第35話 鬼人族
鬼人…族……?
なんだ、この種族。
オラトリアムオンラインでは聞いたことがない。
文字的に……”鬼”なのか?
でも……。
「どうなさいましたか?」
「あっ、いや」
緋織の頭に角のようなものは見当たらない。
しかも、商人の男も”人間”って言っていた。
「あの、さ……」
「はい?」
「緋織って、人間……なの?」
「……」
その瞬間、緋織の動きが止まった。
髪の隙間から覗いた顔は、明らかに動揺している。
「あの……ご主人様は、私のステータスを今見ているんでしょうか」
「……うん」
「……私の種族は、ご主人様の見ている通りです」
「そうなんだ……。この種族について、あんまり知らないんだけど、いくつか聞いてもいい?」
「はい……」
「いや、別に話したくないならいいんだけど」
「大丈夫です……ただ、もう少し人気の無い場所に移動してもよろしいですか」
「あ、全然いいよ。じゃあ……」
もともと俺たちがいた場所も、それほど人通りは多くない。
しかし、さらに人気のない裏路地へと足を向けた。
「えっと……じゃあ、いくつか聞きたいんだけど」
「はい……」
「きじ……その種族って、あんまり知られたくないような種族だったりする?」
「それは……」
「……」
「……」
「でも、そうじゃなかったら、こんな人気の無い場所に行きたいなんて言わないか」
「……」
「……」
「言いづらい……?」
「…………売らないで、ください……」
振り絞るように言葉を発すると、彼女は深く頭を下げた。
その声はか細く、僅かに震えていた。
「別に売る気はないよ」
「……私の種族は、高く売れるんです」
「そうなんだ……」
「……」
「じゃあ……種族を知られると、高値で買い取ろうとする人が出てくるかもしれないから、あんまり周りに知られたくないってこと?」
「……」
「えーっと……」
「……」
ダメだ。
このままじゃ話が進まない
「緋織」
「……」
「『命令』だ。主人を攻撃すること、殺すことを許可する」
「えっ」
緋織に付けられた首輪は、契約したときと同じように一瞬だけ赤く光った。
「あの、ご主人様……?」
「緋織。俺はお金に余裕もないし、現状稼ぎもほとんどない」
「……」
「ただ、緋織を売ることは絶対にしない。緋織には、”この世界での生き方”を教えてほしいんだ」
「生き方……?」
「俺は……訳あって、誰でも知っているような常識すら知らない。だから、分からないことがあったら傍で教えてほしいし、間違いがあったら正してほしい」
「……」
「もし、俺が緋織を売ろうとしたら……」
俺はポーチからナイフを取り出すと、それを緋織に差し出した。
「これで俺のことを殺していい」
「えっ……」
「その首輪は殉死するようになってる。俺を殺せば、緋織も一緒に死ねる……。もし、一緒に死にたくないなら、主人の死後に解放されるように変えてもいい」
「……」
「ただ、売られるわけでもないのに俺を殺すのはやめてくれ。これは命令じゃない。緋織を信頼したうえでの行動だ。だから、緋織も俺を信じてほしい。出会ったばかりで難しいとは思うけど……」
「…………鬼人族は、珍しい上に、貴族の玩具として優秀らしく、高値で取引されています」
「……うん」
長い沈黙のあと、彼女はそっとナイフを押し退け、俯いたまま口を開いた。
「聞いた話では何千、何億ペルで取引されるらしいです」
「うん」
「……鬼人族の奴隷を奪うために、その主人が拷問に遭ったり殺されることも珍しくないって……」
「うん」
「……」
緋織は指先が白くなるほど裾を握り絞めている。
そして、俯いた顔から落ちた水滴が、地面に小さな跡を残した。
「捨てないでください……」
「うん……絶対に―――」
静かな裏路地に、彼女の震える声だけが残響のように広がる。
しばらくの間、静かな時間だけが二人の間を流れていた。
「じゃあ、火傷はそのときに?」
「そうです……」
少しして、緋織は自身のことを話し始めた。
緋織の話によれば、彼女は奴隷になる前に、鬼人族の象徴である角を、母親に折られたという。
ボサボサの髪をかき分けてもらうと、角の名残のような黒くゴツゴツしたものが、確かに頭から二つ出てきていた。
顔の火傷は、その時に負ってしまったものらしい。
「ちなみに、外見以外の特徴とかないの?どんな種族スキルを使えるとか」
「有名なのは、力が強い…とかですかね。種族スキルも、力が強くなるようなものだと思いますが……すいません、あまり詳しくなくて……」
話を聞いた感じ、人間と鬼人族の外見的な違いは”角”のみ。
種族スキルも、別に危険なものではないっぽいか?
