ダブル異世界 姫さま危機一髪×TWO
ろーけん
第1話
このフィクションは愛知県安城市姫小川町に伝わる綾姫伝説に着想を得たものであり 物語の中で重要な役割を果たす姫小川古墳とその上の神社は現在も実在するものである
夏の香りが止まり、晩秋の気配が、その香りだけをそっと青空に入れてきている。 都のはずれ、ある小さな丘の下の荒れ地に、墓と言うには余りにも大きのもの・・後世の者は前方後円墳と呼ぶものが作り始められていた。その裾の座り心地の良さげな草が生えているあたりに大きな人影が四十あまり、小さな人影がひとつ。
「よいというに、よいというに」
その小さな人影の主は、下の者たちが「どうしても」ということを、やめよやめよと言い張った。大人になりかけたような丸い顔で、ムキにになると、はじめから離れている目の感覚がよりなお開くような表情をした。茣蓙のような飾り縁ももたぬそのちいさな敷物を下の者たちは、少し高くなったところに敷いたのだが姫はいつものように自分の好きなところに敷き直した。
「わらわは、みなと同じがよいのじゃ」
と言うけれど、結局、最も座り心地のよい場所をとる。 そんな姫の性格を熟知している下の者たちは、おざなりに一応言っているけで本気では無かったようだった。
「そこ、空けいっ」
姫の真正面の者がどけられる。 米と稗と粟で作られたおにぎりを口に運びながら、姫の目は古墳を避けて地平線の彼方に向けられた。
「わらわは、どこに嫁に行くのじゃろうな。いつか、とおくの国にまいりたい」
声にすると、自分で自分の夢の大きさにはっとする。 下の者の長のジュクックは、笑みながらつぶやく。
「姫さまは姫さまで有りますよって、お婿さんを迎えるのでございますよ」
「なんでじゃ、ここにいるおなご達だって皆、隣里やその隣の里から参ってきておるでないか!わらわは姫である故、もっと・・一番遠くへ嫁に行くのじゃ!」
「姫さま、そりゃあきまへんがなっ」と、姫より三つ年上のアコが言った。
「姫さまは姫さまやから、持って生まれた定めがございまっ」
「いやじゃ!」
姫は立ち上がった。
「見よ、あそこに海が見ゆる。海には大船というものがあると言う。わらわはそれに乗って遠くの遠くの・・そうじゃ、虹の彼方のようなところへ嫁にいきたいのじゃ」
「素晴らしい!わても行きたいわっ!」と、姫より五つ下のヨシアが言った。
「船に乗っておじいちゃんが話してくれた誠ならざる夢のような国に行ってみたい!」
「それはチト大袈裟じゃのう、そちはあの辺じゃろう」
と、姫は近くの山の麓を指さした。「池の向こうあたりじゃ」
この姫は全く威張らない。それが下の者たちには安心だった。威張る必要が無い姫だった。頭がすこぶる良いのだ。誰も姫の物覚えの良さにはかなわない。この姫さまに嫁に行ってもらっては困る・・きらきら笑いながら言う姫の顔を大人たちはそういう目で見た。
「死んだらこの墓にはいることになるアクエのおっさんだって、あの、彼方に見ゆる山の向こうから来たと言うに、なんでわらわはこれのところに縛りつけなのじゃ」
みんな、それを聞いて少しだけ姫が気の毒に思った。
ジュクックは、がぶりとおにぎりをかじり、しげしげとそれを見つめながら砂利が崩れるような声でつぶやいた。
「昔は・・たべものもなくてな、あかちゃんをカミュに返す・・ってこともなぁ、あの頃はいつものことのようじゃった」
「そんなのはしらぬ」
「今の世はあのころと比べると夢のようですじゃ」
「まぁ・・そうかもしれぬが・・それが何じゃ?急に」
姫はその可愛い顔にしてはがっちりした顎と歯でおにぎりを頬張った。その時、姫の脳裏に、なぜか、小さな葦舟を泣きながら追おうとする女の姿が浮かんだ。・・間引き・・
「よけいなことはせんでよいわ」
姫は右上の宙に向かって言った。
