第28話 情報提供

 ――昨日の夜のことを思い出すたび、

 ボクの頭の中はもう、全部ピンク色で埋め尽くされてる。


 目が覚めて、天井を見上げて、まず考えたのが

「昨日、結に襲われちゃった」ってこと。


 ああ、恥ずかしい。

 でも、嬉しい。

 すごく、すごく、嬉しい。


 シーツの中で身を丸くしながら、思い出すだけで顔が熱くなって、心臓がバクバクして止まらない。


 ――結の手が、唇が、髪が、何度もボクに触れてくれて、強引で、優しくて、ボクの全部を「欲しい」って言ってくれて、ほんと、夢みたい。


 女の子になったこと、何度も「もう嫌だ」って思ったのに、昨日ばっかりは「女の子ってすごい」って心の底から思った。

 こんなに幸せになれるなんて、男の子のままじゃ、絶対わかんなかった。


 (結に抱きしめられて、何度もキスされて、恥ずかしいくらい全部見られて、全部好きって言われて――幸せすぎて死にそう……)


 隣のベッドには、結が眠たそうに丸まっている。

 ちらっと顔を見ると、やっぱり疲れて見える。

 (でも、たぶん昨日いっぱい攻めてくれたから、単に疲れただけだよね……。むしろ、あんなにいっぱいしてもらって、ボク、ほんとに幸せすぎる)


 (やばい、また思い出して顔が熱くなる……)

 思わず枕に顔を埋めて、ふわふわした気持ちのまま、身悶えする。


 (結とするの、こんなに幸せだなんて。またしてほしい。絶対にしてほしい。ああ、ボク、すっかり結にメロメロだ……)


 こんなふうに、幸せで蕩けてるボクが、「苦労してる」とか「可哀想」とか思われてたら、なんか逆に申し訳なくなる。


 頭の中はピンクで埋め尽くされて、ちょっとくらい現実の厳しさがあっても全然怖くない、そんな気分だった。


 そんな時――


「――館内アナウンスです。本日午前十時より、朝霧彼方さん・結城結さんは、第一会議室までお越しください。繰り返します――」


 寮の天井に設置されたスピーカーから、事務局員の落ち着いた声が流れてきた。


 (あ、呼び出しだ……でも、今はそれより、昨日の幸せの余韻が……)


 結のほうを見ると、まだぼんやりとした顔で、少し目を赤くしている。

 「……結、おはよう」

 「カナちゃん……ごめん、昨日……」

 

 声をかけると、結がびくっと肩を震わせて、小さく首を横に振る。


「ごめん、カナちゃん……私、やりすぎちゃって……」

 結の声が震えてる。

 (ああ、そうか……結、罪悪感があるんだ)

 でも、ボクは全然そんなこと思ってなくて――


 「結、そんなの全然気にしてないよ! むしろ嬉しかったし、なんか……ボク、女の子になってよかったなって思ったくらい」

 恥ずかしいけど、今は素直にそう言えた。


 結が驚いた顔でボクを見る。

 「……カナちゃん、ほんとに……嫌じゃなかった?」


 「なにが? ボクは全然嫌じゃなかったよ? むしろ、もう一回してほしいくらい」

 そう言うと、結はびっくりした顔をして、すぐに顔を赤くしてうつむいてしまった。


 (ああ、やっぱり可愛いな……)


 現実は、またいろいろ面倒なことが始まるのかもしれないけど、ボクの中はまだ、ずっと結との幸せでピンク色に染まってる。


 呼び出しのアナウンスが流れても、ボクはベッドの中でぼんやりしていた。


 あと三時間……

 それまでに準備しなきゃ、なんだけど――

 なんとなく、まだ昨日の余韻が体の奥に残っていて、顔も、胸も、全部ぽかぽかしてる。


 隣で結が、シーツに包まってボクの方をじっと見ている。

 なんか、昨日より目が鋭い気がする。


 「カナちゃん」

 「ん?」

 「昨日のこと、……後悔してない?」

 「ううん、むしろ嬉しかった。びっくりしたけど。それに……気持ちよかったし……」

 最後は恥ずかしさで消え入りそうな声になる。

 「そっか」

 結の目が、嬉しそうに細くなった。


 「……ねぇ、呼び出しの時間までまで3時間もあるよ」

 「う、うん……まあ、でも、ご飯食べてないし……」

 「カナちゃんは、もういい?」

 「え、えっと……」

 (ど、どうしよう、全然もういいなんて思ってない)

 「準備もしなきゃだし……」

 口では言うのに、内心は期待しかしてない。


 結がじっとボクを見て、耳元で囁く。

 「さっきもう一回してもいいっていったよね? それ、取り消しなしだよ」


 ――やばい、心臓バクバクする。


 「……うん」

 そう返した時には、結がもうボクの手をぎゅっと握っていた。


 「今から、しちゃおうか?」

 「……うん」

 ボクの声は、少し震えていたけど、顔はたぶんにやけてた。


 ベッドの中で、結がまたボクにキスをしてくれる。

 最初はそっと、でもだんだん強く、ボクの髪も首も撫でて、ボクはされるがままで、全部結に委ねてしまう。


 (やっぱり、女の子ってすごい……結に全部好きにされるの、幸せすぎる……)


