり寝れるかもよ。

 きみ昨日寝言で『寝させろよこの野郎』って呟いてた」


「……なんだよ……気になるだろ。言えよ、怒らんから……」


「本当に聞きたい?」


「俺で遊ぶんじゃねえよ! 総指揮官様だぞこの野郎副官!」


 郭嘉が楽しそうに笑った。


「いや、貴方の言った『北の恐ろしい悪魔』も見てみたいけど、南もちょっと見てきたいなあって言ったら」


定軍山ていぐんざんか?」


「定軍山より南」


「蜀の漢寿かんじゅなら、いちいちお前が行くまでもないだろ……斥候で十分だ。

動きはあるだろうが、お前自身今全部話して予想出来るだろ。なら別にいちいち見に行かなくたって……」


「漢寿よりもっと南に行きたいなあ」


「……。つまり敵の目につかないように少人数で潜り込んで成都せいと付近まで見に行きたいって言ってんの? 馬鹿じゃないのかお前」


「誰に向かって馬鹿とか言ってるのかな貴方たちは。百年早いよ。賈詡」


 郭嘉は柔らかく微笑んだ。


「戦略的に涼州騎馬隊が出て来たわけじゃないからね。賈詡だってこんなに簡単に北を取れると思ってなかったでしょ?」


「そらまあ……そうだ。韓遂かんすいの動き次第ではあったが、奴を説得出来るような気はあったからな。ある程度涼州騎馬隊の数は絞れただろうとは最初から思ってたから……」


「じゃあ方法は違ったけど、結果は想定内にあるわけだよね」


「まあな。ただ涼州じゃ結果が想定内にあっても過程が謎だと俺は気になるんだよ。

 そういうとこだ。涼州が特別なのは。そこが謎だと、立てる戦略上、確固たる根拠がないから常に不安が伴う。

 俺はあんたほど豪気じゃないんでね。何でも細かく確実にやりたい質なんだ」


「でもさすがにもう龐徳ほうとく軍の先鋒より大規模な騎馬隊は北には残ってないよ。それは確かだ」


「それはそうだがな。けど先生、涼州には涼州騎馬隊だけがいるんじゃないってこと忘れてないかい?」


「?」


「俺からするとな。涼州騎馬隊にまだ入ってない途上の小僧とか、涼州騎馬隊の旦那を持つ妻、息子を持つ母、そういうのも全部涼州騎馬隊の一味に入ってんだよ。

 戦えるのは奴らだけじゃない。侵略軍に対する反骨の精神みたいなものは涼州の人間は共通で持ってる。

 南で涼州騎馬隊の前線が突破されたからって、軍で迫れば恐れ戦いて村落が簡単に降伏するとか思ってると後悔するぞ」


「……。後続の軍を全滅させたあと、貴方はどのくらい北方ほっぽうが保つと思ってるの?」


 賈詡かくは瞬きをした。


「いま……声に棘が混じったけど」

「どのくらい保たせるつもり?」


 郭嘉が自分の首筋のあたりを撫でる仕草をした。

 賈詡の記憶にあまりない、非常に珍しい、目を引く仕草だった。


 荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆうや曹操ならば「あれは郭嘉が怒った時にそれを誤魔化す仕草だ」とでも言って笑うのだろうが、賈詡は見たことが無かったので判断がつかなかった。


「貴方が涼州騎馬隊は油断ならない相手だと思うのはよく分かる。

警戒するのも当然の戦いぶりも見た。

迎撃態勢十分だった張遼軍を平地で突破して来たんだからね。

だけど魏軍はより素早く、効率よく、的確に涼州を制圧するために貴方を総指揮官に選んだ。それこそ、戦を長引かせる為じゃない」


「怒ってんの? ……珍しいね」


 賈詡が小さく鼻で笑うと、郭嘉が足を伸ばし、隣の賈詡の馬の尻の辺りを蹴って来た。

 馬が驚いて少し立ち上がったが、賈詡はすかさず手綱を強く引っ張る。


「二度と涼州の女子供まで怖いなんて泣き言聞かせないでよ」


 郭嘉は前を向くと、馬に合図を入れて走り出していった。


「本当に怒っちゃったよ。可愛いもんだね」


 賈詡は笑った。

 二人の会話を聞きながら控えていた副官が馬を寄せて来る。


「……しかし実際のところ、韓遂かんすいはどこにいるのでしょう? 金城きんじょうの本拠地にいるのでしょうか?」


「ん? 韓遂か。……そうだったな」


 郭嘉かくかは韓遂という名前すら出さなかった。

 普通の人間は、確かにまずそこを気にするのものだ。

 郭嘉は並の人間より遙か先の動きを捉えている為、賈詡のように地固めばかり気にされると、癇に障るのだと思う。

 飛び立とうとしているのに、恐らく足を取られてるような気分になるのだ。


 しかし賈詡は涼州騎馬隊を失っても、涼州支配が容易いなどとは、どうしても思えなかった。 

 これは今も考えが変わっていない。

 郭嘉は涼州への想いだと指摘したが、それは違うと賈詡は断言出来る。


(別にこんな場所、ちっとも郷愁なんか覚えやしない)


 郭嘉がああいう感情を自分に見せるのは非常に珍しかった。

 つまりそれほど、違和感の無い場所に自分を置いていたのだろう。

 ああいう「ズレ」が続けば、恐らく郭嘉はどんどん口を閉ざしていくに違いない。

 

 ということは勝手な行動がまた増えて来る。


(あの様子じゃ司馬懿しばいは郭嘉の提案に肯定的だな。郭嘉の中じゃ気になる欲は南に天秤が傾いてる。南に派遣してやるべきなんだろうが……)


 李典りてん楽進がくしんを動かすなら、動かせる手勢が増える。

 賈詡の頭に郭嘉の護衛をさせるなら、と徐庶じょしょ陸議りくぎの姿が浮かんだ。


(あの二人かなあ……。しかし気の優しい組み合わせだからなあ。郭嘉と組ませると苦労させることになるぞ……)


 陸伯言りくはくげんは馬術、剣術なかなかなのは確認したが――とそこまで考え、ふと賈詡は思い出す。


(徐庶は山も馬術もなかなかやるのは分かったんだが……あいつそういえば剣の方はどのくらいの腕前なんだろうな?)


忙しすぎてそれを確かめるのを忘れていた。

元々曹操が長安ちょうあんに招いて、戦場で使いたがった。

文官として呼んだのではないので、それなりには剣は使えるのだろうが、身を守れる護身術を十分に身につけているのか、それとも高官の護衛を任せて敵に囲まれても守り抜けるほどの腕前なのか、それは随分違う領域のものだ。


 ただ涼州遠征に出発してから、涼州に入ってからも、特別徐庶から剣に対する自信のなさで緊張したり狼狽えたりしている様子は受けないので、とりあえず全く考えることしか出来ないような腕前ではないのだろうが、かといって、とてもあの物静かそうな男が武官ともやりえる剣豪だとはとても思えないので、まあ模範的な護身術程度という所だろう。 

 剣の腕ではもしかしたら、陸伯言りくはくげんの方が徐元直じょげんちょくを上回るのかもしれない。



(まあそれもちょっとよく考えると意外なことではあるけどな)



 遠ざかっていく郭嘉の後ろ姿を眺めた。

 あいつの単独行動はどうも見てて心臓に悪い。

 曹操や司馬懿はそういう躊躇いが全くないようなのが、自分との格の違いのような気がするから若干腹が立つ。


 不意にああやって一人で駆け出して行く。


 見てて面白いなというより……。




(二度と戻って来なそうなんだよ、あの後ろ姿)





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