第9話 コンビネーションアタック
大ミミズの巣穴は町の外れ、山との境にある。
同じ山でも山中を開拓し大々的な商業施設へと昇華させたファーストケイブと異なり、管理さえも放棄されたこのダンジョンは、その周辺さえも人を寄せ付けないような荒れっぷりだった。
駐車場のアスファルトはあちこちひび割れし、掠れた白線の代わりにスプレー塗料で描かれた下品な文字が彩られている。好奇心だけで足を踏み入れるのも躊躇させられる有様だ。車は数える程しかなく、その車もいつから放置されているのか砂を被っているものばかりだ。
その駐車場とも呼べないスペースの一角、ダンジョンの入り口付近に車を停め、涼女とキャナディは、ユリの指示通り――ダンジョンへ潜る準備をしていた。
パンツスーツの涼女とジャージのキャナディ。
服装こそ昨日と同じだが、さすがに別物である。自身の戦闘スタイルを考慮し、涼女のオフロード車には何着かスーツの替えが常に用意されている。いくら大型のオフロード車と言えど積み荷に限度はあるので、あまりスペースは取れないが。
「キャナディさんは、ダンジョンについてどの程度知ってます?」
涼女は装備――普段のナイフのほか、半グレに囲まれることを想定して積んでいたスタングレネードを一つ――を整ながら、雑談がてら話を振った。
「ど、どの程度って言うのは?」
特殊カーボン製の六尺棒と弓矢を後部座席から下ろしながらキャナディは返す。
「わ、私はどちらかと言えば、歴史派だから、どこに何があるかとかは、その、あんまり興味ない……な」
「エルフから見た歴史観っていうの、私は興味ありますね」
「そ、そんな大したものじゃないぞ……。そ、そりゃ人間からしたら長生きだけど、人生の半分くらいは森の中だったしな……。ま、まあでも、そのおかげで今があると思えば、決して悪くはないと言える……な、うん」
「改めて聞くと壮絶な半生ですよね」
「壮絶って言っても、普通の狩猟生活だったからな。食事が安定しない以外は同じことの繰り返しだったぞ。だから森での生活はほとんど覚えてないな……。覚えてるとしたら、迷子を助けたとか――ああ、いきなり銃を向けられて戦闘にもなったな」
「ああ、ありましたね……」
涼女は渋い顔をした。
銃を向けたのは涼女でこそないものの、その後の顛末を思えば彼女がそんな顔になるのも当然だった。
とはいえ、あの経験が無ければこうして雑談を交わす仲になることもなかったはずで、そういう意味ではこれも悪くないと言えるのかもしれない。
「そ、そういえば、その向けた奴はどうなったんだ? わ、私もいきなりだったから、加減できなかったけど……し、死んではないよな?」
「彼が一番重傷でしたけど、今は職場復帰してますよ」
「そ、そうか。……なら安心だ」
キャナディは安堵の溜息を吐いた。
「い、今更だけど、思い出したら気になってな……」
「後遺症も無いので安心してください」
涼女はそう言ったが、一方でその彼がエルフを排除しようと動いてる――かもしれないことについては口を噤んだ。
言っても詮の無いことだ。
第一、今の今まで気にしてなかった相手の事を今更詳らかに説明したところで、どうせすぐに忘れるだろう。
だから余計なことは口にせず、
「キャナディさん的には、ダンジョンの歴史はどう思いますか?」
と話を戻した。
当初の話からどんどん脱線していくのにはさすがに慣れた様子だ。
「もちろん人間視点なので、キャナディさんの視点から見れば思うところはあると思いますが」
「そんなことはないぞ。わ、私は結構面白い考察だと思ってる。そ、それに、長生きだからダンジョンにも詳しいなんて思われても、困るな……。正直、人間の方が詳しいぞ」
「そんなものですか」
「古代エルフが意図して用意したものだって仮説、あるだろ? あ――あれでなるほどって思う事はいっぱいあったけど、わ私は、古代エルフとは関係ないからな」
「そうなんです……か?」
