第2話2025.08.02 「共苦」とソウルライクゲーム作品「明末 ウツロノハネ」、そして鏡花を語る
パートナーが「明末 ウツロノハネ」に登場する、鳥人の女性ボスキャラクター・僰人の古巫を、長刀で致命の一撃を決めながら倒したのを観て、彼女がどうしても泉鏡花「化鳥」を彷彿とさせて、読み返したくなって、まずは波津彬子の『幻想綺帖』一巻に収録されている漫画版を読み返した。
波津彬子は鏡花と同郷ということもあり、『鏡花夢幻』を筆頭に、鏡花作品のコミカライズを数多く手がけていて、その日本画風の切れ長の瞳の美女像が鏡花作品とマッチしているのが好きで、かつて金沢に足を運んだ際に、原画展も観に行ったことがあった。
鏡花との出会いは大学生の頃で、当時は世の中にも鏡花ブームが来ていたこともあり、自分自身も随分とかぶれて、鏡花作品にインスパイアされた幻想小説をずいぶんと書いた。親戚づてに故人の遺した鏡花選集全巻を引き継ぎ、それらは今も本棚に大切に仕舞ってある。
大学では講師として招かれていた鏡花研究の第一人者の先生の講義も受けることができたし、少しエンターテインメントに目を向けてみれば、シネマ歌舞伎で坂東玉三郎主演の「海神別荘」は二度足を運んでパートナーと観て、同じく玉三郎主演の「天守物語」は歌舞伎座に足を運んで生で鑑賞する機会に恵まれた。
自分自身の持病が重くなり、外出することが難しくなった今、当面の間はそうしたことも叶わないだろう。シネマ歌舞伎の「海神別荘」は本当に名作なので、ご興味のある方はぜひ足を運んでいただきたい。そして何とかBD化してくれれば何も言うことはないのだが。
そうしたベースもあり、今回僰人の古巫戦を観て、その美的感覚と、妖に対する畏敬の念は、国を超えて鏡花に通じるものを強く感じたのだった。
いざ読み返してみると、ただ鏡花と波津彬子の描き出す美的エッセンスに触れたいと願っていただけなのに、以下の箇所に単なる共感を超えた、深い感情移入をしてしまって涙してしまった。
“人に踏まれたり、蹴けられたり、後足で砂をかけられたり、苛いじめられて責さいなまれて、煮湯(にえゆ)を飲ませられて、砂を浴あびせられて、鞭(むち)うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉(のど)がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰なぐさみにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜(くや)しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣けだものめと始終そう思って、五年も八年も経たたなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡(なく)なんなすった、父様(おとっさん)とこの母様とが聞いても身震みぶるいがするような、そういう酷(ひどい)めに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出ひきだしを交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫おしごとの衣服きものを天窓あたまから被かぶってみたり、叱られて遁にげ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣けだものだの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。”
──泉鏡花「化鳥」(青空文庫より引用)
鏡花といえば何よりこの文体のリズムに特徴があり、私自身も鏡花に傾倒していた頃はずいぶんと文体模写のような真似をしたが、この「口惜(くや)しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい」などという箇所は鬼気迫るものがあル。
ここ数年、絶縁やら離婚やらと、親戚付き合いで相当な辛酸を舐めて、今なお苦しんでいる身として、そして虐待サバイバーである身として、さらにはその虐待の悪夢に苛まれてこの日目覚めた身として、この文章の一節が漫画にて引用されているのを読んでいるうちに、あたかもこの主人公の少年の語りと、自らの心の声とが重なったように思えて、涙があふれたのだった。
鏡花は「化鳥」のみならず、「高野聖」「夜叉ヶ池」「天守物語」「海神別荘」「春昼・春昼後刻」、そして絶筆となった「縷紅新草」など、たびたび虐げられる女性の姿をその文章の中に克明に描いてきた。それは現代のフェミニズムと重なっていく部分もあるのかもしれないが、無知であるためその点についての言及は控えることとする。
ただ、鏡花ヒロインの多くが虐げられて、家族や社会的な共同体から差別的な扱いを受けてきた女性たちであり、彼女らの魂の昇華をテーマとしていることは、やはり共通点としては挙げられるし、自分自身がここまで鏡花に入れ込むのも、そこに少なからず感情移入してしまうためだろうと思う。
私の患う病は社会的に根深いスティグマを負っていて、その名前について明かせるような社会的状況ではもはやない。
そうした社会的な烙印と、自分自身の虐待サバイバーという生育歴、さらには学校においても九州から単身首都圏へ出て通った大学を除いて、地元でいじめ抜かれてきたことなどを思うと、鏡花ヒロインの美しさはともかくとして、彼女たちの負ってきた社会的な傷や、あるいは家族というドメスティックな共同体における傷を担わされてきたという事実が重なっていくところがある。
単に耽美だとか幻想だとかの表面的な消費だけに留まり、豪華装丁本などを作ることに終始してきた鏡花ブームというものに対して、自分自身が鼻白む思いをしてきたのも、決してゆえなきことではなかったのだろうと思う。
こうして言語化して筆に起こすことが当時はできなかったし、今改めて書き起こしてみると、内側に深く根を下ろした自分自身の痛みを外在化してくれたり、美の領域に昇華してくれる存在が鏡花ヒロインたちであり、あるいは鏡花その人に他ならなかったのだろうと思う。
冒頭の「明末 ウツロノハネ」については、まだパートナーがクリアし終えていないのと、自分自身も常に同席して観ていたわけではないので、多くは語れないが、そこでテーマとなる病者の存在は、どうしてもコロナ罹患者のことを彷彿とさせ、中国という国が、そしてその国民が、某指導者によって癒え難い傷を負ってきたことを克明に描き出しているように思えてならない。
今なお中国はその癒えない傷の渦中にあり、特にコロナ禍前後の中国の動向をニュースで日々追ってきた身としては、深い同情を禁じ得ないし、その傷を婉曲的な表現を用いながらも丹念に描き出しているこの作品の勇気は賞賛に値すると思っている。
痛みや傷をその根に持ちながら、それを美的な存在が癒していくという筋書きは、上述のような自分自身の属性や病者として苦しむ日々を送っている今、何よりも心に響くものであって、「共苦」という観念を思わずにはいられない。
自分自身の病と、コロナという病とは質的にも大きく異なるものだが、あのコロナ禍当時、そして今なお差別や偏見に苦しむ人は決して少なくはないはずだ。
その橋渡しを担う作品が、他ならぬ中国人自身の手で生み出されたことには、動機としての深い必然性が伴っている。
また世界観やエネミーの造形、そして人型のエネミーを倒すと蓄積される心魔システムなどは、そうした痛みから発せられたものなのだと思わずにはいられない。作中でたびたび権力批判がなされることにも賞賛を贈りたい。
今、世の中は決して平穏とは言い難い状況であるし、中国に向けられる偏見や差別の目は、日毎に狂おしくなってゆくばかりだ。
ただ彼らも同じく人間であること、そして彼らが、私たちと同等か、あるいは私たち以上に苦しんでいる現実もまた一面においては存在しているという事実を改めて記すとともに、ゲーム作品を通じて海を超え、「共苦」をベースとして他者とつながる試みの一端を記録しておきたいと願ってこの文章を締めくくることとする。
作業用BGM:譚盾/Hero - Music from the Original Soundtrack
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