20話 「トラブル発生」

 愛莉がこの世界に留まっていられる時間の目安は短くて愛莉が到着してから二日。つまりは今日だ。そして長くても明日までしか保たせることはできない。本当なら伯爵の魔の手からアイリを救い出せたことを祝うために盛大にパーティーでも開いてどんちゃん騒ぎでもしたいところではあるが、如何せん愛莉にはもうそんな時間は残されていない。


 というわけで夕食も摂らずに愛莉と誠を元の世界に帰すことに決まったようだ。


「お二人を元の世界に帰すためには、あっちの世界から私と神代君がこっちに来たときの構築式を使う必要があります。幸い存在を入れ替えてしまう構築式が地下に残っているので、多少書き換えるだけで済むので、そんなに時間は取らせないと思います」


 アイリを先頭に地下室に降りていく。降りる最中、愛莉がこっちに来たときには着いてなかった灯りが目に入った。


「この灯りって……」


「あぁ、これですか? 私が作った魔法を使って点ける灯りです。魔法を使っているので火事にならないようになってるんです」


「へえ……」


 アイリの話を聞いて愛莉の頭の中には着いた直後の自分の行動が過ぎっていた。ランプの下に着いているつまみをいくら回してもなんの音沙汰もなく、点く気配がなかったので放置していたのだが、なるほど魔法を行使しなければならないなら愛莉には点けられるはずもなかったらしい。


「ここが地下です。段差があるのでみなさん気をつけてください」


 アイリが地下室の扉を開けた瞬間、今までは暗闇に包まれていたであろう部屋の中が、灯りでいっぱいになった。どうやらコレも魔法のようで、驚いているのは誠と愛莉のにでエクエスは平然としている。


「魔法って、すごいのね……」


「そうでしょう?」


 愛莉がほとんど一人言で呟いていた言葉だったのだが、わざわざ後ろを振り返って笑顔まで浮かべているアイリには適うはずも無く、一瞬怯んでしまったのだった。


「ん? …………あれ?」


 地下室を上機嫌で進んで行くアイリが、床を見ながら疑問の声をあげた。それに気付いた愛莉が近寄り、事情を聞いてみると、どうやら床に書かれた円と文字、つまり構築式が半分以上消えてしまっているのだという。おそらくは愛莉がここに召喚された時に当たりが見えずに歩いていたからその時に消してしまったのだろう。


「ど、どうしよう……。どうしたら……!」


 焦りからテンパり始めたアイリの肩をエクエスが軽く叩く。アイリはそのおかげか少し落ち着きを取り戻したようで、大きく深呼吸を数回してからぱっと振り返って三人に話し始めた。


「今から構築式を書き直します。元々書き直すつもりではいたので、少量ではありますがインクも残っています。だけど、おそらくこのインクでは全てを書き切るには足りなくなると思います。そこで、二人には魔力を少し分けて欲しいんです」


「それはもちろん構わないけど……。私と誠はこの世界の人間じゃないけど、魔力なんてあるの?」


「それは大丈夫です。魔力は生きとし生けるもの全てに宿るもので、それは世界が違ったとしても変わることではありません」


 そもそも、この世界に来た時点で魔力が無ければ生きてなどいられるはずもない。この世界の空気は微量ではあるが魔力を含んでいて、その魔力は体内に魔力が無い者には有害になり、最後には死に至るとても危険なものなのだ。少量でも魔力を持っていれば体内の魔力が、体が吸収しないように保護してくれるので有害とはならないが。


「質問しても?」


 誠が聞けば、アイリは無言で首を縦に振った。


「インクが足りないっていうのはわかったけど、なんで魔力が必要なのか聞いても良いかな?」


「このインクは魔力が練り込まれている特殊なインクで、非常に希少で市場にも滅多に出てこない代物なんです。今から買い直そうとすればおそらく短くても一週間はかかってしまうでしょう。なので、お二人から魔力をいただいて自作しようと思っているんです。……本当は私の魔力を使えたら良かったんですけど、そうすると本体の魔法が発現できなくなってしまうんです。魔力回復の方法が睡眠以外にはないので……」


「魔力っていろんな使い方があるんだね……。ありがとう、ソニードさん」


 誠とアイリの会話が終わると、エクエスが随分と不満そうな顔で、腕を組んでいた。もしかしなくてもエクエスのその顔は怒っているように見えた。


「エクエス? なんで怒ってるの?」


「……なんで俺の魔力は採らないんだ?」


「え、だって……」


 アイリは先ほどから誠と愛莉から魔力をもらうことを話していて、その中にはエクエスは入っていなかった。もちろんエクエスから魔力をもらわない理由があるし、エクエスも自身のことなのでわかっているはずなのだが、それでもエクエスは引き下がろうとはしない。


