オーク・ストラテジア

やかんプリン

第一章 レーウェンの黒鬼

プロローグ

砦の空気は重かった。

乾いた血の臭いが、石の隙間に染みついている。折れた矢羽根が、風に転がった。


東の地平には、黒く蠢く人間の軍勢。

その数、およそ二千。

対するオークは、わずかに二百──しかも半数は傷や飢えで立つのもやっとだ。

これは戦いではない。ただの虐殺になる。


「……死んだぞ、スログが」

低く誰かが呟いた。


主将スログの死体は、見開いた瞳で石床に横たわっていた。

人間の矢が額を貫いている。勇猛だったが、運がなかった。

指揮所から顔を出した瞬間、あっけなく死んだ。


この惨状に誰もが答えを求めていた。

崩れた天井の隙間から冷たい風が吹き抜け、埃が死者の瞳を曇らせる。

それが、沈黙の終わりだった。


──もう、選ぶしかない。

死者の後を追うか、先へ進むか。


壁際に身を寄せる者たちの中で、一人が立ち上がった。

その動きに、周囲の空気がわずかに張り詰める。緑の肌が常のオークにあって、あまりにも異質。

漆黒の皮膚、黄金の瞳。

闇の中で輪郭が揺らめくようなその姿は、視線を奪った。

彼は廊下をゆっくりと歩き出した。

足音はほとんど響かず、ただ視線だけが鋭く全員を貫く。


オークの古い言葉で「黒き皮膚」と呼ばれる者──バルド。

人間の武器を扱い、無から産まれた《呪われた子》。

だが、その嗅覚は迫りくる死の匂いを正確に捉えていた。


「敵は、力で砦を落とすつもりだ」

低く、よく通る声だった。

「だが……我らは、この砦を《壊して》戦う」


周囲がざわめく。

バルドは包帯と油壺、弓を地面に置いた。

その背後、崩れかけた西の塔やひび割れた高窓が、月明かりに照らされて浮かび上がる。

「火矢を作る。戦えぬ者も手を動かせ。東を手薄に見せ、敵を引き込む」


嗤う者がいた。

《忌み子》が指揮を執るなど、と。


「命令ではない」

一歩踏み出し、黄金の瞳が笑い声の主を射抜く。

「選べ。逃げて殺されるか、ここで牙を剥くかだ」


杖を突く音が響く。

階段から降りてきたのは、年老いた族長だった。

一拍の沈黙ののち、彼は言った。

「……この者の言葉に従え。黒き子は、生き延びる術を知っておる」


夜が迫る。

──後に人間の指揮官はこう語った。

「オークの砦には、死が棲んでいる」

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