第24話 帰る場所

 皇族の家の一つ、ロンド家。

 頭のまわりに小さな花が咲いているような幻覚がついてまとう叔父が当主を務める一家である。


 宿から馬車で帰りながら、バイエルは先ほどの女との会話を思い出していた。



   ☆☆☆



 ロンド家に居たことを尋ねると、女は気丈にもバイエルを睨み返し、こう言った。


「明るい所で見れば、天下の色男の兄さんにも負けない男前じゃないか。それにやけに腕も立つ。冴えない坊やだと思ってたら、とんだ隠し玉だったって訳かい。あんたにはあたし一人で十分だと言われてたんだけどね……」


 女は観念するように手をあげた。

「あたしだって死にたい訳じゃない。でも脅されてただ情報を与えただけじゃ、どっちみち『飼い主』に殺されるんだ。だから取引をしないかい?」

「取引?」


 バイエルがいぶかしむ表情で繰り返す。

「そうさ。あたしがあんたの質問に答えたら、今度はあんたがあたしの質問に答える。あんたはあたしから好きなだけ情報を引っ張り出せるし、あたしも情状酌量の余地が得られる。悪い取引じゃないだろ?」


 バイエルは注意深く女を見ながら剣を少し引いた。

 女は安堵するように息をつき、手を下ろす。

「21年前。あたしはロンド家に居た」

「奥方と会ったことは?」

「ストップ。こちらの番だよ。あんたはどうやってそれを知った?」


「ロンド家の古参の召使が話してくれた。よく気のきく女の子が居たと」

「それがどうしてあたしだと思ったんだい?」

「こちらの質問だ。ロンド家の奥方に会ったことはあるのか」


 女は少々不満そうに眉をひそめた後、遠くを見るように目を細めた。

「あるよ。さ、どうしてロンド家にいた使用人の女の子が、あたしだと分かった? 名前だって今と違うのに」


 バイエルは、ふ、とかすかに笑った。

「使用人だったかどうかを聞く必要がなくなったな。礼を言う」

 女は自分が口を滑らせたことに気付いて身体を硬直させた。


「母親と共にロンド家に仕えていた少女が屋敷を去ったのは十年ほど前。勉強がしたいという理由で暇を貰い、母親の故郷に戻った。その六年後、彼女は突然故郷を去る。ちょうど四年前……お前が皇都に現れて、貴族達の相手をしだした時期もそのくらい。兄上か俺の耳に“オリヴィア”の名前が入るように、『飼い主』が仕事を回していたんだろう。その狙い通り、宴のたびに貴族達はお前の噂をしていた。あとは髪と目の色、ほくろの位置。決定的だったのは……――彼女は筋金入りの男嫌いだった」


 女は、ハッ、と顔を歪めて笑った。

「あたしの職業がなんだか知らない訳じゃないだろう。男嫌いで務まるとでも?」


「『男を蔑んでいるからこそ』だ。娼妓達にとって客の男達は、人間ではなく金づる、お前にとっては目的を達成するための道具でしかない。尊厳が無いものを相手にしても心が壊れることはない。心を壊してやるだけの価値も無い。ある意味、徹底した男嫌いだ。……次は二つ答えてもらう」



   ☆☆☆



 バイエルは馬車の窓の外をゆっくり通り過ぎていく街灯に目をやる。


 あの後の二つの質問に、彼女はそれまでの高慢な態度が嘘のように取り乱した。

 その彼女の反応には覚えがあった。

―――自分の過去に通じるものだ。


 そう『思ってしまった』瞬間、ぐらりと視界が揺れた。

 見えないナイフで何度も刺されるような胸の痛みを感じる。

 手が汗ばみ、呼吸が苦しくなる。


 バイエルは外套の上から、心臓を掴むようにして身体を折った。


 見えるのは白い猫の足と鮮血だ。

 だんだん浅くなっていく呼吸と、遠くなっていく馬の駆ける音と車輪が地面を削る音。


 旦那様、と御者の呼ぶ声が聞こえた気がしたが、どこから聞こえた声なのかもよく分からなかった。

 ぼやけて暗くなっていく世界で、何か光る……白くてふわふわしたものが、自分の傍に飛び込むように軽やかに翔けてきた。


「殿下……殿下。バイエル……」

 透き通ったその声に反応するように視界が明るくなっていく。

「大丈夫……?」

 『彼女』は心配そうに眉根を寄せて、自分を覗き込んでいた。


 先程までとは違い、甘やかな痛みに疼く胸。

 自分の額に伸ばされた妻の白い手を掴んで、バイエルは泣きそうに微笑んだ。


「……しばらく一人にして悪かった。今日は一緒に寝よう」

 シルキーは少しの間ぽかんとしていたが、やがて赤くなった頬を隠すように俯くと、口をヘの字に曲げて「うん」と答えた。

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