狂い咲く花

花車

前編

01 いけない夜に

 場所:旧校舎

 語り:?

 *************



 息が上がる。あなたと二人、手をつないで走った。


 蝉の声が響いている。じめじめした夜の空気が肌にまとわりついていた。


 背中に貼りつくシャツも気にせず、誰もいない校舎裏を駆け抜ける。


 旧校舎の扉をそっと開けると、埃っぽい匂いが鼻をついた。


 足元の床板がギシギシと音を立て、しだいに胸が高鳴ってくる。


 月明かりだけが照らす教室。どこからか入り込んだ生ぬるい風が、カーテンを微かに揺らしていた。



「うふふ。こんなにいけないことしたの初めて」


「ついでだし、もっといけないことしてみる?」



 ひび割れた窓の向こうに見えるのは、不気味なほど赤く巨大な月。天と地の境界が歪んで見える。


 まるで、世界が私を見咎めて、警告を発しているかのよう。


 でも、安全な場所にいるだけでは、本当の私は目覚めない。


 火照る頬に手を添えられ、私はあなたを見つめ返した。


 吸い寄せられるように唇を重ねて、胸の奥で花火が弾けたみたい。



――これが、初恋……?


――ちがう。これは運命ね……。


――止まっていたが動き出したの!



 舞い上がる埃の中、床に座る私たちの影が長く伸びる。静まり返った教室で、響くのは互いの鼓動の音だけ。



「さっきの傷、もう一度見せて」



 その声に私は微笑みを返した。私のシャツのボタンをはずす、あなたの指先が震えている。


 ひとつ、ふたつと脱がされて、白い谷間が露わになった。胸に浮かびあがる火傷跡に、あなたは優しく唇を這わせる。



「……すごく綺麗」


「……っ、んん」



 胸の奥で鳴り続ける鼓動が、耳鳴りのように響いてくる。だめだとわかっているからこそ、こんなにも胸が高鳴っている。


 あなたが舐めた私の罪は、どんな味がしたのかしら。


 優しい言葉を囁かれながら、私は闇に堕ちていく。声が溢れて止められない!


 体を逸らして天井を見上げると、そこに浮かんでいた白い影と目が合った。


 割れてしまった蛍光灯の向こうに、うっすらと透ける女性の顔。


 それは不気味な微笑みを浮かべながら、じっと私たちを見下ろしていた。



 *************

 場所:陽葵の家

 語り:遠野陽葵とおのひまり

 *************



「もうー! 黎真れいまったらなにしてるんだろう。全然帰ってこないじゃない」


「もう九時か。確かに遅いな」


「スマホも電源切れてるみたいで」



 一学期の期末テストが三日後に迫ったその日、私はなかなか帰ってこない弟の黎真をイライラしながら待っていた。


 外はもうすっかり暗いけど、私の部屋にはいま、幼なじみの篠原璃人しのはらりひとが来てくれている。


 成績優秀な彼に、黎真が『勉強を教えて欲しい』とお願いしたからなんだけど。


 璃人はもう三時間も、黎真の帰りを待ってくれていた。自分の勉強をしながらだけど、いまは大事な時期だけに、なんだかすごく申しわけない。


 頬を膨らませた私をよそに、静かに勉強を続ける璃人。学校中で一番かっこいいと評判のその横顔は、いつもどおり涼しげだった。



「ごめんね、待たせてるのに」


「いや。そうなるだろうと思ってたし」


「ほんとに、黎真ったら!」



 黎真はうちの弟で、ひとつ下。だれに似たのか勉強嫌いで、成績も散々。普段から友達の家を泊まり歩いて、なかなか家にも帰ってこない。


 だけど先日、『次のテストで赤点取ったら留年だ!』と、担任の先生に釘を刺されてから、少しはやる気を出しているように見えたんだけど。



――せっかく応援してあげようと思っていたのに、連絡すらよこさないなんて!