姫のこの奇妙な独り言に誰も何の反応もしなかった。 ただ、なんとなく、それを聞いた空気がひとつ縮んだ。
遠くの新田開発地から、土を積んだ原始的な手押し車が連なり、あるときは流れるように、あるときは途切れながら、姫たちのいる方を目指して来ていた。 姫はその光景を食い入るように眺めながら、そっともぐもぐし、しずかに自分の将来を夢見た。
そこからは姫たちのいる、作りかけの古墳が遠くに見えた。そこは、土車の出発地点であり、また、原始的な田を開くための開墾地でもあった。
五人女たちは、胸まで沈むような泥水の中で作業をしていた。ときおり立ち止まり、恨めしそうな顔を見せながらも、大きな雑草を両手でしっかりと引き抜いていた。
一方、男たちは十人あまり。泥地の縁にあたる硬い土壌のところを、木製の鍬や素手で土を掘り下げていた。やがて、その場所へ泥をどっと流し込むためである。田を広げるために、皆、大地と格闘していた。
その中央には、石斧で乱暴に切り倒されたらしい大木の根が、いまだにしぶとく地中に張りつき、まるでまだ生きているかのように地をつかんでいた。
蝉の声も途絶えて久しいこの頃、泥はすっかり冷たくなり、手も足も痛むばかりだった。それでも人びとは、土を盛り、田を肥やすために作業を止めようとはしなかった。
――いや、しかし、それはただ作業熱心だったからではない。去年の冬に整えた低い堤に一人、ふんぞり返って座っていた少年の存在があったからかもしれない。ショワ(十四歳)は大木の根のを脇でうつぶせで腰を抑えて唸っている男を睨みつけていた。やがて、その視線に耐えかねた一人が、口を開いた。
「なあ、ショワはん。そろそろ飯にしとくれやす。他の組は、もう食うてはりますで」
「アホか。お前ら、どれだけ遅いか分かっとらんのやろ。今日ここまでやる言うて、うちの父ちゃんと約束したやないか」
その声に、みな押し黙った。「アクエ」という名を聞けば、誰もが黙る。それほど、ショワの父は恐れられていた。
「ショワはんが、これ引いたら抜ける言うたけど、抜けまへんやんか」
下の者の一人が、少し怒ったように言った。
「そない言わんかったら、お前ら本気で引かへんやろが」
男がなにか言い返しかけたそのとき、ショワはこのままでは言い負かされると察し、苛立った声で叫んだ。
「ええわもう! 飯にせえ、飯にしてええ!」
ようやくの号令に、皆が安堵の息を漏らした。
誰かがうずくまる男に近づこうとしたが、ショワがまた言った。
「ほっとけ。そんなもん、寝かしとくんがいちばんや。どうにもしてやれんしな」
気の毒ではあり憎らしいことでもあるが、この時代にぎっくり腰を治す手立てはなかった。皆、空腹には勝てず、すぐそばを流れる天然の用水へ、体を洗いに向かった。
そこでショワが、またひと声。
「洗うのは手だけや!」
「なんやて!」と女たちが叫んだが、すぐに黙った。朝、アクエと交わした約束のことを思い出したからだ。
男たちは顔をしかめて言った。
「泥がどれだけ冷たい思てるんですか。いっぺん体拭いて温めてやらな、可哀そうやで!」
男たちがあまりに強い調子で言うので、ショワはしぶしぶ折れて、
「じゃ、急いで早うせいや!」
と怒鳴った。
女たちは泥を落とし、着替えるために岩の陰へ向かった。
「しょんべんも、そこでしときぃな!」
その岩には、しめ縄が巻かれていた。
「そりゃ罰あたりや。これは、キツネの魂が入っとる岩やで」
女の一人がそう言うと、ショワは笑った。
「キツネがなんぼのもんじゃ。お前らの飯にも、キツネの肉、入っとるで。取り上げよか?」
そして、かんらかんらとやけくそのような笑い声を響かせた。
「な…なんて罰あたりな……たかまく、たかまは……」
「たかまく、たかまは……」
女たちは手をすり合わせ、岩に向かってそっと祈った。
