逃げるしかない(アイリスSS)
ヴィオが生まれて幸せの絶頂だった私達、その平穏で幸せな毎日は本当に突然終わりを迎える事となる。
秋になったばかりのある日、珍しく焦った様子のテリューが我が家を訪ねてきた。
「テリュー、どうしたの? なんだか顔色が悪いわ」
訪ねてきたテリューは言葉を詰まらせ、目が泳いでいる。
「あぶっぶぶ~! あううぅぅだぁ!」
「可愛いなぁ~、ヴィオた~ん、あぶぶぶ~」
寝室ではご機嫌なヴィオがフィルに遊んでもらっている声が聞こえているけど、テリューの顔色はその声を聴いて更に悪くなったように見える。本当にどうしたのだろうか。
「フィルに……。フィルを訪ねて客が来てるんだ」
只事ではない事が起きているとすぐに分かったので、詳細は聞かずにフィルを呼びに行った。本人は全く心当たりがないと言っているけれど、まずはその人に会ってみないと何とも言えないと出かけて行った。
妙な不安が心に湧き上がってくる。
(アダームの時に感じたあれと同じ? いやいや、この時代に聖女が現れたなんて聞かないし、何なら聖女は大量にいるもの。大丈夫、ただの指名依頼だよ)
自分に言い聞かせながら、なにも理解していないだろうヴィオの柔らかい頬をつついて時間が過ぎるのを待った。
結局、私の嫌な想像は当たっていた。
フィルはメネクセス王国の第三王子だったらしい。おとぎ話みたいじゃない?
前世の婚約者は勇者で、生まれ変わった結婚相手が王子様って。
それでどっちも別れることになるなんて、クソビッチが言ってたように前世のヒロインはあの女で、今世は……誰なんだろうね。私じゃない事は確かなんだろうね。
フィルはメネクセス王国を出てもいいって言ってくれた。だけど、宰相からも、ギルマスからもフィルの代りはいないって、国が荒れたらヴィオが成長する時にも大変な思いをするって、そんなことを言われたら、送り出すしかないじゃない。
「アイリス、アイリス……」
「うん、ヴィオの事は私がしっかり育てる。2人分、重たいって言われるくらいたっぷり愛情を注いで育ててみせる。だから、フィルも頑張れ。
側にいてあげれなくてごめん。フィルの味方がいるかも分からない場所に一人で行かせてごめん」
そう、私だけが辛い訳じゃない。貴族社会で生きてこなかったフィルが大国の、それも頂点に立つことになるのだ。きっとそれは孤独で大変な事だろう。
その隣で支えてあげることも、悩みを聞いてあげることもできない。私とヴィオはきっと彼の弱みになってしまうから。
涙を零せばきっとフィルは動けなくなる。だから、最後まで笑って見送るよ。
「アイリス、これはメネクセス王家の国宝なんだって。対になっていてね、片方は俺の父親だという国王が持ってるらしい。
これは魔道具でね、二つのペンダントが近くにくると引き寄せられるんだって。だからこれはアイリスが持っていてくれる?」
「え? 国宝なんでしょ? お父さんとの親子関係云々のあれで渡されたんじゃないの?」
「これを持っていない事で親子じゃないと言われるなら、喜んで戻ってくるよ。それよりしばらく離れるしかないアイリスに持っていてほしいんだ。
必ず迎えに来る。亡くなった兄の王太子には子供が2人いてね、そのうちの1人が今4歳なんだって。弟の方はまだ1歳だから、兄の方が成人した時点で王位を継承することを約束させたんだ。だから俺は中継ぎって事だね」
渡されたペンダントをギュッと握りしめる力がこもってしまう。それって、もしかして。
「だから、12年待っていてほしい。勿論その間にアイリスに好きな人が出来たなら……」
「馬鹿! 待ってる。待ってるに決まってるじゃない……」
「ごめん、ありがとう」
12年、フィルはヴィオが歩きだすのも、洗礼式を迎えるのも、冒険者としてデビューするのも見れないんだね。
一緒に過ごせないのは悲しいけれど、だけどあの時とは違う、帰ってくることが約束された12年だ。それなら私は待っていられる。
ヴィオに何度もキスをして、忘れないでほしいと言い残してフィルは旅立った。
翌日には〔土竜の盾〕の皆が来てくれて、それからはほぼ毎日誰かが家に来てくれるようになった。皆が居てくれて本当に良かった、ありがとう。
フィルが居なくなって一年が過ぎ、ヴィオがヨチヨチと歩くようになり、家の裏に畑を作って薬草栽培をするようになれば、本人なりに頑張ってお手伝いをしてくれるようになった。本人は張り切っているようだけど、どう見ても土まみれになって汚れているだけにしか見えない。
だけどそんな姿も町の人からすれば癒しになっているらしく、万人に笑顔を振りまくヴィオはこの町の人気者になっていた。
カタコトだった言葉がたどたどしくも理解できる言葉を話すようになった2歳、皆が自分の名前を呼ばせようと必死になっているのが面白い。
ネリアは随分調合が上手になり、魔道具作りにも興味があるらしいので魔石の魔力移動の練習から始めると操作が上手になることを伝えた。
「こんなことができるの?」
「うん、時間はかかるけどね。このペンダント、私が持ってると動かないかなってずっと気になっちゃうと思うの。12年って言われてるけど、もしかしたら早くなるかもって。だからヴィオに持たせようと思っててね、どうせなら身を守れるような魔法陣を魔石に刻んでペンダントにくっ付けようと思ってるの」
白く変色しつつある魔石をネリアに見せたら驚きのあまり固まっていた。魔石は使い捨てが常識であり、魔石に込められた魔力を使い切るとパリンと割れてサラサラと砂になるのだ。だから魔力を補充できるということも知られていないし、今ある魔力を押し出して染め直す事が出来るなんて誰も知らないだろう。
私が知っているのは前世でやらされたからだ。あの頃は魔力が足りずに成功しなかったんだけど、4歳から魔力操作で鍛えた私は練習すれば出来るようになった。
今作っているのは聖属性の魔石。聖属性の結界は魔獣を弾くことは既に分かっている。だからヴィオを悪しき全てのものから守れるように、ヴィオの魔力が切れそうになる危機的状況の時にはこの子を聖結界で包み込めるように、そんな魔道具を作りたいのだと言ったら、ネリアは笑いもせずに「絶対にできる! だけどアイリスを護る物も作らないと駄目だからね!」と言ってくれた。
うん、そうだね、ヴィオを護るためにも、私が元気でいないとだね!
