星の墓碑銘
榊木 十杜
序章 【星は人となり、人はまた理の座で星を夢見る】
序章. 1話「ただ在り続けたものの追悼」
「あーあ、終わっちゃったねぇ……」
宙に浮いて消えた独り言。というか、わざと軽く口にした。そう言わなければ私の心にまた嵐が宿ってしまうから。そんな中身のない虚ろで包むしかない本音があるのを、私が一番よく知っている。
私は理の座に据える者、そして『母』なんて耳障りな名で呼ばれる存在。
幾億年を巡る寂寥と哀愁の狭間、知と玄が交じり合う城の最も天に近い展望台で、私だけ時が止まったまま微睡み続けている。
ひとつの星が死んだ。
血しぶきにも似た死の残光は、死体の眼窩から溢れた脳漿に似て美しく、私がどれほど渇望しても届かない煌めきがあった。その星の死を、数百光年彼方にある、年老いて嗄れた大地から眺めている。
「孤独って、どうしてこんなに綺麗なんだろうね……」
誰に見送られることもなく、誰に触れられることもなく、ただ役目を終えた燈火は、最後の瞬きだけを残して消えていった。、その潔さに、その美しさに、私は……心の底から憧れてしまった。
「あの星の名前——『HR-4420』。地球からおよそ二百光年……ん? どうだったけなぁ……まぁ、つまり、すっごく遠くて、すっごく孤独な場所。その片隅に、誰にも知られず在ったちいさな星が——うん、そう。二百年前、燃え尽きたってわけね」
あまりに美しくて羨ましかったから、私は無理やり頬に笑みを張り付ける。そうしなきゃ、目尻が滲んで不愉快だ。
人々はきっと、この死を『自然現象』として処理し、記録に残し、そして——『おしまい』とするだろう。けれど私が本当に見ているのは、もっと、奥。
「『超新星爆発』。外層が崩れて、中の核がはじけて、光になって。誰も気づかないうちに、その星は、ちゃんと最期を終えたの。綺麗だったよ——ほんと、驚くほど」
「ねえ、美しい死って、見たことあるかい? 悲しくもない。怖くもない。ただ、終わるために生まれてきたみたいな……ううん、違うなぁ。『終われたから、完成できた』って言うべきかな」
熱も寒さも失った零度の空気を漂いながら、私は語る。
こうやって言葉で吐き出してやらないと、私の中の何かが壊れてしまいそうだから。
——あの星が死に際に見せた、静かなソレ。
綺麗に終われた君。いまだ醜く生に縛り付けられた私。どうしようもなく確かな違いを自覚させられる。
また心の亀裂が進んでゆく。私は、まだ、完成できない。
何千年も、何億年も前から壊れて血反吐を吐いているのに、それでも死を許されず、熟れきった肉体に延命装置を突き刺されたまま。
やがて、部屋から抑揚のない機械音が鳴った。
興ざめとともに無気力に沈む私は、役目を終えることのできるその音に嫉妬を覚えながら、手にしていた望遠鏡を床に放り投げる。
宇宙にある一つの物語の終息だというのにロマンスの欠片もない天文台の観測報告。まるで死亡宣告のような、あの星の死が現象として定義された音。
『HR-4420、200光年先にある恒星の超新星爆発。観測を終わりました』
あまりの事務的な内容に、喉をけらけらと鳴らしながら、胸の奥には鉛のような重さがつかえていた。
「じゃあ、私がひとつ物語を付け加えようかな。『これは天体現象じゃない、魂の終焉だ』って。ふふ、ちょっといい言葉だと思わないかな? うん、気に入った。さっすが私」
そしてふと思う。
「……ん~、でも、やっぱりね。あの星の光は、まだ……もしかしたら死んでない気もするんだよね。誰かに届いた今こそが、あの子の本当の死。……いや、むしろ、いちばん生きてる瞬間かもしれないねぇ」
死後に残るものこそ、生きた証明になるのなら、あの子はあの輝きの瞬間に誰かの存在になった。
「死ぬことで完成するんだ。私は、ずーーっと、生かされ続けている。穢され、犯され、奪われ、終わることもできず……ずっと。ずっと、ここにいるの」
髪が揺れた。風なんてないはずなのに。大海に雲がかる水と風霧の命の色。あの子の残した光が、まだ私の内側の何かを揺さぶっている。
その光が愚かな子供たちの作り上げた『神様』という現実逃避のために造られた虚像の持つ後光とやらに見えた。
あの子たちが祈るたびに鼻を吹かして捨てていたけど……なるほど。これは滑稽で面白い。ならばと、気まぐれに、私もひとつ真似てみよう。
愚かな猿真似の『懺悔』を。
「私は……君たちの母親でいるつもりだったんだよ。ずっと、愛しているつもりだった。でもねぇ、それでも、滅んでほしいって思うことくらい、あるんだよ。たとえ母親だってね」
だから縋るように、この腐った血肉に刻もう。四十六億年を朱殷で塗り重ねた恨み節を。
「HR-4420」
「君は死んだ」
「私がなりたかったものになってくれた」
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい、憎い、妬ましい、恨めしい――だって君は美しいまま。
「ちゃんと終われたんだ。……臓腑が抉られるようだよ」
「ねぇ、君はこれから、何になるの? もう一度、星に戻るの? それとも……まさか、人間になんて、なっちゃったりして?」
「だとしたら……ありったけの呪いを込めて祝福しようか」
君の死が私を照らしてゆく眩しい墓前で、私だけは暗澹を見つめていた。
「まぁ~、どうでもいっかぁ。私はただの観測者。何もできないもの。……でも、もし。もしも君が、いつか私を殺してくれるなら」
——その時だけは。
「新しい名前、呼んであげるよ」
「それが救いか、終わりかは、君が決めな。」
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