27 さようなら私

 場所:?

 語り:鏡花澪

 *************



 この学校には幽霊がいる。一年のころから、私はそれに気づいていた。旧校舎の裏、三階北の窓を見あげると、白い影が揺れている。



――去年自殺した雨宮詩織先輩か。一度話してみたかったな。


――そうすれば、一緒に死ねたかもしれないのに。



 夏でもずっと長袖で、シャツのボタンもいちばん上までとめている私。その手首や胸元には、自分で自分につけてしまった、いくつもの傷跡が残っている。



――きっと、詩織先輩なら、私の気持ちを理解してくれるよね。



 ヒリヒリと痛む傷を押さえて、私は大きなため息をついた。


 兄だけを可愛がるお母さんと、見て見ぬふりのお父さん。そして、どこまでもわがままで、意地悪な兄。


 子供のころ、私はいつも、大声をあげて泣いていた。



――なんで私ばっかり我慢させられるの!?


――お兄ちゃんのせいなのに! どうして私が怒られるの!?


――お願い、だれか! 悪いのはお兄ちゃんだって言って!


――間違えたこと、私にちゃんと謝ってよ!



 そんな気持ちを言葉にできずに、声が枯れるまで泣き叫んだ。


 兄はずる賢くて、いつも自分のやらかしを私になすりつけてくる。


 親に頼まれた家事や雑用も、全部私に押し付けておいて、自分がやったようなことを言う。


 大事にしてた文具もぬいぐるみも、壊したのは兄なのに、なぜか私が怒られた。


 文句を言うと殴られて、身体のあちこちに痣が残った。


 それでも母は、兄にはなにも言わなかった。私の泣き声に耳を塞いで、「静かにしなさい」と怒るだけだった。



――どうして私が怒られるの?



 年下だから。妹だから。女だから。泣くとうるさいから。怒られて、我慢させられるのはいつも私。


 理不尽で、腹立たしくて、悔しくて、悲しくて、痛くて、どうしようもなくて……。


 泣いて、泣いて、泣き叫んで、うるさいと怒られてまた泣いて。


 涙が枯れるまで泣き続けて、私は『愛されていない』のだと悟った。


 どうして私だけ、こんなにも愛されないんだろう。


 私の方が優しいのに。私の方が賢いのに。私の方が頑張ってるのに。



――ねえ見て、お母さん!


 お願い、ちゃんと私を見て!


 私はそんな、バカで意地悪なお兄ちゃんよりいい子だよ!


 テストもいつも頑張ってるし、掃除も片付けもやったんだよ!


 お友達にも優しくして、いつも『ありがとう』って言われてるよ!


 先生も褒めてくれたし、賞状だってもらったよ!


 ねえ知ってる? お母さん。


 お兄ちゃんは友だちをいじめて、その子からものを取り上げてるよ。


 お店に入ったときだって、こっそりお菓子を盗んでるよ。



――ねえ、お母さん。


 私がどんなにいい子になっても、お母さんは私を見てくれない。


 あの意地悪なお兄ちゃんがそんなに大事?


 もっともっと勉強したら、私がもっと頑張ったら、私の方がいい子供だって、あなたは気づいてくれるのかな?


 成績がいちばんになったら、たとえお母さんに愛されなくても、私は自分を誇れるかな。


 ずっと、ずっと、信じてた。


 いい子になれば、いつか愛してもらえるって。


 でもね、もう、最近は……。


 頑張るのがすごく疲れてきちゃった。



――ねぇ? 私の大好きなお母さん。



 もし、私が自殺したら、お母さんは涙を流してくれる?


 娘を愛せなかったことを、後悔して泣いてくれるのかな?


 そんな想像ばかりを、私は何度も繰り返してきた。


 諦めたはずの愛がほしくて。自分の価値を確かめたくて。


 何度も何度も、自分の体を傷つけた。手首を切って。首を吊ることも、飛び降りることも考えた。


 校舎の三階、窓から身を乗り出して。あの浮遊感を楽しんで。


 だけど結局、私は死に切れなかったんだ。



――雨宮先輩。本当に死ぬなんて、すごいです。


――どうすれば本当に死ねるんですか?


――死んだあと、お母さんが泣く姿を見れますか?



 そんなことを聞きたくて、高一の夏、私は旧校舎の幽霊、雨宮詩織に会いに行った。


 それなのに、



「死ぬことなんてないよ」



 彼女は優しい声でそう言って、私を励まそうとした。



――なんだ……。つまらない。


――そんな言葉が聞きたかったわけじゃないのに。


――どうしたら思い切って死ねるのか、私はそれが知りたいのに。



 本当にガッカリした。もう二度と来ないと思った。


 だけど、気が付くと、私は旧校舎に通うようになっていた。



『家族を悲しませてしまったこと、いまではすごく後悔してるの』


『大切な妹が、悲しむ姿は見たくなかった』



 詩織先輩は嘆き続ける。


 死ねばすっきりすると思ってたけど、実際に死んだ人のその後を見ると、意外とそうではないらしい。


 死んでも苦しみは消えないのだと、彼女は私に教えてくれた。


 お母さんの愛は、たぶん一生得られない。


 それでもいまは、私の話に耳を傾けてくれる人がいる。


 私の孤独に寄り添ってくれる、唯一の存在がここにいる。




 私は死ぬのを思いとどまり、高校一年の一学期の期末テストで、なんと学年一位をとることができた。


 すると、あのお母さんが、初めて褒めてくれたんだ。



「澪だけでも優秀で助かるよ。お兄ちゃんなんて、本当に手に負えないんだから」



 その言葉が、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。


 本当に息ができないくらい嬉しくて。



――生きててよかった。



 生まれて初めて、心の底からそう思えた。


 それからの私は、毎回一位を取れるように頑張ってきた。


 朝から晩まで勉強漬けの毎日。休み時間さえ無駄にせず、一心不乱に努力した。


 それなのに、高二最初の中間テストで、私は白鷺司に負けてしまった。


 白鷺司。めったなことでは感情を見せず、壊れたロボットのように勉強するだけの、面白みのかけらもない男。


 そんな相手に、私は負けた。


 なんの感慨もないかのような彼の表情は、私の努力を嘲笑うかのようで。


 だから罠にかけてやったの。邪魔するやつは許さない。


 私はお母さんの、優秀な娘。そうでなくちゃいけないの。


 それだけが、私が生まれて初めて得た、唯一つの価値だから。


 そこに立っていたのは、もう以前の私じゃない。


 優しくて、哀れな私とはさようならよ。


 いい子の仮面の内側に、真っ黒な感情が渦巻いて……。



「大丈夫だよ、澪ちゃん」


「譲れない気持ち、私にもよくわかるから」



 詩織先輩は、私の弱さや醜さを見ても、責めようとはしなかった。


 だって、口では優しい言葉を言っていても、その心の中は憎しみでいっぱい。


 彼女は私と同じなのだ。


 怒りや哀しみが、死んでも消えずに残ってる。


 踏みにじられた、痛みと苦しみ。


 だれにも言えなかった孤独と、届かなかった心の叫び……。


 そんな詩織先輩は、自分をいじめた生徒たちに復讐をしたいんだって。



「転校してきた妹に、私の復讐を見せてあげるの」



 ほらね? やっぱり。


 詩織先輩は私と同じ。心の中は、憎しみでいっぱい。


 だけどもう、私たちは黙って耐えるだけじゃない。


 私がここまで前向きになれたのは、詩織先輩のおかげだから。


 旧校舎から出られない先輩の代わりに、私が復讐を果たしてあげるね!


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