第3話
「来てくれたのね、斉木くん」
彼女は側面を向き、首を傾けてこちらに怜悧な視線を寄越してきた。
腰まで届く黒髪は陽の光を浴びてますます美しく輝き、同年代とは思えない豊満な肉体の曲線が、横を向いたことでますます強調されていた。
そのポーズがサマになるのが少し羨ましい、と見当はずれな感想を抱きつつ、和彦は驚くと同時に少し安堵もしていた。
彼女であれば流石に殺されるようなことはないだろう。今まで接点もなかったのだし、恨みを買っているとはとうてい思えない。
だが、何故、かつては幼馴染だったのに今は接点がないことが、却って恨みを買うことにもなりかねないとは思わないのだろうか。
「えっと……、何の用事かな、高嶺さん」
「…………」
和彦がそう問えば、彼女は顔を俯けた。黒髪が顔にかかり、彼女が唇を噛んでいることに和彦は気がつけない。
「……そんな他人行儀な……」
「え?」
和彦は、麗花のまるで井戸の底から聞こえるかのような声を、鈍感系主人公の如く聞こえなかった。ーーいや、ホラー映画の迂闊なモブの如くと言うべきか。
すぅ、と彼女は息を吸い込むと、いつもの通りの美しい澄ました顔で、和彦を射抜くように視線を向けてきた。
その何か覚悟を決めたような視線に、和彦は気圧された。
ーーあれ? やっぱり俺、殺されるのか?
春の日差しにも関わらず、背筋が寒くなりかければ、麗花はスカートのポケットに手を突っ込んだ。
ーーサバイバルナイフ⁉︎ いや、お約束の果物ナイフか⁉︎
と思う和彦は、やはり根っこのところで危機感がなかったのだろう。そして麗花がポケットから取り出したのは、スマホであった。
「斉木くんに見て欲しいものがあるの」
「あ、ああ……」
ーー見て欲しいもの? なんだろう、猫動画? なんちゃって。
オジサン構文のようなことを思っていれば、唐突に麗花によってスマホの画面を突きつけられた。
そこでは、ピンクと黒の線が混じった渦巻きが、ぐるぐると回っていた。
それを見た和彦は思った。
ーーなんだろう、雑な催眠アプリみたいだ。
エロ漫画とかでよくある。
そう思った和彦は、何を思ったかーー何も考えていなかったに違いないーー、まるで昔遊んでいた時のような気持ちになって、それに乗ってみることにした。
立ったままではあるが、力が抜けた演技をして、顔を俯かせ、渾身の呆けた顔をしてみせた。
彼の演技が迫真に迫っていたのか、或いは高嶺の花は実はポンコツであったのか。
「えっ、本当に催眠にかかったのかしら……?」
流石に半信半疑の様子だったが、それでも彼女は期待した声で、半分は信じている様子であった。
ーーくくく……。
と和彦が内心で笑っていれば、
ひゅっ、と。
彼の眼球の目前で、彼女の二本の指がスンドメされていた。
⁉︎
和彦は衝撃のあまりに動けなかった。
それはそうだろう。
突然のことにはびっくりして跳ね上がることもあれば、呆然として固まることもあるのである。今はあまりにも不意打ちすぎ、彼は後者であった。
普段ならば一拍ののちに飛び跳ねていただろうが、続く彼女の言葉に、和彦は催眠にかかった演技を継続することにした。
「どうやら、本当に催眠にかかったようね」
「…………」
ーーえっ、この女、催眠にかかってるかどうかを調べるために人の眼球突こうとするの⁉︎ ……サイコパスじゃん……。
悲報、高嶺の花はサイコパスだった。
中学から離れていた間に何があったのか、或いは彼女はもともとそんな女性であったのか。
分からなかったが、今更催眠にかかっていないと言いだすことが怖くなってきた。……今ならまだ傷は浅かったのに。
「斉木くん。……いいえ、かず君」
ーーかず君⁉︎
「両手を横に広げてちょうだい」
昔の呼び方をされ、動揺しつつも和彦は言われた通りにした。
「そのまま上下に振ってちょうだい」
和彦は自分が催眠にかかっていることをアピールするように両手を上下に振った。
「ふふっ……、かず君が本当に催眠にかかってる……」
にやぁ、と。
高嶺の花はドブネズミのような笑みを浮かべていた。
ーーこんな高嶺さんの顔見たことない!
そして知りたくはなかった。
だが、今更実は催眠にかかっていなかったというのはあまりにも恐ろしい。
ーーいったい俺は何をさせられるんだ……。
和彦が戦々恐々としていれば、彼女は、
「かず君……」
甘えるような声を上げ、両手を広げた和彦に抱きついてきたのであった。
……もう、催眠にかかっていないとは言えやしない……。
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