25.ぜんぶムカムカのせいだ


 朝の景色は、いつもと変わらず澄んでいるのに。

 僕の心は、昨日までとはすっかり変わってしまった。


 神さまに守られているから安全だと思っていたこの場所は、どうやらとても危険な状態にあるらしい。


 この村だけじゃない。

 山を下りたところになる街も、行ったことはないけど海にあるという港も、この辺り一帯はどこもかしこも、数百年に一度の周期で滅ぼされているのだそうだ。


 それも、強大な力をもった神の敵モンスターによって。


 その“数百年に一度の災厄”が、間もなく訪れる。

 ……かもしれない、ってことでカルナ――“神の最終兵器”とも呼ばれる最強の神殿騎士さま――がわざわざこんな僻地にまで調査に来たんだそうだ。


 僕がやってしまった『怪奇! 森の入口に整然と並べられたコカトリスの死骸』の一件は、そんなこんなでうやむやになりそう。助かった。


 いや、助かってない。全然助かってない。

 むしろ大ピンチレベルは上がっている。


 神の石ですら守ることができないくらい強力なモンスターって、いったいどんなバケモノなんだろう。


 月並みだけど、やっぱり豪快に空を飛ぶドラゴン?

 それとも恐ろしい毒をまき散らすというヒュドラ?

 はたまた、地獄の底にある門を守ってるケルベロス?


 そんなことを考えていたら、あっという間に午後になっていた。

 今日はもう、朝からずっとこんな感じだ。


 ぼんやりとしたまま、いつものように水汲みをして村の広場を歩いていると、今日もカルナが女の人たちに囲まれていた。

 村に来たときよりも人数が増えていて、村では見たことがない女の人が半分以上。

 きっとカルナが来ているという噂が回って、麓の街とか近くの村からも見物客が集まって来たんだろう。


 カルナは彼を取り巻く女性たちに向かって、


「貴女の笑顔は太陽よりもまぶしい」だとか。

「最終兵器と呼ばれるべきは貴女の美貌だ」だとか。


 歯の浮くようなセリフを次々と口にしながら、淡い灰緑オリーブグレージュの髪をかき上げている。


 そんなカルナを見て、僕はなんだか胸がムカムカしてきた。

 だって、『モンスター災害が数百年に一度のペースで繰り返されている』『今回も同じだと考えてまず間違いない』なんてことを言っていたのが昨日の夜だよ。

 それが今は、同じ口で女の人たちを口説いてるんだもん。


 結局のところ、カルナは外の人間なんだ。

 いざとなったら、こんな村は見捨ててしまえばいい立場だから。

 この村から離れては生きていけない僕の気持ちなんて……きっとわからない。


 本当にいい気なものだ。


「……神殿騎士には、禁欲の誓いとかないのかな」


 頭の中で考えていたことが、思わずぽろりと口から飛び出した。

 だけど、本当に小さな声が漏れただけ。


 女の人たちの黄色い声に囲まれているカルナに聞こえるはずが――、


「逆だよ、逆。女性を褒めたくらいで堕落するようじゃ、神殿騎士にはなれないね」


 カルナははっきりと僕を見て、そう言った。

 それは明らかに、僕の独り言に対する答えだった。


「え?」

「なになに? どうしたの?」

「あの子どもが何か?」


 彼女たちには僕の独り言は聞こえていなかったみたい。

 カルナが突然、僕なんかに話しかけるものだから、周りの女の人たちがザワついている。

 村の外から来た人なんか、露骨に不躾な視線をぶつけてくる。

 そうだな。言葉にするなら、「あの汚いガキはカルナ様のなんなんだ?」みたいな感じかな。


 僕の胸の中にあるムカムカが、どんどん、どんどん大きくなっていく。

 外から押しかけて来たくせに、まるで僕の方を異物のように見てくる傲慢な態度。

 こいつらは、これから自分たちに訪れる未来を知らないから、こんなにバカみたいにはしゃいでいられるんだ。


 ああ――。だったら。ここで彼女たちに教えてやればいい。

 この辺りの村はもうすぐモンスターに襲われるって。


 神の石でも守れないくらいに強力なモンスターが現れるから、神の最終兵器がこんな辺鄙な村まで来てくれているんだってことを。


 僕は小さく息を吸った。

 だけど、その息を言葉にして吐き出す前に、


「ダメだよ、ザンマ。それは私たちだけのヒミツだ」


 カルナが人差し指を立てて言った。

 吐き出そうとした息を呑みこんで、僕は自分が犯そうとしていた過ちに気づいた。

 身体がぶるりと震え、足元がぐらりと揺れた。


 僕は今、わざと他人を不安にさせるためだけに、言葉を使おうとした。


 信じてもらえないならまだいい。

 もしその話が、真実味を帯びた噂となって広まってしまったら。


 村の人たちも、孤児院の子どもたちも、そしてエリシアも、また不安な日々を過ごすことになってしまう。

 コカトリスのときの何倍も大きな不安に、村全体が包まれてしまうところだった。


 何か重いものが落ちて、水がこぼれる音が聞こえた。


「あ、あの、僕……。ごめんなさい!」


 恥ずかしくなった僕は、その場から逃げるように走り出した。

 ただただ、真っすぐに教会を目指して。


 この村の教会には、生まれてからずっとお世話になってきたけれど、今ほど神さまに懺悔をしたいと思ったことはない。


 水を汲んだはずの水桶が手にないことに気づいたのは、教会に飛び込んですぐだった。今から取りに戻る勇気は、僕にはなかった。

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