第13話 二〇二四・春の京都

東京に引っ越してから京都は二回目だった。一回目の京都は修学旅行だった。京都で通っていた中学校は長崎とか長野などが修学旅行先だったと聞いたけれど、東京の中学校の修学旅行先は京都が圧倒的に多いらしい。クラスでは秋から翌年の修学旅行の準備が始まった。転校して半年近く、周りと関わらずの学校生活を送っていた私は、修学旅行先が京都という事で、話しかけてくる子が増えた。


修学旅行は楽しさより懐かしかった。何度も行った事がある北野天満宮に加奈ちゃんママがこっそり私に会いに来ていた事を東京に帰った後に母から聞いた。


二度目の京都は修学旅行とはまた違うときめきがあった。それはツキに会えるというときめきだった。

新幹線から流れる風景が京都に近づいて来ると涙が出そうになった。この涙は出てしまうと止まらないやばいやつなのだ。私はバックからスマホを取り出して音楽を流した。

スキマスイッチの「奏」。スマホには好きな曲を入れているけど、ミツが亡くなってからはスキマスイッチ「奏」とSEKAI NO OWARIの曲をよく聴いた。

「奏」を聴くたびに、未だにミツに「さよならの代わりを探して」いる自分に気付くのだった。

SEKAI NO OWARIの「RPG」が流れ始めた。「大切な何かが壊れたあの夜…」という歌詞にはいつもあの夜のバスの中を思い出す。帰りのバスの中で受け取った病院からの電話。確か、あの夜、私の心の底から大切な何かが壊れた。そして、その壊れた心を癒してくれたのはこの歌だった。


「君に出逢えて僕は本当によかった」


そう、ミツに出逢えて私は本当によかったと心から思う。この歌を聴きながら「怖くても大丈夫」と自分に何度も言い聞かせた。歌の終わりには涙もろい気持ちもどんどん収まった。窓から見える空は青く澄んでいた。


                   *


京都駅に着いたのは九時頃だった。京都駅から松尾大社には市バスで行って、松尾大社前に降りるのが近い。しかし、松尾橋付近に咲く菜の花も気になった。山吹と同じ時期に松尾橋辺りの菜の花も満開になるからだった。


松尾橋で降りるなら市バス七十一番に乗ると終点になる。二十八番は嵐山行きなので、いつも人が多いけれど、七十一番ならゆっくり行けるかもしれない。私は新幹線から降りて、七十一番に乗るため八条口に向かった。


七十一番は思ったよりは人が多かったけれど、後ろの席に座る事ができた。東寺を過ぎ、京都水族館前で多くの人が降りた。空いている車内を見渡すと、運転席から四番目の席の窓に貼られた「バス一日券」の販売終了を知らせる紙が半分剥がれて今にも落ちそうに見えた。


京都駅に降りた時は急に曇がかかっていた空は松尾橋あたりからすっかり青空になった。


松尾橋から嵐山につながる一本道の道端には菜の花が満開だった。風に揺れる多く菜の花を目にすると今まで無彩色だった体が徐々に色付き始める気がした。


ミツ!見える?綺麗でしょう!と叫びたくなる心を抑えて、菜の花が植えられている下まで降りて立つと、新幹線の中からずっと我慢していた涙が零れた。輝くビタミンカラーに囲まれて私は泣いた。

菜の花は嵐山の方までずっと続いていた。


                              *


松尾大社の山吹はちょうど見頃だった。参道の枝垂れ桜と境内の八重桜も満開で山吹の黄色と枝垂れ桜の薄紅色、八重桜のピンク、御衣黄桜の緑の四重奏が聞こえてくるような気がした。

十時を少し過ぎた時間だったので「団ぷ鈴」はまだ空いている席が多かったけれど、さすがに一人で特等席に座る勇気はなかった。

「団ぷ鈴」には東京に引越しする前、初詣で来たのが最後だった。初詣の期間中は人が多く、メニューも限られているため、とろろそばは食べられなかった。久々のとろろそばを目にすると母の顔が浮かんできた。母もとろろそばが好きだったのだ。今度は母と一緒に来ようと思いながら、「団ぷ鈴」と書いてある割りばしの紙を外した。

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