第33話 揺れる心
談話室で遥香ちゃんが口にした言葉が、私の頭の中で何度も響いていた。
「私、今でもかなちゃんのことが好き。バディになりたいし、もし可能なら……恋人にもなりたい」
その瞬間、カナちゃんの表情が変わったのを私は見逃さなかった。
驚き、戸惑い、そして……喜び?
いつものカナちゃんなら、すぐに否定するか、困ったような顔をするはず。
でも今のカナちゃんは違った。
明らかに、遥香ちゃんの告白に心を動かされていた。
「そんなことない。ボク、君のことを嫌いになったことなんて一度もないよ」
カナちゃんのその言葉に、私の胸がぎゅっと締め付けられる。
「それに……君に好きだって言ってもらえて、正直、すごく嬉しい」
――嬉しい。
その一言が、私の中で何かを壊した気がした。
カナちゃんは私の手を握りながら「ボクには結がいる。結がボクの一番大切な人だから」と言ってくれた。
でも、その前に口にした「嬉しい」という言葉の方が、私の心に深く刺さっていた。
遥香ちゃんが涙を流しながら「気持ちを教えてくれて、ありがとうございます」と言ってくれた時、私は自然に微笑んで「私たち、これからも友達でいてくださいね」と答えた。
でも心の奥では、全然違うことを考えていた。
(カナちゃんが……遥香ちゃんを嬉しそうに見てる)
(なんで、そんな顔するの?)
(私だけを見てくれてたんじゃないの?)
いつもなら、カナちゃんの幸せが私の幸せだった。
カナちゃんが笑ってくれれば、それだけで世界が明るくなった。
でも今は違う。
カナちゃんが遥香ちゃんに向ける優しい視線を見ているだけで、胸の奥が黒く染まっていく。
食堂での昼食中も、私はずっと上の空だった。
真嶋さんが実戦任務の話をしても、玲さんが明るく話しかけてくれても、頭に入ってこない。
ただ、カナちゃんが時々遥香ちゃんを見る横顔ばかりが気になって仕方なかった。
翌日の初任務は、あっという間に終わった。
東部の工業地帯で、真嶋さんたち大人組が低級悪魔3体を効率よく討伐。
カナちゃんと遥香ちゃんは、後方で見学していただけだったけれど、プロの戦い方は本当にすごかった。
玲さんのスピードと瀬名さんの冷静な判断、巽さんの的確な槍捌き、真嶋さんの圧倒的な剣技。
リンクによる映像越しに、私も見ることができた。でもカナちゃんの方がもっとすごい。1人で部隊のみんなを制圧出来ちゃうくらい凄いんだ。
「すごかったね」
任務終了後にカナちゃんが目を輝かせて言った。
「うん、本当に」
私も答えたけれど、正直なところ、戦闘の詳細はあまり覚えていない。
ずっと、カナちゃんの横顔を見つめていたから。
遥香ちゃんも「私も早く戦ってみたいです」と興奮気味に話していたけれど、
その時のカナちゃんの「遥香も強いから、きっとすぐに慣れるよ」という返答が、また私の胸を刺した。
(なんで、そんなに遥香ちゃんのことを見るの?)
(私のことも見て?)
でも、そんな気持ちを顔に出すわけにはいかない。
いつも通りの、カナちゃんを支える完璧な恋人でいなければ。
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夜、寮の部屋に戻ると、カナちゃんは少し疲れたような顔をしていた。
「お疲れさま、カナちゃん」
私がタオルを渡すと、カナちゃんは「ありがとう」と小さく微笑む。
「初任務、どうだった?」
「うん、すごく勉強になった。でも……」
カナちゃんが言いかけて、口をつぐむ。
「でも?」
「いや、なんでもない」
きっと、遥香ちゃんのことを考えているんだと思う。
そう確信した瞬間、私の胸の奥で何かがぐらりと揺れた。
いつものように一緒にお風呂に入って、いつものように並んでベッドに入る。
カナちゃんが私の方に向き直って、腕を伸ばしてくれる。
「結……」
カナちゃんが私を抱きしめながら、小さな声で呼びかける。
「なに?」
私も自然にカナちゃんの腕の中に収まりながら答える。
カナちゃんがしばらく黙った後、ぽつりと口を開いた。
「昨日の遥香の話なんだけど……」
私の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
「結は、どう思った?」
どう思ったって……何を求められているんだろう。
遥香ちゃんを応援しろってこと?
