暴君転生 ~革命で死んだ暴君は再び暴君に返り咲く~

第616特別情報大隊

帝国の黄昏

……………………


 ──帝国の黄昏



 華々しい文明の都であった帝都は、今や死の街と化していた。


 市街地は崩壊している。かつては帝都を守る城塞が存在し、今は大規模な環状道路となったフェルディナント通りは、空からではもはや認識することすらもできない。


 美しかった夏の宮殿は月面のようにクレーターだらけとなり、歴史のあったボニファティウス大聖堂も今や燃え落ちた廃墟と化している。


 国会議事堂も、中央省庁の庁舎も、あらゆるものが破壊された。


 かつて偉大さ誇ったオストライヒ帝国の帝都カイゼルブルクには、ただただ石の山が広がっていたのだった。


 そして、そこでは未だ権力を手放さない皇帝アルブレヒトに忠誠を誓った政府軍と外国勢力に支援された反乱軍が最後の戦いに臨んでいる。


 崩壊した通りを反乱軍の戦車と装甲車が進んでいく。赤旗を掲げた反乱軍の歩兵たちがそれに随伴し、建物ひとつひとつ、その部屋のひとつひとつに立て籠もった政府軍と激しい戦闘を繰り広げていた。


 機関銃の銃声がけたたましく響き、戦車の履帯が立てる重々しい音がそれに加わる。それ以上に砲声は止むことなく響き、市街地の民間人ごと帝都は砲撃されていた。


 ときおり航空機のエンジン音がそれに加わる。


 それは海外勢力が派遣した航空機による爆撃である。病院が爆撃を受けて崩壊し、老人も赤子も死んだ。懸命に命を救おうとしていた医療従事者たちも死んでいく。


 教会も病院も砲爆撃に晒された。反乱軍に包囲された民衆にとって逃げ場であった場所であった、その場所を狙った攻撃によって多くの罪なき民間人が死んでいった。


 民衆のための革命。悪しき独裁者の打倒。


 そう訴えてきた反乱軍にとって、もはや帝都に暮らすものは自らの同胞や友人ではなく、独裁者たる皇帝に尻尾を振った裏切り者どもに過ぎなかったのだ。


 こうして赤旗の虐殺者たちは進軍し、カイゼルブルク市街地のほとんどが陥落。皇帝を守る政府軍はもはや主導権を完全に喪失していた。


「……陛下。カイゼルブルク大学の第1警察軍装甲擲弾兵師団本部より最後の通信です。これよりフリックス上級大将自ら指揮を執って内務省の奪還を目指すと」


 帝都中心部の冬の宮殿地下に設置された皇帝大本営。


 そこで陸軍参謀総長のフリードリヒ・フォン・ファルケンハウゼン元帥が彼の仕える人物──オストライヒ皇帝アルブレヒトに報告した。


 アルブレヒトはその報告を陸軍大元帥の軍服姿で聞いていた。


 齢30歳となる若き皇帝は神話に語られる妖精エルフのように長身で整った顔立ちをしていた。その美しい金色の髪を戦時下にて、敗北間際な今においても、かつての騎士たちを真似た長髪にしている。


 しかし、かつてその碧い瞳にあった煮えたぎるような野心の色は既になく、瞳には空虚な輝きだけが残されていた。


「ファルケンハウゼン元帥。奪還の見込みはあるのか?」


「不可能です。第1警察軍装甲擲弾兵師団は戦力の8割を既に喪失。戦えません」


「つまり文字通り、最後の抵抗か」


 アルブレヒトはため息交じりにそう呟く。


「望みがあるとすれば、アルフェンスレーベン戦闘団だけだな。この包囲を解囲する見込みがあるのは、それだけか?」


 アルフェンスレーベン戦闘団は郊外にいた皇帝親衛軍と民兵の残余戦力をかき集めて組織された戦闘団カンプフグルッペで、今現在カイゼルブルク解囲に向けて機動中という知らせがあった。


「……恐れながら陛下。状況から鑑みまずにアルフェンスレーベン戦闘団も既に壊滅したかと。連絡が途絶えてから既に10時間以上が過ぎています」


「そうか…………」


 ファルケンハウゼン元帥の報告にアルブレヒトは静かに瞳を閉じた。


 帝都は陥落寸前。忠誠を誓う僅かな皇帝親衛軍と警察軍部隊が決死の抵抗を行っているが、その戦いの先に勝利のビジョンは、もはや欠片も存在していない。


「ファルケンハウゼン元帥。あとのことは委任する。最後まで抵抗を努力せよ」


「はっ!」


 帝都は落ち、ここにも赤旗が翻ることは確実。


 アルブレヒトはそのような中、宮殿地下の私室に入った。


「陛下。お疲れでしょう。今、お茶をお入れしますよ」


 そういうのはプラチナブロンドの髪をしたアルブレヒトと同年代ほどの女性で、質素なワンピースを身に着けていた。おっとりとした垂れ目の、優しげな雰囲気を隠しきれない人物だ。


 その微笑みの浮かぶ顔には分厚いレンズのメガネをかけている。彼女は後天的な障害で視力が弱いのだ。


「お茶はいい、ユーディト。今はただここにいてくれ」


 彼女はユーディト。アルブレヒトの妻であり皇后だ。


「ユーディト。どうやら俺たちは戦争に負けたらしい」


「そのようですね……」


 ソファーに座ったアルブレヒトが力なく言うのに、ユーディトは彼の隣に座り、慰めるようにその手を握った。


「こうなったのも俺の暴政のせいなのか……」


 アルブレヒトは決して善良な君主ではなかった。


 彼は時代錯誤な皇帝親政に囚われ、まずは反体制的な言論を弾圧した。新聞、ラジオ放送、、そして生まれたばかりのテレビ放送は検閲されるようになり、オストライヒからは言論自由が消えた。