少なくとも、今はなにも習得していない。
中には、強制的に暴走状態になるようなスキルもあるから心配だったんだけど……。
「なら、とりあえずは”人間”として生活するってことでいいよね?」
「はい、そうしてもらえると助かります……」
「分かった。あと、ステータスって神殿で……いや、先に服を買いに行こうか」
「……は、はい……すみません」
緋織は、こうして俺と話している間、太ももまでしかない服の裾を掴んで伸ばし、足をもじもじとさせている。
きっと、さっき頭を下げた時も、後ろから見たらすべて丸見えだっただろう。
「露店で服を売ってるのを見たから、まずはそこに行こう」
「あの……」
「ん?」
「あまり人が多い場所に私を連れていくのは……。汚れも臭いもすごいですし……」
「あぁ、確かに……」
さっきの店で鼻が壊れてしまったのか、緋織からそこまでひどい臭いはしない。
ただ、この汚れからして、相当な悪臭を放っているだろう。
「じゃあ、一旦俺が泊まっている宿に……」
でも、あそこも一階が酒場だからな。
今の時間なら、そこまで人はいないと思うけど。
あの奴隷商に少し預かってもらうのは……ダメだよな。
俺が服を買いに行っている間に、何をしでかすか分からない。
もう、ここで待っててもらうしか…………あっ。
「すいません、私のせいで……」
「いや、大丈夫。ワンチャンあそこなら……」
「……?」
―――――――――
「おっ、どうしたんだ!何か買い忘れたものでもあったか」
扉を開けると、そこには壁に掛けられた武具の手入れをしている、犬耳族の女の姿があった。
彼女は赤くモフモフな尻尾を力強く振っている。
俺は店の中に入ったが、緋織は彼女を見つめたまま動かない。
「わん、ちゃん……?」
あ、そういう意味じゃないよ。
「誰だ?その人」
「実は……奴隷なんだけど……」
「ああ、もう買ってきたのか!早いな……うっ!」
彼女は笑顔のまま俺たちに近づいてきたが、すぐに鼻と口を覆うと、受付の裏に隠れてしまった。
「す、すごい臭いだな……。お前、平気なのか?」
「えっ、あ、ごめん」
「すいません……」
緋織は店の中に入らず、開いたドアの外で待っている。
それでも思わず逃げてしまうほどの臭いがするらしい。
「実は頼みがあってきたんだけど……」
「頼み?」
「彼女の服を買ってきたいんだけど、その間ここに置いておいてくれない?」
「それは……まぁ、いいけど……」
嘘だな。
明らかに嫌そうな顔をしている。
そんなに臭いのか。
「でも、その前に体を綺麗にした方がいいんじゃないか?せっかく服を買っても、無駄になっちゃうぞ」
「あぁ、確かに……。このせか……この辺りって風呂とかあるのか?」
「あるぞ、近くに公衆浴場が。私もよくそこに行ってる」
「公衆…浴場……」
オラトリアムオンラインもそうだけど、この世界の文明とか風景って中世っぽいよな。
中世の公衆浴場って……
「それって……”混浴”だったりするのか?」
「―――そんなわけないだろ。何言ってるんだ?」
「…………ああ、そうなのか!よかったぁ……たまにあるんだよな、混浴のところ」
「……?」
必死に言葉を並べる俺を、彼女は不思議そうに見つめていた。
「……じゃあ、まずそこに行くか、緋織」
「あの、ご主人様……」
「ん?どうした」
「あの……髪が濡れてしまうと……その……」
「あっ……えっと、個室の浴場とかってある?」
「個室……?うーんっと、たしか公衆浴場の近くに貸し風呂屋があったな」
「そこなら、一人で風呂にはいれるのか?」
「たしかな。でも、どこだったか忘れちゃったな……公衆浴場の近くだとは思うけど」
「ちなみに、いくらで入れるかとかは覚えてるか?」
「ん~~、覚えてない……けど、そんなに高くないんだなって思った記憶が……」
「じゃあ、公衆浴場の場所を教えてくれ。行って探してみる」
「そうか、ごめんな。公衆浴場は……」
コルブランド武具店で場所を教えてもらった俺たちは、出来るだけ人通りの多い道を避けながら、公衆浴場へ向かった。
そして―――
「ちゃぽん……」
小さく暗い部屋の中で、蝋燭の灯りが湯気に揺れていた。
むわっとした湿気が閉ざされた室内を満たし、水面のわずかに揺れる音だけが静かに響く。
そして、目の前の木の壁には、反射した水面と
―――湯に体を沈める緋織の影だけが淡く浮かんでいた。
「……」
「……」
なんで、こうなった……?
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