鋼鉄の心臓

決戦の夜。


ネオ・キョートの空は、いつもより暗く、酸性雨が街のノイズを吸い込んでいるようだった。


俺は、メモリア社の巨大な塔を見上げていた。


天を突く、黒い槍。


人間の傲慢さと、欲望の象徴。


そして、俺がこれから挑む、巨大な敵の心臓部。


恐怖はない。


失うものが何もない人間は、恐怖さえも置き去りにしてくる。


あるのは、ただ、冷たい覚悟だけだ。


俺は、塔の裏手、下層部の貨物搬入ルートへと向かった。


オヤジの地図によれば、一日に一度、深夜に無人の自動貨物コンテナが搬入される。


そこが、唯一の侵入経路だ。


闇に紛れ、コンテナの影に潜む。


やがて、地響きと共に、巨大な搬入口が開き、コンテナがゆっくりと内部へと吸い込まれていく。


俺は、その最後尾のコンテナの底に、磁石で体を固定した。


鋼鉄の怪物の体内に、俺は寄生虫のように侵入していく。


ここから先は、孤独で、絶望的な戦いの始まりだ。


コンテナが停止し、俺は静かに体を切り離した。


そこは、広大な貨物ターミナルだった。


無数のコンテナが、巨大なアームによって、自動で仕分けされている。


オヤジの地図を、網膜ディスプレイに投影する。


警備ドローンの巡回ルート、各種センサーの位置。


頭に、完璧に叩き込んだ。


だが、早速、問題が発生した。


地図にない、新型の赤外線センサーが、通路の天井に設置されている。


情報が、古い。


俺は舌打ちし、すぐに思考を切り替える。


ここからは、地図と、俺自身の経験だけが頼りだ。


物陰に身を隠しながら、警備ドローンの動きを観察する。


機械的な、寸分の狂いもない動き。


そのパターンを読み、死角となるタイミングを計算する。


一瞬の隙を突き、通路を駆け抜ける。


心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


いくつかの区画を、同じように突破していく。


息を殺し、影から影へと渡り歩く。


まるで、自分自身が、ゴーストになったかのような感覚だった。


そして、俺は、最大の難関へとたどり着いた。


塔の中層部へと繋がる、中央メンテナンス通路。


そこは、数十体の警備ドローンが、網の目のように巡回する、最重要警戒エリアだった。


ここを、隠れて突破するのは、不可能だ。


俺は、アタッシュケースから、軍用の光学迷彩を取り出した。


これが、俺の切り札。


起動スイッチを入れる。


体に装着した迷彩ユニットが、低い駆動音を立てた。


視界が、一瞬、ぐにゃりと歪む。


自分の腕が、ゆっくりと透明になり、背景に溶け込んでいく。


網膜ディスプレイに、残り時間のカウンターが表示された。


『15:00』


俺は、透明な亡霊となって、通路へと足を踏み出した。


警備ドローンが、俺のすぐ横を、音もなく通り過ぎていく。


その赤いセンサーライトが、俺がいたはずの空間を、無機質に照らし出す。


見えていない。


冷や汗が、背中を伝う。


心臓を、直接握りつぶされるような、強烈なプレッシャー。


カウンターの数字が、容赦なく減っていく。


『08:42』


通路の半分まで来た時、ドローンたちの動きが、不意に変化した。


規則的だったはずの巡回パターンが、乱れる。


まるで、侵入者の存在を予測し、罠を張るかのように。


これが、オヤジの言っていた、高性能な監視AIか。


ただの機械じゃない。


こいつは、思考している。


一体のドローンが、俺の目の前で、ぴたりと静止した。


そのセンサーが、俺がいるであろう空間を、執拗にスキャンしている。


まずい。


感づかれたか?


カウンターは、残り3分を切っていた。


迷っている時間はない。


俺は、ベルトからEMPグレネードを抜き取ると、ドローンの足元へと、そっと転がした。


閃光。


音はない。


だが、ドローンは、操り人形の糸が切れたように、その場で機能を停止した。


周囲の数体も、同じように沈黙する。


一時的な、ブラインドスポットが生まれた。


今しかない。


俺は、残された全速力で、通路の先にあるセキュリティドアへと走った。


ドアのロックを、ハッキングで解除する。


『01:10』


『01:09』


早く、開け!


ドアが、ゆっくりと開き始めた、その時。


背後で、光学迷彩が、明滅を始めた。


効果が、切れかかっている。


俺は、開いた隙間に、転がり込むように滑り込んだ。


ドアが閉まると同時に、迷彩は完全に機能を停止し、俺の姿が、現実に引き戻される。


間一髪だった。


俺は、狭いメンテナンスシャフトの中で、荒い息を整えていた。


端末を取り出し、この区画のネットワークに、こっそりとアクセスする。


警備網に、異常がないかを確認するためだ。


その時、俺は、偶然、一つの通信ログの断片を傍受した。


暗号化されていたが、その一部を解読することに成功する。


『……高価値資産、移送完了……』


『……移送先、上層階、第3医療ベイ……』


『……資産コード:E.S. - BlackWitch……』


E.S.


エヴァ・サカキ。


BlackWitch。


黒い魔女。


彼女の、ハッカーとしての通り名だ。


エヴァは、生きている。


そして、この塔の、どこかに囚われている。


俺の胸に、熱いものが、再びこみ上げてきた。


俺は、ただ、自分の過去を取り戻すために、ここに来た。


だが、新しい目的ができた。


エヴァを、助け出す。


俺は、シャフトの梯子を登り始めた。


向かう先は、塔の上層階。


クロウが、そして、エヴァがいる、本当の心臓部。


下で待ち受けていたのが、機械の番犬どもだとしたら、この先にいるのは、本物の悪魔に違いない。


望むところだ。


俺は、もう、何も恐れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る