それとも、牽制しろってこと?
「遥香ちゃんの気持ち、すごく真剣だったと思う」
私は無難な答えを返す。
「うん……そうだね」
カナちゃんが頷いて、でもまだ何か言いたげにしている。
「実は……ボクも、遥香のこと、昔からずっと特別だった」
その言葉に、私の呼吸が止まりそうになる。
「ボクの初めての友達で。ボクについて来れるくらい強くて……ボクにとって、唯一のライバルだった。小さい頃は遥香と結婚するのかなとか考えてて、だから……」
カナちゃんの声が、だんだん小さくなっていく。
「遥香に好きって言われて、正直……すごく嬉しかった」
私は、カナちゃんの胸の中で身体を硬直させた。
「結が一番大事で、結がいないとボクは死んじゃうくらい大好きなのは本当だよ。生活の全てを結に任せてるし、物理的にも精神的にも結がいないと生きていけない」
カナちゃんが慌てたように付け加える。
「でも……遥香も、欲しい」
――欲しい。
その言葉が、私の頭の中で爆発した。
「ボクって、強欲で酷いよね。結がいるのに、遥香のことも考えちゃって」
カナちゃんが自己嫌悪するような声で続ける。
カナちゃんは、自分で自分を責めるように目を伏せていた。その声は、かすかに震えていて――まるで今にも泣き出しそうだった。
「二人とも手に入れたいなんて、最低だと思う。でも……嘘はつきたくないから」
私は、カナちゃんの言葉を聞きながら、頭の中が真っ白になっていた。
遥香も欲しい。
二人とも手に入れたい。
つまり、私だけじゃダメだってこと?
私がどんなにカナちゃんを愛しても、それだけじゃ足りないってこと?
胸の奥で、何かが沸々と煮えたぎっている。
それは嫉妬?憎しみ?それとも絶望?
(遥香ちゃんを……消しちゃえば……)
(そうすれば、カナちゃんは私だけを見てくれる)
(私だけのものになる)
そんな恐ろしい考えが、一瞬頭をよぎった。
でも、すぐに自分を抑える。
そんなことを考える私を、カナちゃんが知ったらどう思うだろう。
きっと、失望して、嫌いになって、離れていってしまう。
それだけは、絶対に嫌だ。
「結?」
カナちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「ごめん、変なこと言って。忘れて」
「ううん……」
私は精一杯笑顔を作ろうとしたけれど、うまくいかない。
いつものように「カナちゃんの幸せが私の幸せだから、何でも受け入れる」なんて言えない。
「正直に言ってくれて……ありがとう」
やっとそれだけ言うのが精一杯だった。
「結、怒ってる?」
カナちゃんが不安そうに聞いてくる。
「怒ってない」
嘘だった。
怒ってるし、悲しいし、絶望してる。
でも、それを言ったらカナちゃんを困らせてしまう。
「ただ……ちょっと、考えさせて」
カナちゃんが申し訳なさそうに頷く。
「うん、ごめん」
私はカナちゃんの腕の中で、目を閉じた。
でも、眠れるはずがない。
頭の中では、さっきまでの優しくて完璧な自分と、黒い感情に支配されそうになる自分が戦っている。
(私は、どうすればいいの?)
(カナちゃんを愛してるのに)
(カナちゃんに愛されたいのに)
(なんで、私だけじゃダメなの?)
隣でカナちゃんの寝息が聞こえてくる。
その温かい体温を感じながら、私は一人で混乱と絶望の中にいた。きっとカナちゃんが拐われたあの日よりももっと絶望感に包まれている。
窓の外では、雨が降り始めていた。
私の心と同じように、灰色で重い雨が。
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翌朝、目を覚ますとカナちゃんはまだ眠っていた。
寝顔はいつも通り穏やかで、昨夜の告白がまるで夢だったみたい。
でも、私の胸の奥にある重いものは、現実だった。
そっとベッドから抜け出して、洗面所で自分の顔を見る。
目が少し腫れているけれど、化粧でごまかせる程度。
鏡の中の私は、いつもの結城結だった。
でも、何かが決定的に変わってしまった気がする。
(カナちゃんが起きる前に、気持ちを整理しなきゃ)
(いつも通りの、完璧な恋人でいなきゃ)
でも、本当にそれでいいのだろうか?
