後編

19 学級崩壊

 場所:陽葵の家

 語り:遠野陽葵

 *************



 昨日も結局、黎真は帰ってこなかった。


「もうこれは、警察に言ったほうがいいのかも!?」なんて、家族でちょっと相談してたら、黎真から電話がかかってきた。



「あ、姉ちゃん? おれおれ」


「はぁ!? 黎真? 私が今日、どれだけあんたの心配したか……」


「今日も友達んち泊まるって、母ちゃんに言っといて~」


「こら! バカ言ってないで帰ってきなさ……」プツッ



 そんな黎真の声を聞くと、安心するやら呆れるやら。


 なんだか急に、疲れがどっと押し寄せてきて。テスト勉強もそこそこに、気が付くと遅刻ギリギリまで、ぐっすり眠ってしまっていた。



      △



「ごめん! 璃人」


「まぁ、昨日は疲れたよな。でも、ちょっと急がないと」



 待っていてくれた璃人に謝りながら、ダッシュで学校に向かう。


 息を切らせて教室に入ると、すぐにチャイムが鳴り響いた。


 黎真が登校してきてるか、ほんとは確認したかったけど、ぜんぜんそんな時間もない。


 そして、今朝のホームルームは、昨日よりさらにたいへんだった。


 鏑木君と二ノ宮さんまで、あの体調不良でお休みしてて……。


 みんなが不安そうに顔を見合わせて、どこか落ち着かない雰囲気。


 そんな中、神城さんの声が教室中に響き渡った。それは、いままで一度も、聞いたことがないような大声で。



「先生! あの悪魔を学校から追い出してください!」



 彼女が指さしたのは、教室のいちばん後ろに座ってる雨宮詩音さんだった。


 神城さんは、泣きすぎてパンパンに腫れた目で、顔も真っ赤に火照っている。


 昨日まであんなに完璧だった彼女が、こんなふうに怒鳴るなんて。


 だけどそれも、ムリはないと思う。


 彼女のグループの子たちが、昨日だけで三人も、あの体調不良になったんだから……。


 神城さんの怒りをまともに受けても、詩音さんはまったく動じず、じっと彼女を見詰めている。


 その表情は、蝋人形みたいに冷たくて。なんだかいつも以上に迫力があるかも。



「あ……、雨宮さん、いくらなんでも怖すぎだよ! 昨日も、倒れた御子柴さんのそばで詩を読んでたよね!? クラスメイトなのに……。あんなの、普通じゃないよ!」


「そうだよ。お前がいつも読んでるその詩が、呪いの呪文なんじゃないのか?」



 怯えた声を出したのは、室井さんと高野君だった。この子たちはクラスのなかでも、特に怖がりなんだよね。


 高野君は、文化祭のお化け屋敷で泣きながら走り回ってたし、室井さんは、詩音さんが転校してきた日、びっくりしすぎて気絶してた。


 いまもふたりともガチガチになって、心配になるくらい顔色も悪い。



「私が姉の詩を読むことが、そんなに悪いことなんですか? あなたたちの心に、なにか後ろめたいことがあるから、この詩が呪いみたいに聞こえるんじゃないですか?」



 詩音さんは静かに言い返す。だけど、その言葉はどこまでも鋭くて、真っすぐで。ざわついていた教室が、凍りついたみたいに静まり返った。


 さっきまで声をあげていた室井さんと高野君も、うつむいて黙り込んでしまう。


 あまりに空気がピリピリして、みんな息をするのも忘れてるみたい。そんななか、別の子たちが立ちあがった。



「……二人とも! 詩音ちゃんは、お姉さんが亡くなったのが悲しくて……。ただみんなに、お姉さんのことを忘れてほしくないだけなんだよ?」


「うんうん。詩音さんは、お姉さんのことを大切に思ってるだけ! 悪魔とか呪いとかって、そんなふうに言うのは違うと思う!」


――わぁ。こんな空気のなかで、詩音さんの味方をするなんて。下手すると自分たちまで呪物扱いだよ?


