第30話 旅立ち

 

 夕暮れの橙が街を染める頃、宿前の椅子には多くの人が腰を下ろし、酒を片手に笑い声を響かせていた。


 潮風に混じる酒の匂いと笑い声は、路地の奥まで広がってくる。



 冒険者ギルドを後にした俺は、街を軽く散策してから宿へ戻ってきた。


 ダンジョンに行って見ようかとも思っだが、日はすでに傾き、沈みかけている。


 受付の人の話では、片道二十分ほどかかるらしく、きっと戻ってくる頃には暗くなっているだろう。


 それに、ラフタスさんとフルーラさんに聞きたいこともある。



 扉を押し開けると、熱気が一気に押し寄せてきた。


 卓ごとに盛り上がる声が重なり合い、食器のぶつかる音や酔客の笑いが絶え間なく響いている。


 空席はほとんどなく、まるで祭りの只中に迷い込んだようだ。



 マジか。


 座れそうにないな。


 知らない人と相席するのは気まずいし……。



「コウタさん!」



 喧騒の中から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 振り返ると、賑わう卓の一角でフルーラさんが片手を上げている。


 その隣にはラフタスさんもいて、二人の前には湯気を立てる皿や木製のジョッキが並んでいた。



「どうぞ、座ってください。今、戻られたんですか?」


「はい。ちょうど席が空いてなくて困っていたところで」


 俺は二人の卓へ歩み寄り、同じ料理を注文すると、空いていたラフタスさんの隣に腰を下ろした。


 二人の視線は、俺の腰に下がった剣へと向けられている。



「剣を買われたんですね」


「そうなんです。新品ではないですけど安かったので」


「もう、冒険者ギルドには行かれたんですか?」


「はい。今日のうちに登録できたので、明日からは早速ダンジョンに行ってみようと思います」


「……?」


 フルーラさんは食事の手を止めると、不思議そうに俺の方を見た。


 ちょうどその時、俺の注文した料理がテーブルに置かれる。



「冒険者ギルドの登録って、試験か何かを受けるんじゃなかったでしたっけ?そんなに簡単に合格できるものなんですか?」


「まぁ、ガームショールを納品するだけだったので」


「そうなんですね。スティグスが苦戦していたようだったので、勝手に難しいものかと……」


 アイツ、脅しで言ってきたんじゃなくて、本当に苦戦してたのか。



「スティグは、馬鹿真面目に試験の依頼を受けてたからな。お前みたいに、薬草を買って出すだけで達成できる依頼を受ければいいってのに」


「……へぇ」


 なんで分かるんだよ……。


 なんか、前にもこんなことあったけど、ちょいちょい心を読んでくるんだよな。


 それとも、それくらい当たり前な方法ってだけか?



「そのせいで、こっちは毎週来るたびに三日間も滞在するはめになってたからな」


「ははっ、懐かしいな。でも、ラフタスもそんな簡単に合格する方法があるなら教えてあげればよかったじゃないか」


「もちろん言ったに決まってるだろ。でも、スティグが”フォレストボア”を討伐するって聞かなかったんだよ。たぶん、バークで自慢したかったんじゃないか?」



『フォレストボア』


 広範囲の森に生息し、単独で行動していることが多い。


 基本襲ってくることは無いが、縄張りに入ると躊躇なく突進してくる。


 レベルは10程度。


 冒険者Lv1で受けれる討伐依頼の中では、一番単体難易度が高いモンスターだろう。



「そう言えば、この辺りって危険なモンスターとかっていますか?」


「お前の言う危険ってのがどの程度か分からないが、比較的安全なんじゃないか?気になるなら、冒険者ギルドにでも聞けばいい。もう正式に冒険者になったんだ。それくらい教えてくれるだろ」


「あぁ、確かに」



「あとは、図書館に行って調べるというのも手ですね」


「図書館があるんですか?」


「ええ。商人ギルドの裏をまっすぐ行って、橋を渡ると見えてくると思いますよ。建物自体も大きいですし、本の看板もついているので分かりやすいはずです」


「そこって、この街とか国についての情報とかもありますか?」


「ええ、たくさんありますよ。私もスティグスを待っている間によく行って見ていましたから」


 なら、明日はその図書館に行ってみるか。


 そのあとダンジョンに行って……。



「ただ、明日は休日なので図書館は開いていないので気を付けてください」


「あ、そうなんですね……そう言えば、休日とか日付ってどうやって分かるんですか?」


「休日や平日は鐘の音でも知ることができますが、日付は覚えておくかギルドなどに聞きに行くくらいでしょうか」


「鐘の音?」


「この街に来て、何回か鐘の鳴る音を聞きませんでしたか?」



 言われてみれば、この街に入った時も、冒険者ギルドで説明を受けているときも、何回か街中に鐘が響いていた。



「平日は朝、昼、夜に起床の合図や労働の区切りとして鐘が鳴るんです」


「なら、休日はその鐘が鳴らないってことですか?」


「そうです。ただ、休日でも開門や閉門のとき、時刻を知らせるときには鐘が鳴るので気を付けてください」


「それは、何か聞き分ける方法とかあるんですか?」


「もちろんありますよ。朝昼夜は三回連続で三度鳴らす。開門はゆっくり長く鳴らす、といった違いがあります。時刻を知らせる時は、その時刻の分鳴らします。午前十時なら十回ですね」