「スズメだって『ネアンデルタール人の関係者ですか?』って、聞かれたら、首を横に振るだろ?」
的確な比喩だった。
子孫ではあるかもしれないが、それだけの関係だ。
「だ、だから、エルフとして言うことは――特にないな」
言って、キャナディは後部座席のドアを閉めた。
それを確認して、涼女は車のキーをロックし、舗装されていない獣道へと歩き出す。その後ろをキャナディが付いていく。
弱肉強食の成れ果てを自然豊かと言い換えたような道の先に、山をくり抜いたような洞穴があった。
直径5メートル程度のあまり大きくない穴だが、その周囲に落ちているおびただしい量のゴミが、一歩踏み込むことを躊躇させた。
錆びついて捨て置かれたバリケード、散らかされた発泡スチロールのゴミ、吸い殻……エトセトラエトセトラ。
「普通に入りたくないな……」
モンスターの解体にも平気だったキャナディが素直な嫌悪感を示した。
「わ、私もそんな綺麗好きじゃない方だけど、これは普通に嫌だぞ……」
「耐えられる人間だけがここに集まるんですよ。ネズミやゴキブリと一緒です」
涼女は輪をかけて辛辣なことを言って、平気な様子で洞窟の中へ足を踏み入れる。それに続いてキャナディも進んでいく。「うへぇ……」だの「うあぁ……」と変な呻き声を上げながら。
洞窟の外と内で何かが変わった様子は特にない。
自分たちの進む足音以外何一つせず、どこまで歩いても薄暗い。違いがあるとすれば外と違ってゴミが無いことくらいだが、たったそれだけで荘厳な場所に踏み入ったような錯覚をしてしまう。
「構造的に修行の場か、あるいは闘技場だったんでしょうね」
涼女は気軽な調子で言う。
モンスターも現れない一本道。警戒すべきポイントも特にないため道中は気が楽だ。
「な、なんていうか、歪だよな……。こういうモンスターが作れるなら、もっと他の娯楽とかも、作れそうなのに……」
「発掘されてないだけで、いっぱいあったんじゃないんですかね」
「壊れて無くなってる可能性もあるか……」
「これからの発掘に期待しましょう。ところで、サングラスはちゃんと持ってますか?」
「あ、ああ。持ってるぞ……」
キャナディはジャージのポケットから、涼女と同じモデルのタクティカルサングラスを取り出した。
「できれば今のうちに掛けて、目を慣らしてもらってた方が助かります。昨夜も言った通り、この先で何があるか分かりませんから」
「で、でも、その手の輩が乗りそうな車は無かったぞ?」
「車は無くとも送迎は出来ますから、油断大敵です。それに、前回みたいにダンジョンワームが徘徊してると厄介です」
「お――音に敏感なんだっけ……?」
「地面に潜るのが厄介なんです」
涼女は確かめるように、足元を踵で叩いた。
足から伝わる感覚は土のそれなのに、いくら踏んでも足跡ひとつ付かない地面は魔力によるものだ。ダンジョンに流れる魔力を停止させる以外で変える方法はない。
にもかかわらず、ダンジョンワームは地中を自在に進攻してくる。
地面の形を一切変えず、何の予備動作もなく突如足元から喰らい付いてくることから、慣れた探索者の間でも特に忌み嫌われている。
「――音を頼りに動いてるので、対策を分かっていればなんとかなるのが唯一の救いですね。それと弱点は口の中です」
「……ああ、スタングレネードで気絶させるのか。ゲームでも似たギミックがあったな……」
「ほんと、現代に慣れてますよね」
ゲームと現実を混同しないでくださいよ――と、涼女は呆れた風に突っ込んだ。
「ミノタウロスのフロアを抜ければ、それこそ音響爆弾みたいな魔道具がこれ見よがしに拾えますから、使わずに済むならそれが理想ですけどね」
「ますますゲームじみてるな……」
「古今東西、考えることは一緒なのでしょう」
言って、二人は足を止めた。
細道の出口、フロアの五歩手前から奥を覗き見る。
見える範囲にいるミノタウロスは――たった一体。
残り二体は見えないが、聞こえる足音の数から確実にいる。