 私が大きなため息をついたそのとき、机の上で伏せていたスマホが、唐突に震えた。弟の名前がディスプレイに浮かぶ。



「あ、姉ちゃん? おれおれ。おれだけど」


「黎真!? あんたなにしてんの? こんな時間まで! いったいいまどこに……」


「あー、友達んち。かぁちゃんに今日このまま泊まるって言っといて」


「はぁ? お母さん心配してたよ? 璃人だって待ってくれてるのに」


「あ、そうだった。璃人にもごめんって言っといて」


「バカ! もう。あんたこのままじゃ、来年も二年生だよ!?」


「大丈夫だって。友達んとこで勉強するっていってるだろ。それじゃ、頼んだぜ」


「ちょっと、待ちなさい……! 黎真!?」プツッ



 慌てる私の声を無視して、黎真は通話を切ってしまった。すぐに掛けなおしてみるけれど、電源を切ったのかつながらない。


 まったく悪びれない弟の態度に、思わず頭を抱えてしまった。


 璃人は私の様子で会話の内容を察したみたい。


 教科書に視線を落としたまま、形のいい口元にうっすらと笑みを浮かべている。



「まったく……。困った弟でごめんね」


「いや、まぁ……。いつものことだろ」


「もう、友達っていったい、だれと勉強するつもりなんだろう。黎真の友達って、成績悪い子ばっかりなんだよ?」


「でも、陽葵。お前も人の心配してる場合か? ずいぶん前から、ずっと手が止まってるけど」


「あっ! やばっ……!」



 いつまでもぶつくさ言っていると、璃人に痛いところを突かれてしまった。


 思わずかたまった私を、彼の切れ長の目が捕らえる。目を見開くと、また鼻で笑われた。仕草がいちいち絵になっていてなんだか悔しい。


 だけどこうなったら、頼れるのは璃人だけなんだよね。



「璃人お願い、一時間だけ勉強付きあって!」


「じゃぁ、そろそろ英語でもやるかな」



 璃人は、開いていた数学の教科書を閉じると、英語の教科書を探しはじめた。無造作に流れる前髪が揺れる。



――いや、見惚れてる場合じゃないか。



 いくら幼なじみがイケメンでも、舞いあがっている場合じゃない。


 弟はまだ高二だけど、私たちは受験生だ。高校三年の夏なんて、気を抜いたら一瞬で終わってしまう。


 今度の期末テストには、気持ちを引き締めて挑まないと。


 焦る私とは対照的に、成績学年一位の璃人は余裕の笑みを浮かべていた。



      △



 翌朝、蒸し暑い空気のなか、前髪をなおしながら家を出ると、璃人が家の前で待っていた。


 塀にもたれ、朝の光に照らされているだけで、まるで映画のワンシーンみたい。



「早く出るから、一人で行くよって言ったのに」


「いや、陽葵がいないと俺が困る」



 いつからか璃人は、ほとんど毎日のように、私と登校するようになった。


 あらためて言うまでもなく、私たちは、ただの幼なじみなんだけど。



――まぁ、そうでもなければ、このシチュはないよね。



 篠原璃人。学年一位の頭脳と、だれもが振り返るルックスをもつ彼は、少し意地悪な口調を差し引いても、同級生にも下級生にもとにかく人気の王子様で。


 家の近所ならいざ知らず、学校へ近づけば近づくほど、通学中の女子たちの視線が、ガンガンと私に突き刺さる。


 だけど、知らない女子に付き纏われたくない彼にとって、私の存在はありがたいんだって。



――女の子に話しかけられるのが面倒って、まぁ、たいへんなのはわかるけど……。


――やっぱり私、盾代わりにされてるよね?



 かなり不満ではあるけれど、もう、いつものことだし、今さらっていう感じではある。


 家の近くの坂道を璃人と並んで歩いていると、背後からバタバタと大きな足音が聞こえた。


 その勢いに驚いて振り返ると、猛ダッシュで駆けてきたのは、私のもうひとりの幼なじみ、千堂智也せんどうともやだった。



「おーーーーーーっす! 璃人! 陽葵! っはよーっ!」


「わ、おはよ。智也」



 すれ違いざま、智也は全力で璃人の肩をバシッと叩き、そのまま坂を駆け下りていった。



「いって……。あいつ、いいかげんにしろよ……」



 璃人が叩かれた肩を抑えながら、眉間にしわを寄せている。


 細身な璃人と違って、智也は体つきががっちりしてるから、その分威力もすごそうで……。


 付きあいが長いせいか、力加減もおかまいなしだし、あの勢いで叩かれたら、多分相当痛いかも。


 璃人の肩に目を向けると、細長い紙のようなものが貼られていた。


 紙の上を滑るように、墨で描かれた複雑な模様は、なにか意味ありげな感じがする。


 智也が言うには、それは災厄から持ち主を守ってくれる、『ありがたい霊符』なんだとか。



「あのオカルト野郎……」


「あはは……」



 璃人はぼそっと文句を言いながら、肩の霊符をペリッと剥がした。その様子に、私は苦笑いを浮かべてしまう。


 智也はオカルト部の部長で、『駆け出し陰陽師』なんだって。


 御年一〇八歳のひいおじいさんが、そういう仕事をしてたみたい。


 『理系男子で理論派』って言ってる璃人と、あんまり話が合わないのは、仕方がないとは思うんだけど。



――小さいころは、もっと仲がよかったのにな。



 弟の黎真も一緒に四人で鬼ごっこをしたり、ゲームをしたり。いつも一緒に遊んでいたあのころを、私はよく覚えている。


 だけど中学に入ったころから、璃人は智也を避けるようになっていった。


 あまり目も合わさないし、智也のいる場所には行こうとしない。


 もっとも避けているのは璃人だけで、智也のほうはあの調子だけれど。



「大丈夫?」


「いや。それより、それ貸して」



 私が璃人の顔を覗き込むと、璃人の手が私の肩に伸びてきた。



※こちらに本作のイメージイラストがあります。

https://kakuyomu.jp/users/kasya_2021/news/16818792440354230343

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