「なるほど……」


 その話を聞くに、やっぱり持ち歩けるような時計は、そこまで一般的に使われていないみたいだな。


 一応、オラトリアムオンラインではアイテムとして懐中時計があったから、この世界でも無いわけではないと思うけど。



「他に聞いておきたいことはありませんか?私は明日も早いので、もうじき寝てしまいますが……」


「あ、すいません、食事中に色々質問してしまって。俺は大丈夫です」


「そうですか。では、私はそろそろ」


「あっ、すいません。そう言えば、明日って、何時くらいに出るんですか?」


「明日ですか?朝の鐘がなってから一時間後の、六時には出ると思います」


「ろ、六時!?随分、早いですね……」


 しかも、一時間後が六時ってことは、朝の鐘が鳴るのは五時ってことか?


 早起きすぎるだろ。



「そうでもないぞ。お前がバークで起きてた時間も、大体そのくらいだったからな」


「えっ、そうなんですか?」


「まぁ、この辺りはリューアンと比べると、日が昇るのは早いし、沈むのは遅いからな。今の時期だと、午前四時くらいには日が出て、沈むのは午後十時くらいだぞ」


「そうなんですね……」


 通りで、夕方頃に眠くなるわけだ。


 夜空なんて二週間バークにいて一回しか見てないからな。



「じゃあ、俺もそろそろ寝ます。明日起きれるか不安なので」


「何か予定があるんですか?」


「ん……?え、二人を見送ろうと思ってたんですけど……」


「いえ、いいですよ……コウタさんも疲れているでしょうから」


「いやいや、ここまでしてくれたんですから。それくらいさせてください」


「ですが……」



「いいだろ、別に。本人が見送りたいって言ってるんだ」


 フルーラさんが少し言葉を濁していると、隣にいるラフタスさんが口を挟んだ。



「それに”疲れてる”なんて言うが、特段何もしてないだろ、コイツ」


「……」


 それは余計だろ。



「それに、お前明日ダンジョンに行くんだろ?」


「はい、『略奪者の洞窟』に行こうと思ってます」


「なら、途中まで一緒に乗っていけばいいんじゃないか?まぁ、お前が朝からダンジョンに行くならだが」


「道は一緒なんですか?」


「あぁ、途中までだが。それでも半分くらいまでは連れていけるぞ」


「なら、一緒に行かせてもらってもいいですか?」


「……そうですね。そういうことなら、途中まで一緒に行きましょうか」


「ありがとうございます」


『略奪者の洞窟』までは、ここから二十分くらいかかるって言ってたしな。


 途中まででも乗せて行ってくれるなら嬉しい。



 元々、朝から行こうとは思っていたし。


 それに何より、フルーラさんが納得してくれたようでよかった。



 俺たちは夕食を食べ終えると、それぞれ部屋に戻った。


 部屋はバークの宿と造りこそ似ているが、入り込んでくる音はまるで違う。


 窓を開けると、夕焼けの柔らかな光が部屋に入り込み、空気にわずかな潮の匂いが混じった。



 目の前には建物が立ち並び、眺めは決して良いとは言えない。


 それでも下を覗けば、酒を酌み交わす人々の笑い声や、通りを過ぎる馬車の車輪の軋む音が絶え間なく響いていた。



 俺はベッドに腰を下ろすと、腰の剣を外して壁際に立てかけ、革のベルトやポーチを順に外していく。


 金具の外れる音が小さく響き、重みから解放された身体にじわりと疲れが広がっていった。



 明日に備えてベッドに身を横たえると、木枠の軋む音とともに下の酒場から漏れる笑い声が聞こえる。


 しかし、そのざわめきが不思議と心地よく、俺の意識はゆるやかに薄れていった。



 ―――――――――



 ふと目が覚めると、部屋は静まり返っていた。


 閉じた窓の隙間から、月明かりが細い筋となって差し込み、床に淡い光を落としている。



 ベッドから足を下ろすと、木の床がひやりと冷たく、眠気が一気に引いていった。


 何気なく窓へ歩み寄り、窓を押し開けると、潮風と共に夜の澄んだ空気が部屋に流れ込む。



 見上げれば、夜空は深い群青に染まり、無数の星が散りばめられていた。


 通りに人影ひとつなく、街灯の僅かな光と月明かりだけが、石畳を静かに照らしている。



「……」


 俺は窓辺に立ち、ただその光景を眺めていた。



