第10話 嵐の後

 どれくらい眠っていたのだろうか、目を覚ますと、すでに艦内灯は復旧し鈍い明りを灯していた。

 窓に目をやると、寝る前にはいたミアとケイトの姿はそこにはなく、雲の隙間から星々が輝きあっているのが見えた。

 昼に寝てしまったせいで眠気が湧きそうにない。

「甲板にでも行くか」

 スキットルと懐中魔灯を手に取る。

(おっと忘れるところだった)

 ノートを胸ポケットにしまった。

 甲板に出ると、昼間の雨のせいで所々小さな水たまりができている。乾燥するにはまだ時間がかかりそうだ。

 夜も更けたせいなのかそれとも降った雨のせいなのか、吹き付ける風が冷たい。

 風を防ぐために通信塔の陰に腰を下ろし、スキットルの中身をちびちびやり始めた。

 胸ポケットから小さく古めかしいノートを取り出す。ノートは黄ばんでおり、所々紙が切れている。

「んっんっ」

 喉の奥からほのかな香りが登ってくる。

 何度読んだかわからないノートの端が折り曲げてあるページを開く。

「何を見てらっしゃるのですか」

 不意に声を掛けられとっさに振り向く。

 そこにはマーガレット侯爵令嬢が立っていた。

「これはマーガレット様、このような場所でどうなされました」

 焦りながら急いで直立し、敬礼を行う。

「様はいりませんよ」

「いや、そのような訳には」

 俺の言葉を聞き流し、手に持っているノートに興味を示した。

「これは、秋川中尉のおじい様がお書きになられたものですか」

「あ、はい。内の祖父が話したこと、質問したことなどを書き残し、いつでも見ることができるようにしたものです」

(あれ、俺、名乗ったこと無いよな。何で俺やじい様のことを知っているのだろう)

「見せてもらってもよろしいですか」

 ノートを受け取ると、内容をかみしめるように読み、時に殴り書きで判別が難しいものなどは色々と質問をしてきた。

「この一番後ろのページに書いてあります、ロケットが被弾の御守りになるとはどういうことですか? 噴進弾で攻撃を受ける前に先に攻撃するということですか」

 マーガレットは不思議そうな声を上げて、顔を覗き込んできた。

「あ、いや、私の僚騎だった友人が、敵騎に襲われた時に、恋人と一緒に買ったお揃いのロケットに弾が当たったことで奇跡的に死なずに済んだ話なのですが、忘れないために記録をしておいた物です」

「まあ、そうなのですか」

 少しばかり羨ましそうな顔を見せ、三上のことを幾分か聞いてきた。

「秋川さまのお姉さまは、たしか椿さまでよろしかったでしょうか。

「私や愚姉ごときに敬語は不要です」

 少しばかり不満そうな顔を見せたものの、すぐに元に戻し「実の姉のことをそのように言ってはいけませんよ」とたしなめられた。

「しかし、我が家系はマーガレット様のような......」

「――さまは不要です」

「では、我が家族にもさまは不要でよろしいでしょうか」

 海がそういい終わると、マーガレットは破顔して、「その通りですね」と答えた。

 その後も色々と戦術のこと、祖父や姉のことなどを聞いてきた。

 知っている範囲の中で、祖父真好が言っていたこと、自分で考えていることなどを拙い言葉で説明しつつ何気なく腕時計をチラッと確認した。

「今の時間はどのくらいですか」

 海の仕草に気付いたマーガレットも何気なく会話として時刻を尋ねた。

「今は、一時三十分過ぎたくらいです」

「もうそのような時間ですか」

 マーガレットはかなり驚いたらしく素っ頓狂な声を上げる。

「もう、戻らなくては」

 寂しげな微笑みを浮かべる。

「秋川さん、また会いましょう」

 そういい終わると走り去っていった。

「俺もそろそろ戻るか」

 その時、手元にノートが無いことに気付いた。

 探すも周囲にはない。

(慌てていたのでマーガレット様が持って行ってしまったのかな)

 スキットルの中身を再び口に含み、夜空を見上げた。

(また、いつか会えるだろう)

 その場を後にして部屋へ戻ることにした。

 満天の星が後姿を静かに見送っていた。

「ハアハアハア――ふう」

 部屋の中はそれなりの広さがあり、中央に執務用の机、奥には木造のベッドが設置されており、執務室と居室を兼用しているのが見て取れる。

 そのベッドの横には凝った彫刻の施された小さな机が置かれており、その卓上にある可愛らしいランプから漏れ出る淡い光によって周囲が闇に染まり切るのをかろうじて防いでいた。

 マーガレットは窓際に立っている。

 視線の先には部屋に戻ろうと歩く海の姿があった。

 呼吸を整えるために部屋をゆっくりと一周し、回り終えるとベッドに身を投げ出した。

 呼吸はまだ荒い。

「何かしら」

 ポケットに違和感があり、マーガレットは確認のため手を入れた。

「え、持ってきてしまった」

 違和感の元は、先ほど海から借りたノートだった。

(返さなくては)

 急いで体を起こすも、日を跨いでいることを思い出し、再びベッドに身を預ける。

「秋川さん......」

 光を遮ろうと右腕を目の前に置いた。

 一夜明けて空は明るく晴れ渡り、良い訓練日和になりそうだ。

「今日は、戦闘訓練を行う」

(他の訓練では散々言われたが、これなら戦闘経験の無いスカーレットやダリーにいい所を見せられる)

