第21話「ナル様には、神のおチカラがあるんです」
「お客様なんて、いつ振りなんでしょう。しかも他ギルドからだなんて……!」
カウンター越しに立つ女は、にこやかな笑顔を浮かべている。久方ぶりの来客がよほど喜ばしいのか、心が弾んでいる様子だ。
トウヤの前には芳醇な香りのブラックコーヒー、ミストラルの前には甘い匂いが漂うココアが置かれた。
「お……おう……」
まだカップにも触れていないのに、トウヤは苦い表情を浮かべ、不器用な返事をする。視線を合わせまいとする目が、不意に彼女の姿に留まり、胸が締め付けられた。
白いワンピースは灰色に近い色まで褪せ、土足の店内でも靴を履いていない。外でも裸足だったのだろう、足元は汚れにまみれていた。
整った顔立ちをしているのに、化粧も装いもままならない。そこに思い至ると、トウヤの心が痛んだ。
(コーヒー……ココア……やっぱり、ここでも……)
思考を巡らすミストラルをよそに、トウヤはコーヒーカップを手に取った。インスタントとは一線を画す、挽きたての豆から抽出された深い苦味が舌を撫でる。
「どうですか? ウチのコーヒー」
「美味い……ブラックなのに苦いだけじゃなくて、俺でも飲める」
「ありがとうございますっ」
女は嬉しそうに微笑んだ。喫茶店の店員として、この上ない褒め言葉だったのだろう。
しかしミストラルは、彼の言葉に潜む違和感が気になって仕方がない。
「ええええ、〝俺でも〟ってまさか! トーヤさん、ブラックコーヒー飲めないのに頼んだんですか!?」
「漢は黙ってブラックと決まってる。飲んでるウチにいずれ美味しく感じる時が来るんだよ……それがまさに、今日だったというわけだが……これでもう、アンバーに馬鹿にされないな」
手元のカップを小刻みに回してみせるトウヤ。眼を細め、香りを楽しむハードボイルドな漢を演じていた。
「ウチのコーヒーには隠し味にあま〜いチョコをひとかけら入れているので、厳密にはブラックじゃないですよ」
「なんだってー?!」
ミストラルは、アンバーが言っていた『厨二病』の意味が少しずつ分かってきた気がした。
「面白い方ですねっ」
「私もそう思います」
深く考えないことにして、ミストラルはココアのカップを持ち上げる。ほんのり温かく、甘美な香りが鼻をくすぐった。一口含むと、トウヤではないが、今まで飲んだどのココアとも違う深みがあった。
「はあ、素敵です。こんなに美味しいココアは初めて。何か秘密があるんですか?」
「ウチのギルドは、昔からコーヒー豆やカカオ豆などの栽培が盛んなんです。特に、カカオ豆は〝カカオス豆〟なんて言われて、大人気でした。鎖国していなかった頃は、そういった豆の輸出でギルドの資金源を支えていたくらいで。残念ながら今じゃ貿易ができなくなってしまったので、この美味しさを他のギルドの方に伝えるのは難しくなってしまいましたが……」
「そりゃあ勿体無いな。鎖国してなけりゃ、ウチのギルドにも是非欲しいくらいだ」
「とてもありがたいお言葉です。私も一から豆を栽培しているので、そういってもらえると本当に頑張った甲斐がありますねっ」
「このカップ一杯に、お姉さんの愛情だとか想いが込められているから、飲むと体だけでなく心もポカポカするんですねえ」
「私はこのお店が大好きなんです。ここに来てくださるお客様に喜んでいただけるように誇りを持って努めておりますっ」
深々とお辞儀する彼女は、どうやらミストラルとウマが合うらしく、自然と会話が弾んでいく。
一方で、トウヤはコーヒーをすすりながら、得た情報を頭の中で整理していた。
「鎖国で貿易も途絶えて、貯蓄を食いつぶすしかないのか……それが段々と枯渇してきて、ギル民がシワ寄せをね……」
