第14話 弟


「はぁ? 藍が?」

「……里山から姿が見えなくなったって、学校から連絡があったの」


 大学二年の久遠葵には、兄が一人と弟が一人いた。兄は既に社会人で家を出ており、弟の藍はまだ高校二年なのだが、その藍が行方不明だと学校から連絡が来たらしい。母の顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうだった。


「お母さん」

「まさかとは思うけれど、あの里山なんて……」

「そもそもどうしてあんなところに行ったのよ」


 聞けば、単なる肝試し感覚だったようだ。高校生ならではの好奇心と怖いもの知らずの行動。その結果、夕方にもなる頃に里山に赴き、気が付いたら四人のクラスメイトがいなくなっていた。どれだけ声を掛けても、探し回っても姿見えず、夜遅くなってから学校に連絡がきたという。


「迷っただけだろうからすぐに帰ってくるとは思うけれど、一応警察に連絡をしますと、先生は仰っていたわ」

「……普通ならそうなるだろうけど」


 普通ならばそれでいい。単なる迷子か、それともどこかで怪我をして身動きできないか。明るくなればそれもわかる。学校は家で待っていてほしいと告げてきたらしい。


「お父さんに探しに行くようにお願いするわ。葵は出れそう?」

「もちろんよ。お母さんは待ってて」

「私も行くわ」

「万が一、本当に帰ってくるかもしれないでしょ。だから待っていて」

「……そうね、そうするわ。葵、お願いね……」


 そうして葵は夜遅くに里山に探しに出かけた。途中で父と合流し、手分けして探した。藍の痕跡を。どこかに潜んでいないか。怪我をしているのではないかと、大きな声で呼びかけた。それでも聞こえるのはお互いの声だけだ。


「お父さん……」

「……葵、帰ろう」

「でも!」

「これ以上は危険だ。この里山は異界に繋がっている。俺たちまで行方不明になるわけにはいかない……」


 半ば無理やり父に引っ張られて戻ってきた。それが藍が姿を消した当日のことだ。その日から、毎日探し続けた。葵は諦めなかった。時に、警察の捜索に混ざって。けれど、両親はその日以来、藍を探すことはなかった。


「お父さん、どうして⁉ 心配じゃないの⁉」

「……葵」

「なんで……」

「よく聞け。藍は……あの子は里山にはいない」

「なんでそんなこというの⁉」

「あの子の力が感じられないからだ」


 淡々と父はそう告げた。それは通告でもあった。

 久遠家は別に特殊な家庭というわけではない。傍目には一般的な家庭に映るだろう。だけれど、久遠家に住む誰もが霊力を持って生まれた。両親もそうだった。その両親の下に生まれた兄も弟も、そして葵自身もそうだった。見えすぎるのが嫌だと、藍は特殊な眼鏡をかけるほどに、そういう力は身近にあったのだ。

 あの里山は危険だと両親がいったのはいつのころだろうか。兄は話半分に聞いていていたが、それでも近づくことはなかった。葵もだ。藍とて気にはしていただろう。自ら危険に飛び込むような馬鹿なことはしない子だった。それがどうして里山になどいったのか。クラスメイト全員で向かったという里山。お年寄りは近づくなとばかりに、里山に関する逸話を広げていた。だがそんなものは、高校生たちにとって何の意味もなさない。信じるわけもなく、衝動のまま走り抜けたのだろう。


「そんな、ことのために藍は巻き込まれたっていうの⁉」

「葵」

「だって」

「気持ちはわかるが、だがそれを誰に言ったところで理解するものはいない」


 そう話す父親の手は震えていた。だからこれ以上葵は何も言えなかった。悲し気に笑う母と父。憤りがあっても、それを誰かに伝えることはできない。どうしようもない感情を抑えることに、両親は必至だったのだ。


 そんな時、藍と共に行方不明とされていた二人が見つかった。決定的だった。両親も、気を落とさぬようにと警察から言われていたが、気を落とさないでいられるわけがなかった。

 退院したという藍の友人の一人潮崎卓也。中学時代から付き合いなので、当然葵も顔見知りだった。そんな卓也からの話は、想像とは少し違っているが、理不尽であることに変わりはない。そして結果も。


「鬼、妖……ほんとうに、そんな世界があるなんて信じがたいけど」

「夢だったらどんなにいいかって……何度も思いました」

「そうでしょうね」


 これまで一度もそういう存在と関わったことがない卓也たち。突然放り込まれた世界でどれだけ怖かったことか。そう考えれば、同情できないわけじゃない。でも、それでも――。


「あと、これは藍から渡してほしいって言われてて……」

「こ、れ……」

「藍の眼鏡です。もう使わないからって」


 蝶番のところに名前が入っている。間違いなく藍のものだ。いつも眼鏡をかけていた。父が藍のために用意した特殊な眼鏡。


『姉さんはいらないの?』

『もう慣れた。藍もしない方がいいと思うけど? それかっこ悪いじゃん』

『余計なものを見られないならそっちの方がいい。いちいち邪魔なんだ、あれ』


 そんな風に文句を言いながら、眼鏡を大事に使っていた。妖が住む世界ならば、確かに必要ないだろう。だが葵にとって、これは藍からの別れの言葉に見えた。せめてこれだけでもと。


「な、んで……連れて帰ってきてくれなかったの……? なんであんただけのうのうと帰ってきたわけ? どうして藍なの⁉」

「……すみません」

「あんたたちが馬鹿なこと考えて、里山なんかにいかなければ藍はここにいたのよ!」

「……はい」

「楽しければそれでいいって、周りのこと考えないで、自分たちのことばっかりで……そんなことした結果がこれ?」


 卓也の所為じゃない。否、卓也だけの所為ではない。藍とて行かなければ良かっただけのこと。葵とてわかっている。そして恐らく卓也自身も強く感じていることも。これ以上せめてはいけない。もう葵にはこれしかできることはなかった。


「馬鹿!」

「っ⁉」


 卓也の頬に葵の平手が痛快に決まった。




 

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