 はじめは秋川騎が前で、二人を後ろで始めさせるも、五・六回捻っただけで前後が入れ替わる。

 ヒューン、ヒューン。

「またいつの間にか後ろにつかれているよ」

 ダリーは呆れたような口調でつぶやいた。

 それでも戦闘騎の動きがよほど楽しかったのか、みないつも以上に訓練を積極的に行い時には笑顔を浮かべながら行っていた。

 そんな中、プロイデンベルグの浮遊空母を見たというスチューザン本土からの通信がもたらされた。

 その報を受け、空母からも偵察騎をだして索敵させはじめた。

 クィーンエレインは、これまで通り北に針路を取りつつも、西寄りに変え、敵からの距離をとるのと同時に、発見し次第攻撃を加える体制をとる。

 海個人としては、雷撃にあまり自信が無いせいで今回はあまり出会いたくない反面、敵空母に一撃を加えてみたい気持ちもあり発見して欲しいかと言われると気持ちは半々といったところである。

 明くる日もそのまた明くる日も待機状態で狭いエレベーター横でうずくまっていると、身体の節々が少しは動いてくれと悲鳴を上げてくるため、伸びやストレッチで体をほぐすが、何分場所が狭いためやれることが限られ ており、待機組はみなフラストレーションがたまり続けていた。

「ふぁーあ。いつまで待機なのかねえ」

「敵が来るまでに決まっているでしょう。何を言っているのかしら」

 スカーレットがあくびをしながらウンザリする口調で言うも夏子はそれを気に入れないのか食って掛かった。

「おチビちゃん、敵が来るかどうか聞いてるのよ。お判りかい」

「敵が来る日時がわかるようならば、だれ~も苦労しないでしょう。後おチビちゃんは止めて頂けます? 不快ですわ」

「じゃあ、ミニとキッズならどちらがいいかな? 選ばせてやるよ」

「二人共いい加減に黙りなさい。うるさいわよ」

 ケイトが二人に割って入るも止める気配がない。

「はいはい、二人とも止める。イライラしているのはお前たちだけではないから」

 仕方なしに海も仲裁に乗り出した。

「むしろあなた達の言動でイライラしているのよ」

 二人一緒に仲裁をしてやっと喧嘩を止めさせることに成功した。

(荻野隊長ならこんな時どうしていたかな)

 ぼんやりと過去に思いをはせていた。

 明くる日は、朝から北の土地特有の濃霧に覆われて久方ぶりの待機がない日となった。

 護衛艦と衝突しないように、一定間隔でサーチライトを点灯させ、こちらの居場所を知らせている。

 ピカ・ピカ

 向こうからも、こちらに居場所を知らせるライトが灯される。

 昨日とは打って変わり、朝から緩やかな時間が流れ、自室だけではなく周囲の居室からもリラックスした空気が流れてきた。

「束の間の休息だな」

 売店で食べ物をいくつか見繕って購入し、食堂から持ってきた飲み物と共に部屋の小さなテーブルの上に置いた。

「食べ物を置いておいたから好きに食べてくれ」

 ベッドに寝ころび、以前購入した本を読み始めた。

 その本は今から二千年以上前の東秦の数ある兵法書の中の一つであり、祖父も昔読んでいたというものだ。

 横では小さい三人がお喋りしながら食べているのがかすかに感じられた。

(じい様、元気かな)

 ふと思い出したかのように頭をよぎった。

 戦争が始まってから、故郷には帰れていない。

 ふと先日読んだ新聞の内容を思い出した。

(新聞によると陛下がじい様の所へ行幸なされたと書かれていたので元気だろう)

 再び本へ目を移して文字を目で追っていると、スカーレットがぶつぶつと独り言を言いながら部屋に戻ってきた。

 三人の子供たちの上からテーブルのビスケットをひょいと持ち上げ口に入れる。

「ちょっと私のビスケットをなに勝手に食べているのですか」

 どうやらそれは夏子の分だったらしい。

(元々俺が買ったものだろうが)

 また始まった口げんかにうんざりしながら仲裁をするも止まりそうにない。

(やれやれまた買ってくるか)

 再び売店を訪れ、菓子を買ってくる。

 夏子の頭をビスケットの包みで軽く小突いた。

「え?」

 ポカンとした夏子の腕にビスケットの包みをグイッとねじ込む。

 残りの菓子をテーブルに置き、ベッドに仰向けになって読書を再開した。

 再び和気あいあいとした子供たちの声が広がり、ここが軍艦であることを忘れさせてくれた。

 そんなゆったりした前日とは打って変わって、朝から蠢動している偵察隊から緊急の知らせが入る。

「敵空母見ゆ」

 甲板上には準備の整った味方騎が整列していた。

 朝もやに包まれた愛騎に跨る。

「秋川さん、魚雷ぶち込んでくださいよ。たのんます」

 整備兵たちの連日の頑張りに答えなくてはならないと気合が入る。

 カチャカチャ

 装着された空中魚雷は二百キロほどあり、発艦するだけでも一苦労の重量になる。

「ミア、大丈夫か」

「大丈夫」

 ミアが震えているのが背中越しから伝わってくる。

 ベルトを解き、ミアの頭を撫でると、ミアはビクンと反応し、驚いた顔で振り返った。

「大丈夫......多分な」

 出来るだけ落ち着いて声をかけると、ミアは緊張を誤魔化そうと引きつった笑顔を浮かべた。

 左右の後ろを振り返るとスカーレットとダリーが定位置で発艦の合図を待っている。

 流石に騎種変更した後の初陣だけあって、緊張感からか、四人とも口数が少ない。

 独立小隊扱いの秋川隊が発艦準備に入ったのはそれから暫くしてからだった。

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