day2.風鈴

 風鈴がチリンと鳴って、振り向くと彼女がいた。


「理人、仕事は終わった?」

「もう少しで終わります。お待たせしてすみません、レイラさん」

「いいわよ。私、あなたが仕事してる横顔、好きだから」


 レイラさんは少しすました顔で横を向き、近くの椅子に腰かけた。


 ここは祖父が所持するマンションの一つで、僕は管理人のバイトをしている。掃除や簡単な修理、庭木の手入れ、それに業者とのやり取りも最近は任されるようになった。

 今は造園業者に依頼するための資料を作成中。

 とはいえ、造園屋は顔なじみで、ほとんど兄みたいな人だ。だから、きっちりした資料じゃなくても、「いい感じで」と伝えれば、予算と時期さえ押さえておけば、本当に「いい感じ」に仕上げてくれる。

 それでも依頼書をきちんと作るのは、あの“兄”に認めてほしいからかもしれない。何をだろう? 自分でもうまく言葉にできない。僕も少しは大人になったと、一番かっこいいと思っているあの人に伝えたくて。


「理人、そこの数字が違うわ」

「えっ、どこですか?」

「ここ。大きな問題にはならないけど、こういう細かいところで信用って少しずつ減っていくの」

「……ありがとうございます。レイラさん」

「い、いいわよ、別に」


 レイラさんは僕の年上の彼女で、とてもきれいで、少しつっけんどんだけど、優しくて魅力的な人だ。今も、さっきの言い方を少し後悔していたり、僕のお礼に照れていたりする。


「それ、須藤のところに持って行くの?」

「はい。庭木に関しては、藤乃さんに任せれば間違いないですから」

「信用しているのね」

「信頼してます」


 言い直すと、レイラさんが小さく唇を尖らせた。本当に、愛らしい人だ。


「レイラさん、キスしてもいいですか?」

「は? な、なんでよ。理人、まだ仕事が終わってないじゃない」

「レイラさんがかわいいから、触れたくなりました」


 そう言ったら、レイラさんはわかりやすく顔を赤くした。


「馬鹿言わないで。ちゃんと終わらせて。デートに行くんでしょう? ……私、楽しみにしてるんだから」

「そう言われちゃったら、我慢するしかありませんね」


 赤い顔のままそっぽを向いたレイラさんから目を離し、机に向かった。

 また風鈴がチリンと鳴って、夏のぬるい風が部屋を通り抜けた。

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