・・・どこかの遠い場所で・・・
深く深く、人の声も届かぬ森の果て。そこを抜けた先に、焼け跡のような荒れ地が広がり、さらにその向こうに、かろうじて田と呼べる湿地が見えてくる。泥をこね回し、草を刈って作られた小さな田んぼ。その脇の道を、五十人あまりの男たちが緊張に満ちた面持ちで進んでいた。
彼らの表情はこわばり、何人かは口を真一文字に結び、まるでこれから人生を賭けた勝負にでも行くかのような顔つきをしていた。皆、手には木の棒を握りしめていた。棒の先端には、削られて尖らせた跡のあるものもあったが、ほとんどはただの丸太に近い。
やがて、その行く手に、別の集団が現れた。
人数は四十ほど。距離にして二百歩ほどの先。荒地の向こうからゆっくりと現れた。彼らは、全員が不思議なものを手にしていた。
「……なんじゃ、ありゃ?」
最初に口を開いたのは中ほどの若者だった。
「あれ、衝立か?」
「いや……」
最前列の長のすぐ傍にいた青年、カレイシが唸るように言った。「あれは殴るもんじゃない……守るもんだ」
「盾……ってことか?」
「つまり、話し合いに来たってことかもな」
一瞬、安堵のような空気が一同に流れた。しかし、歩みは止めず、両の集団は静かに距離を詰めていく。
カレイシたちの列の中ほどには、四人がかりで引く粗末な木車があった。そこには人の背丈ほどもある、青黒く鈍く光る物が横たえられていた。後世では銅鐸と呼ばれるそれ・・の最終期の立派なもので、模様は今もくっきりと浮き上がっている。その横倒しの胴の上には、紐で吊るされた小さな鐘がいくつか風に揺れていた。
チリ……チリ……と、耳をすませば聞こえるほどの微かな音が鳴っていた。
それは、精霊が囁くような音だった。誰もが胸のどこかでその音を聴いていた。それはただの飾りのようでもあり、“何か”を連れてきたようでもあった。
百歩ほどに近づいたところで、木の棒の集団の長が手を挙げて立ち止まり、大声で叫んだ。
「止まれーーっ!」
だが、相手は歩みを止めなかった。静かに、しかし確かに前に進み続けていた。
「なんだと……? どういうつもりだ!」
長は再び声を張り上げた。
「止まれーーッ!!」
それでも相手は、こちらに向かって歩き続けてきた。
「おい……なんか、ヤバくないか?」
ざわざわと周囲の男たちがざわめいた。
三十歩ほどの距離にまで迫ったとき、ようやく相手はぴたりと止まった。
木の棒を持った集団の長が、やや声を張りながら言った。
「よう来たな、岡ノ下よーーっ! とりあえず、持ってきた分を見せてもらおうかーーッ!」
その言葉に、盾を構えていた男たちは、盾の裏から何かを取り出し始めた。それは、粘土か革を重ねて作られた、粗末な兜だった。彼らはそれを頭に被り、ゆっくりと、次に盾の裏から短めの槍を引き抜いた。
「……や、槍だ……」
カレイシが呟いた。
「おい……あいつら槍を持ってるぞ……!」
「どういうつもりだ、お前たちはーっ!」
木の棒の集団の長が叫んだ瞬間、音もなく一本の矢が飛んだ。矢は空気を裂いて長の喉元に突き刺さり、そのまま彼は崩れ落ちた。
「ひぃ……!」
誰かの悲鳴とともに、地獄のような戦いが始まった。
いや、それは戦と呼ぶにはあまりにも一方的だった。盾を構えた者たちは、隊列を乱さず、槍で突き、斜めから矢を射った。木の棒を持った男たちは、何が起こっているのかもわからぬまま、次々と地に倒れた。
それは戦ではなかった。木の棒では、槍も盾も前には何もできず、一方的に突き殺された。
カレイシは、もはや何が何だか分からぬまま、血と泥と悲鳴の中でただ必死に、木の棒を振り回した。
命を繋ぐために。呻くように息を吐き、喉を焼く鉄の匂いを噛みしめながら。
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