 何度もキスされて、甘い声で「好き」って囁かれて、ボクはまた、体も心も全部ピンクに溶けそうになった。


 ……気がつけば、もう準備する時間がギリギリで、2人で「やばいやばい!」って笑いながら慌てて着替えて、でも顔はどっちもまだ幸せの余韻でいっぱいだった。


 気がつけば、呼び出しの時間まであと数分しかなかった。

「やばいやばい!」

 2人で慌てて着替えて、髪もなんとなく手ぐしで整えて、顔もまだちょっと火照ったまま、車椅子を押す結の手もバタバタしてる。


 鏡の前で服をチェックしてみる。

「……まぁ、こんなもんでいいか」

 ――いや、全然よくないけど、今さら気にしても遅い。


 寮の廊下をドタドタと急ぎ足で進んで、エレベーターを待つ。

 (ぜったい髪とか乱れてる……なんか顔も赤い気がするし……これ、結としてたってバレてないよね……?)

 ドキドキしながら、結の方を見ると、結も髪がちょっと跳ねてて、顔も真っ赤で、なんか2人で同じこと考えてそう。


 やっと会議室の前にたどり着くと、扉の前で一度だけ深呼吸。


 (なんか、変な汗かいてる気がする……)


 「結、大丈夫?」

 「う、うん。カナちゃんこそ、シャツ……」

 「えっ、どこ?」

 「……大丈夫、ちゃんと閉まってる」

 2人で小声で確認し合って、

 緊張したままドアをノックする。


 「失礼します」

 ――ドアを開けると、すでに中には数人の職員や制服姿の大人たちが待っていた。


 空気が一気に引き締まる。

 けど、ボクの頭の中はまだ、さっきまでのピンク色が少し残っている。


 (ちゃんと、真面目な顔しなきゃ……)


 結が車椅子を押して会議室に入ると、

 職員の一人が優しく「どうぞ」と案内してくれた。


 (よし……ここからは、ちゃんと現実モードだ)


 だけど、ふと結と目が合うと、2人ともこっそり笑いそうになってしまった。


 会議室に入った瞬間、空気がピリッと張りつめる。


「彼方さん、結さん、どうぞお掛けください」

 職員の女性に案内されて、結が車椅子を押してボクをテーブル脇に寄せる。

 正面には、悪魔対策課の腕章を付けた大人たち。

 その横には、担任の先生も真面目な顔で座っていた。


 先生が最初に口を開いた。

 「……彼方さん、結衣さん、今朝は急な呼び出しになってしまってごめんなさいね」

 「いえ……」

 結が小さな声で返事する。


 先生は一度、ボクたちの全身を見て、ちょっとだけ困った顔になった。


 「それと……これは公式な場だから、次からは身だしなみも、もう少し気を使うようにしましょう」

 ――静かながら、まっすぐな注意。


 ボクも結も、顔が一気に熱くなる。

 (結とのことはバレてないよね!?)


 「はい……すみません」

 ボクは慌てて襟元を直して、隣では結が恥ずかしさのあまり目を伏せている。


 大人たちが一通り書類を確認したあと、悪魔対策課の職員が、穏やかながら鋭い目でボクを見た。


 「彼方さん。あなたは、悪魔に攫われた被害事例の中で、唯一帰還した方です」

 「はい……」

 「今日は、できるだけ詳しく、その時の状況や、どんなことをされたのか、どんなふうに過ごしていたのか、すべて教えていただきたいのです」

 職員の声は静かだけど、質問の重さと責任の重みがじわりと伝わってくる。


 (ああ、本当に、現実に引き戻されたな……)


 結と一緒に幸せな朝を過ごして、まだぼんやりピンクだった頭が、一気に現実色になっていく。


 「……はい、わかりました」

 ボクは深呼吸して、覚えている限りのことを話し始めた。


 ボクは会議室の長机の前で、結がそばに立つのを感じながら、

 大人たちの視線をまっすぐに受け止めていた。


「それじゃあ、彼方さん。できるだけ、状況を教えてくれるかな」


 職員が丁寧に促す。

 ボクは頷いたけれど、喉の奥がやけに乾いて、呼吸が浅くなっているのに気付いた。


 ――足元が冷える。誰かが椅子を引く音が、急に大きく感じられて、肩がピクリと跳ねる。


 (だいじょうぶ、結がいる……ここは大丈夫……)


 ボクは左手の指先をぎゅっと握りしめて、結が横に立っていることを何度も確かめながら、言葉を続けた。

 