ミストラルは咄嗟にその言葉を誤魔化そうと、すぐさま別の話題を振る。
「あ、あの! 町の人って……」
だが、そのぎこちない問いかけに、店の女の顔に陰りが差した。
「他のギルドの方からしたらやっぱり珍しいですよね、こんな外に人のいない町は」
「そ、そんなことないと思いますよ! 私もあんまり詳しくはないんですが……」
「いや、珍しいだろ」
「あわわわ、トーヤさん……」
ミストラルが困っている間も、女は淡々と続ける。
「私たちギルド民は、ギルドマスターであるナル様が鎖国すると同時に『必要最低限以外、外出をしてはいけない』などギルド内にいくつかの規則を定められたので、それに従っているんです」
そう語る彼女の様子は、あまりにも当然のことのように見える。その不自然な発言にトウヤが低く呟いた。
「ナル〝様〟ねぇ……」
「ナル様には、神のおチカラがあるんです」
「神のおチカラ……?」
聞くべきではないと感じながらも、ミストラルは思わず口を滑らせる。急いで口を塞いだが、言葉はすでにこぼれていた。
「普通の人間ではあり得ない……特別なチカラです。どこからともなく物を取り出したり、あるいは消したり。ナル様にとっては瞬間移動すら簡単なことなんです。とても手品とは思えない……あんなこと、神に近い存在のナル様にしかできません」
女の瞳からは光が失われ、意識がどこか遠くへ飛んでしまったかのよう。もはやトウヤにもミストラルにも語りかけているのではない口調だった。二人の胸に、言い知れぬ恐怖が湧き上がる。
「その神のおチカラって――」
続きを問おうとするミストラルの声を遮るように、トウヤが横合いから割り込む。
「随分と信頼してるんだな」
その一言が気に障ったのか、女は急に生気を取り戻し、トウヤを睨みつけるように視線を据える。苛立ちが、はっきりと含まれていた。
「私たちは信じているんです。いつかまた、以前のナル様に戻って町が活気付くことを。きっと、今はなにか理由があるに違いありません」
「目を覚ませよ。このカウンターに座ってた客は、みんなどこへ行った? あんたが丹精込めて淹れたコーヒーやココア、誰が飲んでくれるんだ?」
「ちょ、ちょっと、トーヤさん!」
遠慮のない物言いをするトウヤを、ミストラルは慌てて制する。
だが、彼は構う気もない。ただ真実を突きつけるだけでない、憎悪に似た感情を帯びた言葉を投げる。
「俺は、事実を言ってるだけだ。ギルドが鎖国してるのに、ギル民がこんな貧困状態でごく一部の人間だけが裕福な生活をするなんて不可能だ。栄えていた時代の貯蓄を使い果たした今、ギル民のみんなから税金だのお布施だの言って、大金巻き上げる以外、ギルドの破綻を避けていられる方法はない」
「違います! これは試練なんです。私たちの信仰が試されているだけなんです。耐えれば……きっと……」
「あんたはただ逃げてるだけじゃないのか。自分で動こうとせず、他人に任せっきりで、支配され、ずっと待ち続けてるだけ。このままじゃあ、あんたの大切なこの店も、いつか失うぞ……」
「あなた方に理解して貰おうなんて思いませんが、これ以上ナル様を侮辱するようでしたら、出て行ってください!! お代も結構です!」
声を荒らげる女。店内には重苦しい沈黙が降りてきた。
トウヤはやるせない顔で目を伏せ、
「悪かったな。けど、このコーヒーは本当に美味かったよ」
とポケットに入っていた金貨を全てカウンターに置いて、ドアの外へ出ていく。
「え……あ……」
ミストラルも一礼し、「ご馳走さまでした」とだけ言ってあとを追う。女は「受け取れません!」と叫んだが、聞こえないふりをした。
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