第33話 折衷案

 

 橋を渡り切ると、辺りの空気が変わった。


 整然と並んでいた石畳は途切れ、足元には泥とゴミが散らばっている。


 建物の壁は剥がれ、窓は板で塞がれ、通りには痩せた人影がうずくまっていた。



 鼻をつく腐敗臭と、どこからともなく響く怒鳴り声。


 そこは、同じステンホルム中とは思えないほど荒れている。


 きっと、フルーラさんが言っていた治安の悪い場所というのはここのことだろう。



 それでも俺はフードを被りながら、コルブランド武具店で教えてもらった道を進み、とある場所へと向かっていた。


 それは―――



「ここか……」



 俺の目に前に現れたのは、サーカスのテントのような形状の建物だった。


 だが、それはカラフルなものではなく、くすんだ茶色の布で汚れが目立つ。


 入口の布はまくり上げられているが、中は暗く、外からは何も見えない。



「ようこそいらっしゃいました!どんな奴隷をお探しで?」



 俺が中の様子を伺っていると、暗闇から現れたのは、小柄な男だった。


 草臥れた白のタキシードをまとい、ひょろりとした体に血の気の薄い肌。


 痩せこけた顔には深い皺が刻まれている。



 そう、俺が探していたのは”奴隷商”だ。


 彼女の話では、奴隷は高級と下級に分けられ、高級奴隷は1,000万ペル以上で取引されるが、下級奴隷は10万ペル程度で取引されるという。


 ここは下級奴隷のみを扱っている店らしく、その中でもならに安く奴隷を売っているらしい。



「あの……ちょっと、どんな奴隷がいるのかなって……」



 ただ、別に奴隷を買うつもりはない。


 ただ、漫画やアニメで見かける”奴隷”が、実際にはどういうものなのか気になっただけだ。


 お金だって無いし…………。


 まぁ、良い奴隷がいたら買ってみてもいいかもしれない。


 戦闘に役立ちそうな奴隷とか……な。



「そうですか、そうですか。では、どうぞ!中にお入りください」


「あ、ありがとうございます……」


 俺は、男の不気味な笑みに委縮しながらも、軽く身をかがめ、入口をくぐり抜けた。



「うっ……!」



 その瞬間、獣臭と腐敗臭が混じった強烈な臭いが、鼻を突き刺した。


 俺は吐き気を何とか抑え、口で呼吸をしながら、その場に立ち尽くす。


 しばらく何も見えなかったが、次第に目が慣れ始め、中の様子が見え始めた。



「どうです、気になる奴隷はおりますか?」


「……」



 それは、今まで見てきた中で、もっとも衝撃的な光景だった。


 テントの中にはいくつもの小さな檻が積まれており、その中には様々な種族、年齢の人が首輪を付けられ詰められている。


 檻の中は糞尿にまみれ、重ねられた檻からは、それが黒いドロドロの液体となって垂れていた。



「お客様は冒険者とお見受けしますが?」


「……あっ、はい……そうです……」


「では、この奴隷なんてどうでしょうか。つい先週入った獣人……狼人族の奴隷でして。狼人族は知っての通り非常に戦いに……そのため………」



 男は、この状況の中でも、平然と話を続けている。


 顔には、笑みすら浮かんでいた。


 その、やけに丁寧な口調からは恐怖すら感じる。



 しかも、その痩せ細った男の奴隷は狼人族じゃない。


 明らかに犬耳族だ。


 騙そうとしているのか、それとも本当に分かっていないのか。



「やはり、冒険者と言えど、お客様は男性ですから。こちらの奴隷なんてどうですか。まだ幼いですが、整った顔をしていますよ。ほらっ、お客様に顔を見せなさい」


「……」



 男に話しかけられた少女は、俯いたまま動かない。



「おいっ、来いと言ってるだろ!!」



 痺れを切らしたように男は檻を開け、座り込んだ少女の首輪と繋がっている鎖を乱暴に引いた。


 彼女の体は力なく、鈍い音を立て地面に倒れる。


 顔や髪に糞尿がついても微動だにしない。



「ちっ、役立たずが……。申し訳ありません、お見苦しいところをお見せして」



 男は鎖から手を離し、こちらに笑顔で振り向くと、今度はその隣にいる少女の鎖を掴んだ。


 引っ張られた少女は倒れそうになりながらも、両腕で体を支える。


 その腕は、棒のように細い。



