第10話 特別じゃない日々の中で
楽しくて長かった夏休みも明け、9月も初旬。二学期最初のホームルームだ。
そこで担任が「文化祭のクラス企画を決めます」と宣言した途端、教室に微妙な空気が流れた。
“誰が最初に手を挙げるのか”という、よくある沈黙。
俺はというと、静かに教科書に目を落としてやり過ごす構えだった。が―― 。
「はーい! 喫茶店やりたいです!」
元気よく挙手したのは、当然のように辻本温花さんだった。
「理由は?」と先生が聞く。
「ケーキが食べたいからです!」
堂々たる私利私欲である。
でも、彼女の天然の圧に押される形で、クラスは「喫茶店」でまとまった。恐ろしい吸引力だ。
そして、その日の放課後。
「ねえ愛翔くん、“創作メニュー係”一緒にやろうよ!」
そう言って、温花さんが俺の腕を引っ張った。
「……え? 俺、まだ何も決めてないけど?」
「うん。でも愛翔くんって、ちょっと味覚が“やさしそう”だから!」
……その表現、初めて聞いたな。俺は気になって――。
「どういう意味?」
「だって、なんか、変なもの食べても『こういう味もあるのか〜』って受け入れてくれそうじゃない?」
「肯定してるようでだいぶ失礼な評価だよね、それ⁉」
でも、彼女が嬉しそうに笑うと、なぜか断りづらくなる。
そして面倒事になる気はしていたが、その予想はすぐに現実になった。
翌日の放課後。
教室の隅の机に並んだ試作メニューに、俺は言葉を失っていた。
「うわ、ほんとに青い……。ていうか、これって食品なの?」
炊飯器を開けた瞬間は、真夏のプールの底みたいな青色が広がった。
「大丈夫だよ! 食紅とラムネで色つけただけだもん! ほら、食べてみて?」
彼女が大丈夫だと言い張るこれはラムネの炊き込みご飯らしい。
「……いや、見た目が夏休みの自由研究にしか見えないけど……」
俺の前に差し出された炊き込みご飯(青)は、想像以上にインパクトがあった。
とりあえず一口だけ食べてみる。……想像以上に味が薄い。ラムネの存在感が行方不明だ。
「どう? 味、夏って感じする?」
「うーん……夏っていうか、氷っぽい何かを感じるよね。あと、米がしょんぼりしてる」
「しょんぼり米か〜! なんか名前ついてきた気がする〜!」
「いや、それは商品名にしない方がいいと思う……」
続いて彼女が出してきたのは、『夕焼け味のゼリー』。
「これ、何が入ってるの?」
「うーんと、三色ジュース混ぜて、食用ラメも入れてみた!」
「……ラメ? 食べられるって言っても、ラメって必要だった?」
「だって、夕焼けって、キラキラしてるじゃん!」
発想はわかる。わかるけど、実行に移すとここまで方向性が迷子になるのか。
混ぜてから固めてしまっているから、夕焼けゼリーは、混ぜすぎた絵の具のように赤と橙がくすんで、もはや夕立後の水たまりみたいな色をしていた。
このままだと、文化祭当日がカオスになる未来しか見えない。
それに少し手間がかかりすぎる。だから、少しだけ現実寄りの提案をしてみた。
「……じゃあさ。金魚プリンとかはどう?」
「わあ! かわいい! 上にさ、グミの金魚浮かべたらいいかも〜!」
「うん。それくらいなら……ギリギリ、喫茶店の範囲内かもな」
そのとき。
教室のドアの隙間から、こっそりのぞく人影があった。
そして誰かが一言、ぽつり。
「……あのふたりの世界観、もはやアートじゃない?」
そして翌日から、“天然×天然の創作コンビ”として俺たちは静かに注目を集めるようになったのだった。
文化祭まで、あと一週間。
俺たちはほぼ毎日、放課後に創作メニュー班として教室に残っていた。
「ねえ愛翔くん、お祈りしながら飲むミルクティーってどう思う?」
「……まず、祈る必要ある?」
「うーん……飲んだ瞬間、奇跡が起きるといいなって思って!」
「なるほど……で、ミルクティーの味には、奇跡、あるの?」
「ふつうに紅茶と牛乳だけなんだけど、心で味わうタイプ!」
「もう完全に哲学じゃん、それ」
あと、それは詐欺になる可能性があるからやめた方がいいと思う。
温花さんの発想は毎回突き抜けているけど、どこか楽しいから不思議だ。
否定したくても、否定しきれない想像力の暴走。
それに、傍にいると俺まで、ちょっと感覚が麻痺してくる。
「……で、実は、俺もちょっと試作してみたんだ」
「えっ⁉ ほんと? 愛翔くんが⁉ すごい! 奇跡だ!」
「いや、奇跡って言うほどじゃないけど……」
机の上に、小さなゼリーカップを置く。
透明の寒天の中に、小さな金魚グミと、下にはミカンのシロップ漬け。
「“金魚鉢ゼリー”。上にミントの葉、のせてみた」
「……えっ、なにこれ……めっちゃ可愛い……!」
温花さんの目がキラキラしていた。
その表情を見て、ちょっとだけ誇らしい気持ちになる。
「愛翔くん、センスあるよ! 見た目もきれいだし、味も絶対おいしい!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
放課後の教室に、ふたりの賑やかな声が響いた。
その時間が、なぜかとても心地よかった。
そしてゼリーを一口食べた、彼女の感想は――。
「……このゼリー、奇跡の味がするよ!」
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