第3話



 徐庶じょしょ天水てんすい辺りまで託された張遼ちょうりょう軍の一部を連れて行くと、馬を緩めた。


「どうなさいました?」


 ついてきた張遼の副官が声を掛ける。


「………張既ちょうき殿、涼州騎馬隊の後続ですが、このままこの東方に本気で進軍して来るとはどうしても思えません。

 また、万が一そうなったとしても本陣にいる司馬懿しばい殿、賈詡かく将軍が追撃に出て、必ずこれを食い止めるはずです」


 張遼もそう言っていたため、張既ちょうきは頷いた。彼もそう思っていた。


「どうしても涼州騎馬隊の動きが気になる……妙です。何があったのかは分からないがこんな急に攻め手に出てくるはずがない。だがそうなったということは、何かが起こったのです」


「私もこの急襲は妙だとは思いますが」


「ここにいるより、それを探りに行きたいのです。ここを貴方に任せてもよろしいでしょうか」

「探ると言って……どこをどう探るおつもりですか? 西は今、後続と戦闘になっているでしょうし、張遼将軍からいずれ報せや命令が来ると思います。そうすれば状況が少しは分かるかと……」


「私は以前、涼州を何者でもない立場で訪問したことがあります……。

 しばらく臨洮りんとう以南に来なかった涼州騎馬隊が突然現れた理由を知りたいのです。

 西の山岳地帯から南に入り込めるかもしれない。探りに行きたい。

 先鋒になっていた龐徳ほうとく将軍も、いかに仇敵の魏軍でも無謀に突撃作戦を取ってくるような武将ではないはず。この襲撃は何かがおかしい……」


 張既ちょうきは迷ったが、頷いた。


「分かりました。ここは私が引き受けます。しかし兵は動かせませんよ」


「構いません。私一人で行ってみます。今は戦闘の最中だから、その方がかえって動きやすい。もうすぐ日が落ちます。夜のうちに何とか西南に抜けてみる」


 徐庶じょしょの、曹操そうそうに招かれたが意欲的に軍に関わらなかったという背景は聞いていたので、張既は彼の提案が意外だったが、顔を見ると真剣なのが伝わって来た。


 彼にとっては涼州も、涼州騎馬隊も全く得体の知れないものだったので、夜陰に乗じてここに一人で探りに入れと言われても、自分には到底出来ないことだと思った。

 少しも恐れなく、自らそう言った徐庶に対して、張既ちょうきの心は傾いた。


「徐庶殿。以前とは貴方は異なる立場であることを決してお忘れなく。

 魏軍に関わる者と知られ、捕らえられれば、必ず処刑されます」


 言われて、徐庶はふと気付いた。

 知りたいことに集中していてその発想が全く欠落していたことに、若干自分でも呆れてしまった。


「そうですね……確かに。今回の襲撃を見ても彼らの怒りは本気だ。捕まれば必ずそうなるでしょう」


 徐庶は一度自分の手を見た。

 それから軽く握りしめて、顔を上げる。


「覚悟の上で行きます。張既ちょうき殿。こんなことを貴方にお願いして申し訳ないが、もし私に何かあったら、洛陽らくようにいる母をよしなにと、賈詡かく将軍によろしくお願いします」


「徐庶殿……」


 母親のことを口では頼んだが、洛陽を去る時ほど、徐庶は感傷的にはならなかった。

 ちゃんとそこで、穏やかに暮らしている母親を見て来たからだと思う。


 郭嘉かくかが今生の別れをして来いと言っていたが、狙う意図は違うにせよ、そう声を掛けてくれた彼に今は感謝した。


 以前のような暮らしなら、残された母親が一体どうして暮らしていくのかと不安に思ったが今、自分が涼州の人間に捕まり死んだとしても、魏将としての死だ。

 決して母が悪いようにはされないだろうと思う。


 そう思えば、あまり不安は感じなかった。

 自分は元々、身内に対して情の薄い人間なのだ。

 ここまで来たら、なるようにしかならない。


 しかし徐庶には、涼州側に何か妙なことが起こったのだという、確信のようなものがあった。

 それは自分の命を懸けてでも知りたいことなのだ。


 これで涼州と曹魏が戦になる。

 その戦は必ず劉備のいるしょくに影響を及ぼす。

 だから何が起こってそういう戦が始まったのか、それは知りたい。


 何のために自分が死ぬのか、それくらいのことは徐庶は自分で知りたかった。


 もう一度張既ちょうきに頭を下げると徐庶は一人、馬の頭を返し、元来た荒野を走り出した。


 冷たい風が吹いている。


 空の雲が早い。




(一体何が起きている?)




 徐庶は馬を駆らしながら、姿の見えない何かに問いかけた。



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