 彼女は引きずられるように、狭い檻の中を四つん這いで出てくると、ゆっくりと体を起こした。



 背丈は俺と同じほどまであり、腕や足は棒のように細く骨が露出している。


 汚れた粗布で出来た一枚の布を身にまとい、そこから覗く白い肌は、様々な汚れでくすんでいた。


 顔は腹まで垂れたボソボソの黒髪に隠れて見えない。



「この人間の奴隷なんていかがでしょうか。顔は少しあれですが、なんと―――!」



 そう言って男は突然、彼女の太ももまで垂れた服をめくり上げる。


 すると、彼女の雪のように白い下半身が露になった。


 局部には僅かに黒い陰毛が生えている。



「”初物”なんです!ほらっ、股を開きなさい!」


「……」



 彼女は顔を逸らしながら、黙って言うとおりに股を開き、ガニ股になった。


 すると、薄っすらとピンク色に染まった陰部が姿を現す。



「下級奴隷の中ではとても珍しいんです。しかも、歳は十七。最高の体験を長く楽しめること間違いなしです!」


 男は服を上げたまま、彼女の体勢なんてお構いなしに話を続けた。



「いかがですか?こんな奴隷が今なら9万7,000ペルで!」


「……いや―――」


「では!8万2,000ペルでどうですか⁉下級奴隷と言えど、これほど若い女奴隷を、こんなに安く買えるのは今だけ―――」



「私は……」



 男の言葉を遮るように、弱々しい女性の声が聞こえた。


 それは、目の前で陰部をさらされ続けている彼女から発せられたものだった。



「私は、きっとすぐに死んでしまいます……」


「おい!何を言ってるんだ」



 男は掴んでいた服から手を離すと、彼女を隠すように俺の前に出てきた。



「すみません、お客様。少し気が動転しているようで。でも大丈夫です!少しすれば―――」



 後ろに押し出された彼女は、なぜかゆっくりと前に垂れた髪をかき上げ始める。


 すると、



「―――ッ!」



 そこから現れた顔は、半分近くが赤黒く変色していた。


 その皮膚はまだらに盛り上がり、乾いたまま光沢を失っている。


 まるで硬い岩肌が、彼女の白い肌に張り付いているかのようだった。



「お、おい!お前ッ」



 男は俺の表情で何かを察し、後ろを振り向くと、そのまま彼女を押し倒した。



「クソがッ、余計なことをしやがって!殺されたいのか!!」


「……」


 男は感情を爆発させたように、うずくまる彼女を何度も蹴り始めた。


 彼女は叫びもせず、ただそれを受け入れるかのように黙っている。



「お前みたいなゴミを生かしてやってたんだぞ!その礼がこれか!!」


「あの、すいません……」


「なんだッ……!ゴ、ゴホン。申し訳ありません。少し取り乱してしまいました。ご安心ください、ここにはまだまだ奴隷がいますから。きっとお客様の探し求める奴隷も見つかるはずです」


「いや、あの……その子と少し話したいんですけど」


「その子…というのは、これのことですか」


 そう言って、男は地面に倒れ込んだ奴隷を指さした。



「はい。話してみて買うかどうか決めます」


「そ、それは……もちろんどうぞ!」


 男はさっきまでの様子が嘘のように笑顔になると、小走りでテントの入口に向かって行った。


 そして、そこから黙ってこちらを見ている。



「喋れるか……?」


「……私を買っても……何の役にも立てません……」


「……」


 俺は彼女の近くにしゃがみ込み、小声で話しかけた。


 しかし、彼女は地面に伏せたまま、こちらを見ようとはしない。



「……奴隷として買われたくないのか?」


「……」


「それとも……


     死にたいのか?」



 そう言うと、彼女の体はピクリと反応し、ゆっくりとこちらを見上げると、



     ―――確かに頷いた。



 懇願するように、力強くこちらを見つめるその瞳は、陽の光のように暖かく綺麗な”蜜柑色”だった。



「そうか……なら、提案なんだけど」


「てい…あん……?」


「そう、提案」


「……何、ですか?」



「一か月生きてみて、やっぱりまだ死にたかったら死ぬって言うのは……どう思う?結構名案だと思うんだけど」



「……え?」


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