 それでも体制に反発するものが現れると、彼は武力をもってして弾圧を始めた。アルブレヒトの命令で裁判もなく反体制派の指導者や構成員が投獄され、ときとしてそのまま処刑された。


 さらに生じた暴動はもちろん平和的なデモすらも戦車と機関銃で粉砕し、通りを真っ赤な血に染めることまでやった。


 彼はそんな暴君であったのだ。


 それでも生き延びた反体制派は暴力による革命を試み、海外勢力を呼び込んで、ついには内戦を引き起こした。


 アルブレヒトはそれも武力で鎮圧しようとしたが、周囲で敵に回していた海外勢力が帝国の分裂を見過ごすわけがなかった。彼らは内戦に介入し、内戦を激化させ、帝国の大地は臣民の血で満たされて、焦土と化した。


 今はまさに帝都が同じように焦土と化している。


「残念だが、もうどうしようもない。帝都を解囲する試みはもう全て失敗した。警察軍も、皇帝親衛軍も壊滅だ。陸軍も僅かにしか忠誠を誓っていない」


「どうなさるのですか?」


「……俺は逆賊どもに死体を晒されるつもりはない。お前の死体もだ、ユーディト」


「そうでしょう。私も覚悟はできていました」


「すまんな。本当にすまない…………」


 アルブレヒトはそう言ってユーディトを抱き寄せ、彼女を抱きしめた。


「陛下。準備ができました」


 ここでアルブレヒトの侍医であるテオドール・グラヴィッツが皇帝親衛軍の将兵に護衛されてやってきた。


 彼の持つ盆には水で満たされたガラスのコップがふたつとカプセルが2錠あった。


「ああ。それを使うのだな?」


「はい、陛下。安らかにお眠りできるかと思います」


 グラヴィッツは僅かな罪悪感を見せながらもそういって頷いた。


「ご苦労だった。あとのことは任せる」


「はい、陛下」


 グラヴィッツは盆をテーブルに置き、立ち去った。


「俺の我がままに付き合わせて悪かった、ユーディト。俺の愛した唯一の女よ」


「何度でもお付き合いしますよ。何度でも、何度でも」


 そして、ふたりは自殺のためにグラヴィッツから渡された青酸カリのカプセルを飲み下し、その生を終えた。


 帝歴1970年。皇帝なきオストライヒ帝国は崩壊した。



……………………


………………


………



 アルブレヒトは目覚めた。


 彼は自分が死に損なったのかとうろたえる。もう二度と目覚めることなどないはずだったのだ。


 それが目を覚ましてしまった。


「誰か!」


 混乱が生じ、思わず声を上げてしまう。


「あら? どうされましたか、殿?」


 その声に応じるのは聞きなれた声。ユーディトの声である。


 声の先には妻であるユーディトがいた。しかし、それは明らかに若返っている。


 アルブレヒトより3歳年下であるユーディトはあの自決のときに既に27歳の誕生日を迎えていたはずだったはず。だが、それが今では10代に見える。


 それに何より目だ。彼女はまだあの牛乳瓶底のような分厚いレンズのメガネを付けていない。あれがなければ彼女は何も見えないほど視力が悪化していたというのに。


 アルブレヒトは状況が呑み込めず、ユーディトをじっと見つめる。


「お前……若返ったか?」


「ふふふ。殿下、それは褒めてくださっているのですか? それともこのドレスは今回の式典の場ではちょっと子供っぽいでしょうか? そうであるならば今からでも選びなおしますが……」


「待て。そうではない」


 アルブレヒトはユーディトの心配そうな表情を見て首を横に振る。


「帝都はどうなっている? 今は何が起きている?」


 帝都は戦場になっていたはずだ。反乱軍の赤旗があちこちに翻り、激しい砲爆撃に晒されていたはずだ。


 しかし、今はとても静かだ。砲声どころか、銃声のひとつもしない。反乱軍が全員心臓発作でも起こして、戦争が突然終わりでもしない限り、こんなことはあり得ない。


 ここは帝都ではないのか? とアルブレヒトは迷い、不安になり始めていた。


「緊張されているのですね。今日は殿下の立太子の式典の日ですよ」


 そんなアルブレヒトを安心させるようにユーディトが告げる。


「立太子の日……」


 それはアルブレヒトが16歳のときに行われたものだ。


 あの帝都の冬の離宮地下での自決が行われたきっかり14年前。


「……ははははっ! ははははははははっ!」


 アルブレヒトは大笑いした。狂ったように笑った。


「そうか。そうなのか。俺を目覚めさせたのが神か悪魔かは知らないが、俺はまだ負けてなどいないというか。それであれば答えてやろうではないか……!」


 アルブレヒトは知った。人生が巻き戻ったことを。


 彼は一度目では失敗した。しかし、二度も失敗するつもりはない。敗北するつもりも同様になかった。


 であるならば、次は暴君とは真逆の善良な統治者であることを目指すか? 人々にパンとミルクを与える心優しき統治者になることを目指すのか?


 いいや。その問いへの答えはノーだ。


 彼は一度目の人生を悔い改めることすらも拒否するつもりだ。



 彼は再び暴君なることを決意した。



……………………

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