二人は目配せすると、キャナディはフロア手前から弓を構え、慣れた手捌きで30メートル先の眉間を射抜いた。
「まずは一体」
足元から崩れるミノタウロスから目を逸らすことなく涼女が呟く。
いくらミノタウロスがこちらに気付こうが、フロアに入らない限りは安全だ。これもまたゲームみたいな仕様だが、奴らはテリトリーの外へは決して入ってこない。
見えた瞬間一方的に狩るだけだ。
涼女が一歩、フロアへと近付く。
死角が減ったが、いるはずの二体はどちらも見つからない。
さらに一歩、もう一歩。
慎重に摺り足で移動し、死角を削っていく。
しかし――足音ばかりで姿がない。
ただ、近付くたびに奇妙な感覚はあった。
歩いているのに足踏みをしているような――音の発生源だけが留まっているような。
不気味で薄気味の悪い――認識のズレ。
気付けばフロアの入り口に差し掛かっていた。
それでも尚、巨体なはずのミノタウロスの姿が見えない。
「……ど、どうした?」
後ずさりしてくる涼女にキャナディは尋ねた。
「恐らくですけど、二体はそこにいます」
言って、涼女はそこを指した。
侵入者を即刻断罪できる死角――入り口のすぐ脇。
「で――でも、足音はするだろ?」
「そうなんですが、それ以外考えられません」
「な、ならソレの出番か?」
腰のスタングレネードを指すキャナディに涼女は首を横に振る。
「じゃ、じゃあどうするんだ……?」
「囮になります」
涼女は事も無げに言った。
「そこにいると分かっていれば攻撃なんて避けれますよ」
「さ――最初に会った時もそうだけど、スズメって普通に無茶するよな……」
「合理主義なだけですよ」
言って、キャナディに背を向ける。
「あとのことはお願いします。いつも通り、流れを見て撃ってもらえれば」
キャナディは何も言わなかった。
たぶん呆れてるのだろう。
軽いストレッチをしながら――イメージする。
侵入直後に振り下ろされる二本の戦斧。
いくら巨大な斧といっても所詮は刃物。
二本程度、走り抜ければ避けるのは容易だ。
気になるのは鳴り止まない足音と、そんな知的な攻撃方法をどうやって覚えたかだが。
まあいい。倒した後でゆっくり考えよう。
最後に呼吸を整え、姿勢を屈めて構え――
「ふっ――」
一気に走り出した。
僅か10メートル。
命懸けのスプリント。
「ぶもおおおおおおおおおおおおおお!」
戦斧は――駆け抜ける涼女の後ろで叩きつけられた。
予想通りだった。
その音を聞いて。
一瞬気を緩めて。
目を後ろに向けてしまい――
一瞬遅れで
あ――死んだな。
ゆっくりに感じる世界の中で、涼女は冷静に俯瞰した。
振り下ろされた戦斧は侵入者を断罪するためではなく、そのまま分断するためでもあったのだろう。
初撃を避けたところをすかさず横薙ぎで殺す。
完璧なコンビネーションだ。
しかし、そんな人間じみた行動をどこで覚えた?
――もう間に合わない。
覚悟を決めて、目を瞑る。
「「「「「きん」」」」」
と、金属音が輪唱して――巨大な戦斧が反対側へ吹き飛んだ。
「……え?」
何が起きたか、理解できなかった。
現象だけを追うなら、目の前に迫っていた戦斧が吹き飛んだということだけで、それで生き残った。
言うなれば奇跡だ。
「――あつっ」
足がもつれ、涼女はそのまま倒れ込んだ。
まあいい。
どうせ避けられてたとしても、同じように倒れていたんだ。
無様な姿なんて気にすることなく、起き上がろうと手をついて――
今度は地面の振動に気付いた。
「ぐ――くぅ……っ!」
ダンジョンからの容赦のない追撃に、涼女は思わず唸る。
唸って歯噛みした。
畜生。
どうなってやがる。
手をついて起き上がったら――間に合わない。
奇跡はもう使ってしまった。
涼女は覚悟を決めると、起き上がることなく腰からスタングレネードを外した。
そのままピンを抜いて、
「ままよ!」
可能な限り前方へ投げた――
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