――強いなぁ、二人とも……。かっこいいよ。



 詩音さんの味方をしたのは、天野さんと甲斐さんだった。


 ふたりとも、いつも静かで優しい感じがする子で。


 詩音さんが転校してきたときから、クラスに馴染めない彼女のことを、ずっと気にかけていたみたいだった。


 校内を案内してあげたり、グループ活動のときも誘ってあげたり。そんなふうに手を差し伸べるのって、きっと勇気がいることだと思う。


 ふたりの優しさって、すごくまっすぐで強いんだよね。


 だけど今日、二人が声をあげられたのは、教室に鏑木君たちがいないからかもしれない。


 御子柴望、鏑木俊、二ノ宮結芽……。


 この三人がいないことで、張り付いていた教室の空気が動きはじめて、言いたいことが言えるようになったみたい。


 神城さんは、まさか詩音さんの味方が現れるとは、思ってなかったんだと思う。


 血走った目を見開いて、プルプルと震える指先を、また詩音さんに突きつけた。



「な……。なんであんな子を庇うのよ!? 見てよ、あの不気味な笑顔! どう見たって悪魔じゃない!? みんなもそう思うでしょ!?」


「そ、そうだよ。悪魔だよ。私たちを怖がらせて、楽しんでるんだよ!」



 神城さんは瞳をうるませながら、助けを求めるように教室を見渡した。普段から彼女に憧れている女の子たちが、それに応えるように頷いている。


 その中心にいたのは、立花さんのグループの子たちだった。


 あの子たちは神城さんのグループじゃないけど、いつもおしゃれに気をつかってて。神城さんたちをお手本にして、すごく尊敬してたみたい。


 だから、ひとりぼっちになった神城さんを見て、ほんとに同情してるんだと思う。


 そのとき、また別の何人かが、顔を伏せて呻きはじめた。絞り出すような声を出したのは、青木君と坂本さんだ。



「……違う、悪魔なのは俺たちのほうだ……。雨宮さんはずっと苦しんでた……。なのに俺たちは、見て見ぬふりしてたんだ……」


「ごめんなさい、もう許して……。呪いだけは……」



――えぇ……!? 罪の告白が始まっちゃった!


――やっぱり、いじめはあったってこと!?



 あまりにもショックすぎて、頭がついていかなかった。


 青木くんたちは、一年生のときに、亡くなった詩織さんと同じクラスだったみたい。


 学校も警察も、「いじめはなかった」って言ってたのに。いま、本人たちの口から、それがひっくり返されてしまった。


 青木くんが頭をぐしゃぐしゃ掻きむしる。


 坂本さんは椅子から崩れて、床に膝をついてしまった。


 椅子の背にしがみついたまま、声にならない謝罪の言葉を、何度も何度も繰り返している。



「詩織ちゃん……。ごめんなさい……」


「……鏑木君が怖くて、断れなかった……」



 ふたりの告白に続いて、涙をこらえきれなくなった生徒たちが次々と崩れ落ちていく。



――みんな、ひどすぎるよ……。本当に反省してるの?


――もしかして、呪われるのが怖いからって、泣いてるふりしてるんじゃないよね……?



 なんだか信じられなくて、モヤモヤした気持ちになってくる。


 そのとき、立花さんのグループの子たちが、泣いている子たちに怒りをぶつけはじめた。



「ねぇ待って? なんでみんな泣いてるの? それって、麗花様たちが、本当に詩織さんをいじめて、自殺させたってことなの?」


「信じられない! クラスメイトを死ぬまで追い詰めるなんて! どうしてだれも止めなかったの!?」


「私たち、麗花様に憧れてたのに……!」



 信じていたものが崩れていく。立花さんたちは涙を浮かべながら、泣いている子たちを責め立てていく。



「最低! 人殺しのくせに、よく平気で学校こられるね!?」


「そんな言い方ないだろ! 神城の権力にあやかりたかったのは、お前らだって同じのくせに!」


「私たちは憧れてただけだもん! 人殺しと一緒にしないでよ!」


「あのときクラスが同じだったら、お前らだってやってたはずだぞ!」



 教室のあちこちから怒鳴り声が飛び交って、みんな泣きながらパニック状態。だれがなにを言ってるのか、もう全然わからないよ……?


 物を掴んで投げてる子もいるし、じっと座ってるだけなのに、なにか飛んできてケガしそう。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 また別の男子たちが立ちあがる。



「ははっ、これでもう神城は終わりだな。俺は最初から、神城たちに媚びてるやつが嫌いだったんだよ!」


「そうだ! お前ら従ってるふりして、実際は恨んでたやつも多いだろ? なぁ吉田。おまえ、御子柴に恥ずかしい記事書かれてキレてたよな? 本当はお前が毒でも盛ったんじゃないのかよ」


「はぁ? お前こそ、鏑木に彼女寝取られてキレてただろーがよ!」


「なんで俺だよ! お前だろ!?」



 とうとう教室中で乱闘騒ぎが始まってしまった。


 ちらっと高田先生を見ると、ぼんやりした顔で立ち尽くしている。


 もうどうにでもなれって感じで、先生もあきらめモードみたい……。



――もう、やだ! どうしたらいいの?



 私がギュッと目を閉じたそのとき、ガタン、と椅子の音を鳴らして、いきなり璃人が立ちあがった。



「待て! 神城!」



 その声と同時に、無言で立ち尽くしていた神城さんが、教室の外へ駆け出していくのが見えた。


 璃人はそれを追いかけようとしたけど、ケンカしてる生徒たちに邪魔されて、なかなか前に進めない。



「やばいぞあれは。取り憑かれてる」


「えぇ!?」



 オカルトなんて信じない、『理論派理系男子』の璃人の口から、まさかの言葉が飛び出してきた。


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