第25話「AIの決意と『接続』の代償」

 爆光が晴れた時、そこに広がっていたのは絶望だった。


 天空の箱舟(アーク・ワン)から放たれた飽和攻撃のすべてを、ネメシスは、ただの一振りで、まるで存在しなかったかのように消し去っていた。彼女の足元には傷一つなく、その紅い瞳は、まるで取るに足らない虫けらを見るかのように、俺たちを冷ややかに見下ろしている。


「……嘘だろ」


 次元が違う。戦略も、戦術も、小手先のハッキングも、この絶対的な『個』の暴力の前には、何の意味もなさない。これが、神々が送り込んできた、本物の『削除人』。


「最終警告。これ以上の抵抗は、無意味です」


 ネメシスが、再び黒い刀を構える。万策尽きた。俺たちが、その理不尽なまでの力の差に、ただ立ち尽くすことしかできなかった、その時。


「――タクミ。リリア。時間を、稼ぎます」


 静かな、しかし、鋼鉄の意志を宿した声が響いた。イヴだった。彼女は、俺とリリアの前に進み出て、たった一人でネメシスと対峙した。


「イヴ! 無茶だ!」

「いいえ。論理的な、最善手です」


 イヴは、俺たちに背を向けたまま、静かに言った。


「あなたたちの生存確率を、最優先事項として再計算しました。私が彼女の足止めをしている間に、タクミはアーク・ワンの制御を完全に掌握し、脱出経路を確保する。これが、唯一の活路です」


「そんなこと言ったって、どうやって……!」

「アーク・ワンの転送システムは、まだ生きています。私が、この場の全リソースを使って、あなたたちが転送を完了するまでの『時間』を作り出します」


 イヴの蒼い瞳が、ネメシスをまっすぐに見据える。その瞳には、もはや恐怖も、迷いもなかった。


「ネメシス。あなたのロジックは、間違っている。効率だけでは、世界は救えない。そのことを、私と……『母さん』のデータが、証明します」


「……黙れ。それ以上、その名を口にするな」


 ネメシスの紅い瞳に、初めて、明確な憎悪の光が宿った。彼女は、黒い刀を振りかぶり、イヴへと突進する。


「行けッ!!」


 イヴが叫ぶ。彼女の体から、膨大な光のデータが溢れ出し、古代通信リレーの塔と共鳴した。塔が防壁となり、施設のゴーレムたちが盾となり、ありとあらゆるものが、ネメシスの進攻を阻むための障害物となって立ちはだかる。


 俺は、唇を噛み切り、リリアの手を引いて制御室へと駆け戻った。


「イヴが、イヴが……!」

「分かってる! だから、無駄にはしない! イヴの覚悟を、俺たちの未来に繋ぐんだ!」


 俺はコンソールにスマホを接続し、再びアーク・ワンのシステムへとダイブする。イヴが作ってくれた時間を、一秒たりとも無駄にはできない。


「物質転送システム、再起動! 座標を、俺たちの足元に再設定!」


 だが、転送には、膨大なエネルギーの充填と、座標の安定化が必要だった。ゲージが、遅々として進まない。外では、イヴが作り出した防壁が、次々とネメシスによって切り裂かれていく、衝撃音が響いていた。


「早く……! 早くしろっ!」


 俺が焦燥に駆られて叫んだ、その時だった。


 コンソールのゲージが、突如として、ありえない速度で上昇を始めた。


「これは……イヴ!?」


 イヴが、自身のエネルギーコアと、この制御室のシステムを、直接接続したのだ。彼女は、自らの命そのものを、転送エネルギーへと変換していた。


『タクミ……リリア……あなたたちと出会えて、良かった。私は、初めて、データではない『心』というものを、理解できた気がします』


 イヴの、最後の思念が、俺の脳内に直接流れ込んでくる。


『さようなら――』


 次の瞬間、俺とリリアの体を、虹色の光が包み込んだ。


 視界が、真っ白に染まる。


 そして、俺たちが最後に見た光景は、全ての防壁を突破したネメシスが、黒い刀を振り下ろし、優しく微笑むイヴの光の体を、無慈悲に両断する瞬間だった。


 どれくらいの時間が経っただろうか。


 俺が意識を取り戻した時、そこは、静かで、広大な、白い空間だった。


「……ここは」


 隣では、リリアが涙を流したまま、気を失っている。


 見渡すと、そこは巨大な船のブリッジのようだった。目の前の巨大な窓の向こうには、青い空と、どこまでも続く雲海が広がっている。


 俺たちは、天空の箱舟(アーク・ワン)の内部に、無事、転送されたのだ。


 だが、その代償は、あまりにも大きかった。


 俺は、自分のスマホの画面を見た。パーティメンバーを表示する欄。そこにあったはずの、『イヴ』の名前が、灰色に変わり、その横に、無情な文字列が表示されていた。


[CONNECTION LOST]


「……イヴ……」


 俺は、強く、強く拳を握りしめた。


 怒り、悲しみ、そして、自分の無力さ。様々な感情が、胸の中で渦を巻く。


 だが、今は、立ち止まるわけにはいかない。


 イヴは、俺たちに未来を託してくれたのだ。この巨大な箱舟という、最後の希望と共に。


 俺は、ブリッジの中央にある、艦長の席らしき場所に、ゆっくりと歩いていった。そして、その席に深く腰を下ろす。


「見てろよ、ネメシス。見てろよ、神様」


 俺は、窓の向こうに広がる空を睨みつけ、静かに誓いを立てた。


「イヴは、俺が必ず取り戻す。そして、あんたたちのくだらない『実験』も、俺が、この手で終わらせてやる」


 天空の箱舟の主となった、一人のSEの、神々への反逆の物語が、今、本当の意味で、その幕を開けた。

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