 「最初は、森の中に連れて行かれて……悪魔がボクを肩に担いで、ずっと無言で歩いてました。すごく冷たくて、暗い森で、地面もぬかるんでて……」


 会議室の誰かがメモを取る音。

 ボクは、それを気にせず淡々と、思い出すままに口にしていく。


 「悪魔は何も言わないで、ボクを礼拝堂みたいな建物に連れて行きました。中はすごく暗くて、床には鎖とか、拷問器具みたいなものがたくさん転がってて……。悪魔はボクを床に放り出して、扉に閂を下ろして、それから――『研究の続きといきましょうか』って言ったんです」


 ボクの声は、いつもより少しだけ低かった。


 最初、みんな「時系列に沿って説明してくれてる」と思っているのか、静かに頷いてくれていた。

 ボクは細かく説明していく。

 「悪魔がボクの髪を引っ張った」

 「床に顔を押し付けられた」

 「何度も名前を呼んだけど、誰にも届かなかった」

 「床に血が垂れて、指が踏まれて、爪が割れた音がした」

 ――

 そうやって、出来事を全部口にしていくうちに、会議室の空気が、少しずつ変わっていくのが分かった。


 「最初は指を踏まれて、何本か……変な方向に曲がるのが分かりました。すごく痛くて、でも声が出ないくらい苦しくて――結の名前を呼んだんです。『結、助けて』って、何度も叫びました。」


 誰かが小さく息を呑んだ。


 「そのあとは、指を引っ張られて、爪も剥がされて……

 それでも悪魔はずっと楽しそうで、ボクが叫んだり、泣いたりしてるのを見て、いい声ですねとか、仲間のためにコレクションするとか、そんなことを言ってたんです」


 さすがに、先生も職員も止めたいという気配を隠せなくなった。


 「彼方さん、その、細かいところは――」


 けれど、ボクの口は止まらなかった。

 だんだん思い出して、頭の中が黒いものでいっぱいになっていく。


 「――足も引きちぎられて、腕も……全部、全部痛くて、死にそうだった。でも、死ななかった。結と繋がってたから、生きてるのが苦しいくらいで――何度も、何度もやめてって叫んだのに、やめてくれなかった」


 「彼方さん、もうそこまでで――」

 誰かが静かに声をかけるけど、ボクの声は止まらない。


 「ボク、壊されたかったわけじゃない。でも……あいつは、王のためにって、何度も何度も……ボクを使って、人間を壊してデータ取って、それから滅ぼすって――」


 どこかで先生が、涙ぐんだのを見た気がした。

 結がそっとボクの肩に手を置く。


 「カナちゃん、もういいんだよ」

 結がそっと、ボクの体を包むように抱きしめてくれる。


 「……結、ありがとう」

 ボクは、ようやく自分の声が震えていることに気付いた。


 「……でも、全部話さなきゃ、また誰かが、ボクみたいになるかもしれないから――だから、ちゃんと、全部伝えたかっただけ」


 会議室は、静まり返っていた。

 


 

  みんなが息を呑んでボクの話を聞いている中、ボクは改めて、悪魔があの時どんなことを言っていたか、もう一度整理して口にした。


「……悪魔は、ボクを痛めつけながら何度もこう言ってました。“私たちは、もともと別の世界の住人で、国を追われて、王とその臣下でこの世界に来た”“ここを新しい安住の地にして、人間を全部駆逐する”“自分たちは王のために働いている”“あなたがどんなに私たち悪魔を殺しても、王がいる限り、いくらでも私たちは生まれてくる”“今までは人間の限界や特性を研究していたけど、研究し尽くしたので滅ぼしてしまっても構わない”……そうやって、ずっとボクをモノ扱いして笑ってました」


 先生や大人たちは、メモを取りながら険しい顔をしている。


 ボクは、もう一度深呼吸して続けた。


 「でも――ボクは、そこで絶対に諦めたくなかった。結がずっとパスで繋がっていてくれて、どんなに痛くても、苦しくても、ここで負けたら結にもう一度会えなくなるって、それだけが支えで……」


 ――思い出す。

 泥と血にまみれて、動かない体で、それでも、結の声と温もりが頭の奥に残っていて、そのおかげで、ボクは何度も意識をつなぎとめた。


 「最後は、もう死んでもいいって思ったくらい苦しかったけど、それでも結がいるから絶対に帰るって……それだけで、ボクは――自分でも信じられないくらい力が湧いてきて――体が動いて、魔力が溢れて、そのまま、悪魔を――倒したんです」


 「全部終わった時は、何もかもボロボロだったけど、

 でも、結の顔を見た時、本当に帰ってきたって思えました」

 ボクは、結の方をちらりと見て、結も泣きそうな顔で微笑んでくれた。


「……だから、今こうしてここにいられるのは、結がボクを待っていてくれたからです」


 会議室の空気が、少しだけ和らいだような気がした。

 

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