夏の終わりに、いつか見た生真面目そうな眼鏡が家に来た。
「はじめまして、私はメネクセス王国の宰相を務めております、アーゴナス・オスマンと申します」
ああ、やっぱりフィルを呼びに来た国の偉いやつだね。っていうかコイツ以外にも気配があるけど、町の外って事はお供って訳ではない?
そう思ったけどとりあえず家に招き入れる。ヴィオの顔は見られたくない、瞳の色でフィルにあの態度を取った奴だ、ヴィオの瞳の色を見て王都に連れて行くとか言われたら正気でいられなくなる。
ジロジロと家の中を見回しているけど、言葉や態度のすべてに平民を見下す態度が透けている。まあどうでもいいけど。
さっさと要件を話してほしいとお茶を出せば、顔面に不味いと書いてある。貴族は表情に出さないのが当り前と習うはずなのに、ああ、平民相手だから隠す必要もないって事なのね。
もう一度要件を聞けば、フィルが国内で力を持っている公爵家の長女と結婚することになったと聞かされた。まあそうなるだろうなとは思った。
だけどその後に聞かされた内容に驚くしかなく、そして外に感じた気配がその公爵家縁の者である可能性が高くなった。
令嬢からすれば「愛することはない」「結婚はあくまでも仮であり、自分は中継ぎだ」なんて言われたら怒りしか湧かないだろう。
なるほど、それでこの眼鏡がコッソリ出かける先に妻がいるだろうって事で尾行してきたって事ね。んでこいつはそれに気付きもせずに案内しちゃったわけか。どうしようもないな。
治世が落ち着けば王都に来て側妃にとか言ってるけど、こいつは阿呆なのか? フィルさえいてくれたらいいとはあの時にも言ってたけど、まあそういう事なんだろうね。私とヴィオの危険性など全く考えていない。
いや、逆に死んでしまった方が後腐れなく、中継ぎなどではなく長期残ってもらえると思ってるのかな? ああその可能性の方が高いね。もしかしたらあの尾行者も分かっていて連れてきたのかな? だとしたらすぐにでも出発しないと危険だね。
「――申し訳ありません。それでは出来るだけ速やかに国外へ出て頂きたいのです。
公爵家には優秀な諜報活動をしている者達がおります。この場所が見つかるのも時間の問題かと……」
「そうですか。では明日にでも出発いたしますわ。長男君が成人するまで10年ですね。その頃にまたこちらに戻ってくることにしますわ」
そう伝えれば拍子抜けしたような顔をした後、よろしくといって帰って行った。流石に今日はどこかの宿へ泊るんだろうけど、さて〔土竜の盾〕の皆に別れを告げる時間もなさそうだね。
眼鏡が消えた後、しばらく留まっていた気配は眼鏡が向かった宿の方へ行ったので、今日こちらに戻ってくることはないだろう。だけどすぐにでも動かないと危険だね。
ネリア達に向けた手紙を書き、仕掛け箱に入れて調合室の棚にしまっておく。願わくば土竜の誰かが見つけてくれます様に!
そしてすぐに必要な荷物をマジックバッグに突っ込んでいく。家財道具はいらないけど、コップとかは最近ヴィオが気に入ってる物もあるし持っていこう。
手あたり次第詰め込めば、部屋の中は伽藍洞となってしまったけど、まあもう戻ることはないと気付いてもらった方が良いでしょう。
眠り草をほんの少しだけ夕食のスープに混ぜた。冒険者装備までは行かないけれど、防御の魔法陣を刺繍した衣装を身に着けさせて、抱っこ紐で固定する。
夜の闇に紛れて家を出た。
もうこの国には戻って来れないかもしれない。だけど、このペンダントがあればフィルなら見つけ出してくれるはず。
皆、何も言わずに出ていくことを許してね。また会おう!
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