後編

「フィーネ様。頑張るために、抱きしめていいですか?」


 フィーネは目を丸くする。

 アデルは迷子のような顔でフィーネを見ていた。


「アデル」

 フィーネは背筋を伸ばす。

「貴方は私の夫でしょう。夫に相応しい頼み方をしてもらわないと」


「えええーこんな時くらい良いじゃないですか減るもんじゃないんだしぃー」

 アデルは情けない声をあげたが、フィーネがじっと睨んでいると、とうとう諦めたようにため息をついた。


 静かに瞬きを一つした彼の顔に、普段見せない真剣な表情が現れる。灰色の瞳からおどけるような光が消えた。


(空気が、変わった)

 アデルがいつも隠している本来の彼の顔だ。


 フィーネはこのアデルの表情には滅法弱い。やけにドギマギさせられてしまうのだ。

(アデルのくせに)


「……………フィーネ」

「何?」

 フィーネの胸がトクンと鳴る。アデルはフィーネを見下ろし、愛おしげに囁いた。

「貴女を抱きしめたい」


 フィーネはたまらず、アデルに抱きついた。

(にやけてる!! 今、私きっと全力で顔がにやけてるわ!!)


 ゆるみきった自分の顔など絶対アデルに見せたくなくて、フィーネはアデルをぎゅうぎゅう抱きしめた。

「いでで」

 アデルは突然のことにふらつく。


「……ふう」

 顔のニヤつきが落ち着いたところで、フィーネはアデルを解放する。


 しかし、今度はアデルがフィーネを強く抱きしめた。

「……ちょっと」

「まだ信じられない。貴女が僕の隣にいて、笑顔をくれて、支えてくれること」


 アデルはフィーネの燃えるような赤い髪に顔を埋める。

「現実感が無くて。たまに、今自分はとても長い夢を見てるんじゃないかって思う。目が覚めたら、僕はやっぱり一人なのかも」


 フィーネはアデルをかき抱いた。

 彼の人生に纏わりついてきた孤独を、どうすれば振り払えるだろう。


「もう二度と貴方を一人にしない。貴方が一人なら、何度だって、何処にだって探しに行くわ。アデル、私は貴方が生きていてくれて嬉しい。そばにいてくれて嬉しい。絶対、私から離れないで……私を放さないで」


 生まれた時。バイエルと闘った時。

 二度の死地を乗り越えて、アデルはここに在る。

 アデルはフィーネに顔を寄せると、祈るように目を閉じた。

 そして。


「……はー。たまんない、僕の奥さん超可愛いっ」

「?」

 フィーネを抱きしめたまま、アデルの声が普段の軽快さを取り戻す。


「フィーネ。大好き!」

 アデルはフィーネを抱きしめていた腕をほどき、花束をしっかり抱え直した。

「うん。充電完了ー!」


 アデルはフィーネに柔らかく笑いかけた。

「行きましょ。僕が無事かっこいい大人に育って、その上こんなに超絶可愛い奥さんをゲットした事、母上に報告してあげないと!」


(また調子に乗って)

 と思いかけて、フィーネは考えを改める。

 無駄に明るいこの顔は、半分はきっと父親譲り。もう半分はきっと、彼が過酷な人生を生き抜くために必要なものだったのだろう。


 ならば妻の自分は、彼のこの顔ごと丸ごと愛そう。

 彼の人生をそのまま、全部愛そう。


「アデル。好きよ。これまでのどんな貴方も、これからの貴方も」

 アデルはフィーネの言葉に頬を染め、胸いっぱいという笑顔になった。

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