6題目.重ねる

「失礼します。お風呂の支度が出来ました」

 沙那江に呼ばれ、花代は離れの風呂に案内された。浴槽こそは木桶だったが、脱衣場に併設されたトイレを含め、水回りの設備はやや古めかしいが現代的なものであることに、花代は内心ほっと胸を撫で下ろした。

 湯槽ゆぶねに浸かり考える。建物の中はとても広く感じた。外から見た時の印象からはにわかに信じがたいほどに。まるで夢か幻かみたい……。花代は頬をつねってみたが、ごく当たり前のように痛みを感じたので溜め息をついて指を離した。その溜め息は立ち上る湯けむりと重なってまじり、山の夜の空気に飲み込まれていった。

 湯上がりに、沙那江から「私の着たものですみませんが」と渡されていた、白地に藍染めの浴衣を着る。


 来た道を辿って部屋に戻ると、程無くして襖の向こうから声がかけられた。見計らったようなタイミング。

「御食事をお持ちしました」

 そして沙那江が盆を持って現れる。花代の前に出されたのは、肉も魚も使われていない精進料理だった。

「召し上がられましたら、どうぞそのまま廊下に置いておいてください」

 食事終わり、言われた通り盆を部屋の外に出す。その折に花代は廊下の左右を見渡してみた。やはり不思議なほど広く感じる。建築の技なのか、それとも……。

 襖を閉め振り返る。敷かれた布団。その脇に自分のリュックと畳んだ洋服。花代はそれをじっと見やった。




 庵の最奥。ピタリと閉じられた障子戸の奥に、更に黒い御簾の降ろされた部屋。

「御食事をお持ちしました」

 そう声をかける沙那江。しかしその手には何もない。

 戸を開いてまたピタリと閉じ、黒い御簾の向こう側へ。途端、男の影が身を起こし、女の影を引き倒した。二つの影が重なる。それが御簾と障子、二つの隔たりを通して透けて映るが、それを見る者は誰もいない。

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