 夜空に散らばる星々と静かな街、澄み切った空気は、ふいに心へ孤独を滲ませる。


 だが、その孤独感が不思議と心を静め、落ち着きを与えてくれていた。




「……」


「早く寝ろよ」


「―――ッ!?」



 外の景色を眺めていると、突然隣から声が聞こえた。


 驚いて窓の外へ顔を出すと、それは隣の部屋に泊まっているラフタスさんだった。



「驚かさないでくださいよ……」


「お前が勝手に驚いただけだろ」


 ラフタスさんは、窓に腕を乗せながら、ぼんやりと外の景色を眺めている。



「お前、何か言いたいことは無いのか」


「言いたいこと?」


「あの時、随分と静かだったろ?スティグはうるさかっだが」


「……あぁ」


 その時、脳裏に焼き付いた彼女の瞳が、目の前に広がる星空と重なった。


 ラフタスさんが言っているのは、密猟者の野営地での話だろう。



「……後悔とかってあるんですか?」


「残念だが、微塵もないな」


「そうですか……」


「逆にお前だったらどうしてたんだ?」


「それ、スティグにも聞かれましたよ」


「だろうな。なんて言ったんだ?」


「……”分からない”って」


「そうか」


「……殺してやった方が良い、とは言わないんですね」


「そんなの自分で決めろ。冒険者として生きていくなら、あんな選択、数えきれないほどしないといけないからな」


「……」


 そんなこと自分で決めないといけないなら、ラフタスさんに「殺してやれ」と言って欲しかった。


 何度考えても、正解が何なのか分からない。



「まぁ、今日はもう遅い。朝一からダンジョンに行くんだろ?早く寝ろ」


「……はい」



 俺は数秒夜空を見つめた後、静かに窓を閉めた。


 そして、静かな部屋の中で、ベッドにただ横たわった。




 ―――――――――




「ガタンッ」


 朝露に濡れた草を日が照らす中、馬車は道の途中でゆっくりと止まった。



 馬車を降り、振り返れば、丘の下に港町ステンホルムが広がっている。


 街は朝霧に包まれ、遠くには海面が朝日がきらりと反射していた。



「……本当にありがとうございました。この二週間してくれたことは絶対に忘れません」


「いえいえ、良いんですよ。私も、久々に懐かしい気持ちになれましたから。コウタさんがバークに来てくださって本当によかったです」


 そう言いながら、フルーラさんは目を細め、皺の刻まれた頬に穏やかな笑みを広げた。


 その目には、ほんのり涙が滲んでいるようにも見える。



「何しみじみしてんだ。どうせ、二週間後にはまた来るんだ。それに、バークにだって来ようと思えば来れるだろ」


「……そうだな。コウタさん、何かあったら、いつでもバークに帰ってきていいですからね」


「……はい」


「では……私たちは行きますね。どうか、お元気で」


「はい。本当に……本当にありがとうございました!」


 俺が頭を下げると、馬車は少しずつ動き出した。


 すると、



「おい!」



 突然、ラフタスさんの声が聞こえ、顔を上げると、何か小さな袋を俺に放り投げた。



「え、ちょ、ちょ―――」



 咄嗟に手を伸ばし、俺はなんとか袋を受け取る。


 中を開いてみると、そこには金貨から銅貨まで、様々な硬貨が詰まっていた。



「なんですか、これ!?」


「密猟者の報酬だ!黙って受け取っておけ」



 俺とラフタスさんが話している間も、馬車は止まることなく進んでいく。



「次会うときまで死ぬんじゃねぇぞ!」


「……ありがとうございますッ!!」



 俺は、硬貨の入った袋を握りしめながら、ステンホルムにまで届くほどの声を上げた。


 ラフタスさんは、軽く腕を上げ、馬車はそのまま丘を上がっていく。



 しかし、もう少しで見えなくなるというところで、なぜか馬車が停まり、ラフタスさんが降りた。


 ラフタスさんは道端に落ちた”木の棒”を拾い上げると、何事もなかったように馬車へ戻る。


 そして、馬車は再び動き出し、丘の向こうへと消えていった。



「……」



 俺は二人が見えなくなった後も、丘の上を見つめ続ける。


 そして、静けさの中で深く息を吐き、二手に分かれた道のひとつへと歩き始めた。


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