32.ぜんぶ頭に血が上っていたせいだ


(混沌より伸びいずる真なる影よ、黒き刃となりて我が敵を貫け。……ラーミナ・テネブラールム)


 カタカタカタと乾いた音が鳴る。


 薄く尖った黒い刃が、アーマードボアの硬い表皮を軽々と切り裂き、「ブギィィィィィッ!」と甲高い悲鳴が闇の中に響いた。


 僕は続けて右手に持った剣を振り下ろし、アーマードボアの息の根を止める。

 アントラービットにジャイアントスパイダー、グリーンズリーと、いくつもの死体が並んでいる中、アーマードボアのものが増えた。


 同時に頭の中に神の啓示が流れる。


【しゅぞく<あくま>れべる2】

【<ざんとまん>にへんしんか】

【アビリティ<ねむりのすな>をかくとく】


 どうでもいい。

 いまは新しく変身できるようになったモンスターの調査をする気分でもない。

 ただただ、モンスターを狩りたい。


 これはただの八つ当たりだ。


 次の獲物を求めて足を動かすと、キシキシと重装鎧が音を鳴らした。

 こいつは種族<不死>、レベル5のスケルナイト。


 攻撃力も防御力も高いうえに剣を扱える、骨の重装剣士。

 アビリティは種族共有だから、この姿のままでも闇魔法(初級)が使えるのはとても便利だ。


 カタカタカタカタ。

 歯を鳴らす。


 声帯がないから当たり前なんだけど、声を出すことができない。

 だけど、魔法の言葉というものは、それが声になっていなくても詠唱が発動するらしい。


 濃い緑灰色をしたグリーンズリーを見つけた僕は、カタカタと骨を鳴らして詠唱する。


(闇に生きる精霊の手を借りて、汝に黒き呪縛を与えん……ヴィンクルム・アトルム)


 コカトリスも捕えた黒い靄が、グリーンズリーの周囲にまとわりつき、その動きを止める。突如、その身を襲った異変から、グリーンズリーは脱出を試みるが黒い靄は振りほどけない。


 ああ、なんでだ。


 僕は剣を振り下ろすと、グリーンズリーが怯えたような鳴き声をあげた。


 ――なんで、異能力インゲニウムなんだ。


 一回、二回、三回、と剣を振るう。

 四肢を拘束されたグリーンズリーは、されるがままに身体中から鮮血を流す。


 神殿騎士になるために必要な“異能力インゲニウム”。


『それは神に授けられし能力、人の枠を越えた特異なる力』


 僕はたぶん、異能力インゲニウムを持っている。

 だけど、持っているからこそ僕は――神殿騎士になることはできない。


 だって、こんな能力。

 モンスター神の敵に変身する異能力インゲニウムなんて、教会が認めるはずがないじゃないか。


 バレたらきっと、僕は火あぶりにされる。

 そのむかし、街の広場で見た男と同じように。


 両手足を縛られて、大きな木の杭に縛られて、異端者として焼かれるだろう。


 くそ!

 クソ! クソ! クソ!


 ふっざけんなあああぁぁぁぁっ!!!


 そんなの、バレるに決まってるじゃないか。

 場所は神都で!

 試験官は中央神殿の神父パーテル様や、選りすぐりの神殿騎士!


【のこり10ぷん】


 うるさい。うるさい。うるさい――だまれっ!!


 一心不乱に剣を振り、グリーンズリーの身体を斬り刻む。

 

 この不条理をぶつける相手が欲しかった。

 神の敵であるモンスターは、格好の獲物だった。


 もうずいぶんと前にこと切れていたグリーンズリーを前に、僕は立ち尽くす。

 

 まったく、すっきりしない。

 どれだけモンスターを狩っても、心は晴れない。むなしいばかりだ。


 がさりと音を立てて、一匹のグリーンズリーが姿を現した。


 そっちからやってきてくれるとは好都合だ。

 僕は片手剣をぎゅっと握りしめ、グリーンズリーに相対する。


(うおおおおおぉぉぉぉっ!)


 僕は歯を鳴らして威嚇し、グリーンズリーへと斬りかかった。


 その瞬間、横から飛び出してきた影が身体の側部に激突した。

 バランスを崩した僕の身体は、ガシャガシャと音を立てて地面に転がっていく。


 痛みはない。

 だけど、骨と金属の重装鎧が擦れる不快な音が、衝撃の大きさを伝えていた。


(なんだ!?)


 慌てて顔を上げると、そこにはグリーンズリーがもう一匹。

 しまった、さっきの一匹は囮だったのか!


 背後からガサリガサリと音がして、二匹、三匹とさらにグリーンズリーが現れる。


(どいつもこいつも、ナメやがって。……上等だ。全員ボッコボコにしてやる!)


 前後左右からゆっくりと包囲してくるグリーンズリーの群れ。

 僕は剣を握り直して牽制しつつ、声にならぬまま呪文を口にする。


 魔法の気配を察したのか、四匹のグリーンズリーが一斉に襲い掛かってきた。

 牙を剥き、大地に爪立て、飛び掛かってくる。

 

(くそっ! 数が多い!!)


 何より、四方を囲まれているという状況が良くない。

 僕は左腕をかざして、拘束の魔法を放つ。


(闇に生きる精霊の手を借りて、汝に黒き呪縛を与えん……ヴィンクルム・アトルム)


 立ち上る黒い靄が、前方と右手側、二匹の動きを封じた。


 この魔法の効果範囲は、僕の視界に限られている。

 残り二匹は自分でなんとかするしかない。

 

 すぐさま、左手側のグリーンズリーに向かって突撃。

 踏み込みの勢いに任せて振り下ろした剣が、グリーンズリーの皮を切り裂く。


 弾ける鮮血。だけど、浅い。

 グリーンズリーの動きは止まらず、鋭い爪が重装鎧に傷跡を残した。


 もっと大きなダメージが必要だ。

 僕は再び詠唱をはじめた。


(混沌より伸びいずる真なる影よ、黒き刃と――)


 しかし、その詠唱を最後まで唱えることはできなかった。

 もう一匹のグリーンズリーが、横から襲い掛かってきたからだ。


 とっさに剣で受け止めるものの、唱え続けられるほどの余裕はない。


(くそっ!)


 グリーンズリーの鼻先を、力任せに剣の根本で殴りつける。


「ぐがっ!!」


 小さな悲鳴を上げて、グリーンズリーが後ずさった。

 その隙をついて剣をまっすぐに突き出す。


 さっきとは違う、やや柔らかな感触。

 剣先はグリーンズリーの右目の奥へ、吸い込まれるように突き刺さった。


 その刃は脳まで達したらしく、グリーンズリーの身体が崩れ落ちる。


 そうだ。急所だ。急所を狙えばいいんだ。

 当たり前のことが、すこんと頭から抜けていた。


 最も、抜けていたのはこれだけじゃない。


 後から冷静になってみれば、単純な物理攻撃が効かないレイスにでも変身しておくべきだったのだけど、このときの僕は目の前の敵を斬り倒すことしか考えられずにいた。


 頭に血が上っていたのだ。


 そのせいで——もっと大きな見落としをしていることにも気づいていなかった。



 残っているグリーンズリーは、あと3匹。

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