カナちゃんの「遥香も欲しい」という言葉を、本当に受け入れられるのだろうか?
洗面所の窓から見える空は、まだ曇ったままだった。
私の心も、同じように晴れる気配がない。
背後でカナちゃんが「結?」と寝ぼけた声で呼んでいる。
私は慌てて振り返り、いつものような笑顔を作った。
「おはよう、カナちゃん」
でも、その笑顔がどこまで本物に見えるか、自分でも分からなかった。
カナちゃんがベッドから起き上がって、私のところにやってくる。
「結、昨夜は変なこと言ってごめん。忘れて」
その言葉は、どこか怯えたようで、視線も揺れていた。
そのカナちゃんの気遣いが、逆に私の胸を締め付けた。
(忘れられるわけないじゃない)
(カナちゃんが遥香ちゃんを欲しがってるって言ったのに)
(私だけじゃ足りないって言ったのに)
でも、そんな気持ちが溢れそうになって――
「忘れられないよ」
思わず、声に出してしまった。
カナちゃんがきょとんとした顔をする。
「え?」
「カナちゃんが遥香ちゃんを欲しいって……私だけじゃダメだって言ったのに、忘れられるわけないじゃない」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「結……」
「私、どうすればいいの?」
ついに堰を切ったように、言葉が溢れ出してしまう。
「カナちゃんのために何でもしてきたのに。カナちゃんが笑ってくれるなら、私は何だって我慢できると思ってたのに」
「私の全部をカナちゃんに捧げてるのに、それでも足りないの?」
カナちゃんの顔が青ざめていく。
「遥香ちゃんがそんなに大切なら、最初から遥香ちゃんとバディ組めばよかったじゃない!」
「私なんかじゃなくて!」
言ってはいけないことを言ってしまった。
カナちゃんの表情が、痛みに歪む。……だけど、ほんの一瞬、カナちゃんの唇がかすかに上がった気がした。
まるで、私の嫉妬や独占欲を、喜ぶみたいに。
「結、そんな……」
「私だって……私だって辛いの!」
涙が止まらない。
今まで必死に隠してきた、黒くて醜い感情が全部溢れ出してしまう。
「遥香ちゃんを見るカナちゃんが、すごく嬉しそうで……それを見てる私の気持ちなんて、どうでもいいの?」
カナちゃんが私に手を伸ばそうとするけれど、私は後ずさりしてしまう。
「触らないで……今のカナちゃんに触られたら、私……」
でも、カナちゃんの目に涙が浮かんでいるのを見た瞬間、我に返った。
私は、何をしているんだろう。
カナちゃんを傷つけて、困らせて、泣かせて。
一番してはいけないことをしてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
私は慌ててカナちゃんに駆け寄る。
「ごめんなさい、カナちゃん。私、何を言ってるの……」
「結……」
「私、おかしくなってる。カナちゃんは何も悪くないのに」
私はカナちゃんを抱きしめながら、必死に謝る。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
カナちゃんも私を抱きしめ返してくれる。
「ボクこそごめん。結を傷つけるようなこと言って」
カナちゃんも謝ってくれるが、その声色にはどこか熱っぽさがあった。
「違うの、カナちゃんは正直に話してくれただけなのに」
「でも、結がこんなに辛い思いをするなんて……」
二人で抱き合いながら、お互いに謝り続ける。
でも、謝れば謝るほど、状況は拗れていく気がした。
(どうして、こんなことになっちゃったんだろう)
(私たち、こんなにすれ違ったことなかったのに)
カナちゃんの温かい体温を感じながら、私は混乱の中にいた。
愛しているのに、信じているのに、でも受け入れられない。
私の中で、完璧な恋人でいたい気持ちと、独占したい気持ちが激しく対立している。
「結、ボク……どうすればいい?」
カナちゃんが小さな声で聞いてくる。
「分からない……私にも分からないの」
それが、今の私の正直な気持ちだった。
窓の外の雨は、まだ止む気配がない。
私たちの心の晴れ間も、見えなかった。
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