二〇〇五年九月九日。

 

 今日は美華ちゃんの誕生日。

 わたしは朝からうきうきしている。

 わたしの誕生日ではないのに。

 わたしの誕生日よりも嬉しくて、不思議な気持ちになる。

 今日は金曜日。

 いつプレゼントを渡そうか。

 ずっと考えている。

 わたしはだいたい早くに学校に着く。

 机の中に入れたら、きっと気付いてもらえない。

 帰るまでに渡せればいいやって思う。


 でも、その日。

 美華ちゃんは学校に来なかった。


 先生は家に電話をかけたらしい。

 誰も出なかった。

 こんな時間に誰も出ない。

 おかしい。

 わたしは美華ちゃんへのプレゼントを持って、美華ちゃんの家へ届けようと思った。

 美華ちゃんの家は、学校のすぐ近くにある。

 何度か遊びに行ったこともあるけれど、必ず美華ちゃんはひとりぼっちだった。

 なんでだろう。

 一度聞いてみた時は、「二人とも、家から離れて仕事しているから」と寂しげに笑っていて。

 これ以上訊くのは、なんとなくためらってしまった。

 授業が終わる。

 下校する。

 一日が悲しく過ぎていく。

 美華ちゃんがこの神佑高校に来てから、わたしの学校生活はひたすら楽しくなった。

 わたしは引っ込み思案で、臆病で、内気で、人見知りしては好かれていないんじゃないかって不安になって、教室の隅に居る。

 美華ちゃんはまるで正反対で、みんなから愛されていて、たまに強いことを言うけれど優しくて、ひとのことに気遣いできて、勉強はちょっぴり苦手。

 どうしてわたしのことを気にかけてくれるのか。

 仲間はずれにされていたわたしに声をかけてくれたのか。

 よくわからない。

 だけれども、とっても嬉しかった。

 わたしにもようやく友達が出来たんだなって思えたから。

 だから、余計に。

 無性に気になってしまう。


 向かっていく。

 美華ちゃんの家へ。

 マンションの一室。


 表札はかかっていない。

 コンコン、とノックする。

 カギ。

 開いている。

 嫌な予感しかしなかった。

 この時、わたしは引き返せばよかったのだろう。

 そうすれば。

 未来は変わった。

 開けた隙間からにゅっと手が伸びてきて。

 わたしの腕を強く掴んだ。

 引き寄せられる。

 扉の向こう側へ。


「ひっ」


 そこに居たのは、美華ちゃんじゃない。

 わたしの腕を掴んで離さない男の子。

 背が低くて、同い年にも見えそうになかった。

 童顔なのにひどく疲れた表情を浮かべていて、どこか老けているような印象を受けてしまう。

 神佑高校の学ランにも似たスーツを着ているから、ちぐはぐで落としどころが見当たらない。

 目が合った。

 何かこそばゆいような、くすぐったい気持ちにさせられる。

 なぜだろう。

 わたしはこの子に会ったことがあるような気がした。

 名前は思い出せない。

 もしかしたら写真やテレビに写り込む姿をどこかで見ただけかもしれない、という程度ではなく、前世からの契りを結んだ相手、ぐらいの。

 この世界じゃないどこかで。


「蘭……?」


 呼ばれた。

 簡単に消えてしまいそうなかすれ声。

 投げかけられる疑問符。

 わたしはうなずいた。

 すると。

 彼の表情からすべての暗闇がなくなっていく。

 疲労感に満ち満ちた顔つきが、どちらかと言えばかっこよく、というよりも可愛らしく、変化した。

 ふと、表情が見えなくなる。

 突然のことに身体がこわばってしまう。

 抱きしめられたのだと気付いて。

 どうすればいいのかわからなくて、ただ涙が出てきた。

 驚いた目。

 でもすぐに何かを理解して、にっこりと笑う。

 わたしを安心させるように。


「びっくりさせてごめん」


 離れた。

 涙を拭っている。

 彼にとっては数億年振りの再会。

 わたしにとっては初対面。

 運命の相手だとしても。

 急に恥ずかしがったのか、こほん、と咳払いを一つ。


「この世界に俺は存在していないんだった……ようやく俺の役目を果たすことが出来る、ということだ」


 独り合点している。

 わたしにはよくわからない。

 まだ、どきどきしていて。

 何も考えが浮かんでこない。

 ぼんやりとしてしまって。


「まぁ、まず、そうだ。うん。自己紹介から、だ」


 照れている。

 一挙一動が落ち着いていない。

 また、かしこまったように咳払いを一つ。


「俺の名前は、クリス、だ。長い間にこれで定着してしまったから、もうクリスと呼んでしまっても構わない」


 本当の名前は。

 どう見ても日本人。

 話しぶりからしても本名は違うのだと思う。

 ただ、教えてもらえなかった。

 わたしが聞かされたのはクリスとしての英雄伝。

 元々居たはずの彼のことは知らない。

 クリスは本を持っていた。

 それはアカシックレコードと呼ばれる本で、とても大切な物らしい。


「俺はそもそも、この世界の人間ではないんだ。現在よりもう少し未来の、この〝正しい歴史〟の世界ではない、なくなってしまった世界から、こいつを白菊美華に渡す為と、他でもないあなたに会う為に……世界と世界を渡り歩いてきた」


 それがどんなに辛いことかわたしは知らない。

 どんな悲しみを繰り返してきたのか、話からは想像出来ないから。


 同情?

 そうかもしれない。


 うさんくさいと突き放してもよかった。

 信用ならないと逃げてしまってもよかった。

 わたしはとっても弱いから。

 わたしはわたし自身のこともわかってあげられないから。

 せめて他人には優しくしようと思ったから。

 理由はどうとでも言える。


 わたしは誰かの救世主になりたかった。

 自分の為には生きていけない。

 わたしはどうしようもなく小さい。

 誰かの為に生きていけるのなら、きっと、嬉しい。

 嘘だと信じない。

 事実として疑わない。

 あなたを受け入れること。

 これがわたしに与えられた役目。


「わたしも」


 頭に流れ込んでくる。

 すべての記憶。

 すべての世界でのわたし。

 わたしとクリスの関係性。

 くらくらとしてくる。

 訴えかけてきた。


 因果。

 すべてのことの原因と、その結果として、世界がどうなってしまっていったのかを。

 不死身の見て来た世界の終わり。

 苦しみの連鎖。


 ここで終止符ピリオドを打たねばならない。

 これが〝正しい歴史〟だから。

 生み出さなければならない。

 すべての根源を。


「あなたのことが好きだった」


 それは過去の話。

 記憶の中の世界の物語。


「たぶん、いまでも、好きになることは、出来ると思う」

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