「と、とにかくそんな睨んでもだめです。貴方の魔力はもらえないしもらう気もありません!」


 アイリはエクエスを無視して誠と愛莉に椅子に座るよう促して、そのまま簡単に魔力をもらうことに成功していた。

 魔力を他人からもらうことは割と簡単で、相手からの拒否反応さえ無ければ念じるだけで魔力を動かすことが出来る。今回も二人が了承してくれていたのですんなり魔力の移動を終えられた。


 一方エクエスはその光景を横で見ていて、眉間の皺が増えてさらに不満そうな顔になっていた。そんなエクエスのことに気付かないはずがないアイリなのだが、エクエスに近寄ることも無くインクを鉄の棒でぐるぐるとかき混ぜて始めた。すると暇になったのか誠と愛莉がエクエスのもとへと寄ってきた。


「……ソニードさんと何かあったの?」


「そうよ。何かあったなら正直に答えなさい。それが身の為よ」


「わ、分かった話す!」


 誠は純粋に二人の心配をしていたのだが、愛莉は完全に何かの脅迫である。案の定愛莉の脅迫に勝てなかったエクエスは、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「王国騎士団特務隊と言ったのを覚えているか? 基本的に騎士というのは魔法と剣技をもち合わさって初めてなれる職業なんだ。でも、俺が隊長を務める特務隊っていうのは、魔法が使えない奴らの集まりなんだ」


「……魔法が使えない?」


「使えないは語弊があるかな? 魔力が、魔法を使えるほど無いんだ。この世界の空気に含まれる有害物質を、体が吸収しないように体内に魔力を張り巡らせるだけでいっぱいいっぱいなんだ」


 そう言えば、と誠は思い出す。あれはたしか幻覚魔法のことを聞いていたときだったか。あの時エクエスは自ら魔法が使えないのだと言っていた。あの時は意味もわからず状況も状況だしで軽く流してしまったが、エクエスの話を聞く限り、この世界の騎士という職業で魔法が使えないと言うことは酷い差別に遭ってきたのでは無いか。


「貴族っていうのはどうしてか魔力を多く持って生まれてくることが多いみたいでな、俺は小さい頃からいろんな人達に疎まれて来たよ。父上もその一人だったんだが……」


 エクエスが言おうとしていることの続きが読めてしまった誠は、ため息をついた後、思わず口を開いた。


「なるほど。騎士になって隊長に抜擢されて態度を改められた、かな?」


「おお、正解」


 誠の考えは当たっていたようで、エクエスから嬉しくもない正解をもらった誠は、また大きなため息をつくのだった。


「アイリ嬢とパートナーになったのも丁度父上の態度が急変したその頃からだった。今思えば、父上は俺が隊長になっただけでなく、アイリ嬢という才能を持っていて上手く利用出来そうな人とパートナーになったからっていうのもあったんだろうな」


「あ、そういえばこの世界のパートナーって、どういう基準で選ばれて、一体どういうものなの? 結婚したりはしないのでしょ?」


 少し話は逸れるかもとは愛莉も思ったが、丁度話の流れでアイリの名前とパートナーという単語が出たので、これは良い機会かもと思い、思い切って聞いてみることにした。エクエスは嫌な顔一つせずに愛莉の質問に答えてくれるようだ。


「王城にお抱えの占い師がいるそうなんだ。その人は宮廷魔導師とは別物で、名前さえあれば国民全員の将来を見ることが出来るらしい。その人が観た人で、完全に将来の職業が決まっている人が、同じような職業同士でパートナーを組まされる、ってことらしい」


 エクエスの言葉を聞いて、誠と愛莉の首は全く同じ動きをしていた。

 エクエスを見た後で、アイリを見る。そして、首を傾げながら考えるように首を捻りながら目線は上に向かっていた。


「「ああ、なるほど」」


 特に合わせた風でもないのに、二人の言葉は一語一句完璧に合っていて、それを見ていたエクエスはおかしくて吹き出していた。

 ちなみに二人が思い描いていたのはエクエスの職業とアイリの職業である。エクエスは王国に仕える騎士で、今までなんの仕事をしていたか不明だったアイリは今回のことで宮廷魔導師になった。それを理解した二人は声を合わせて納得する他無かった。


「占い師……、すごいわね。当たってるわ」


「今回のことがなければソニードさんってなんの仕事してたのかな、そういえば」


「たしかアイリ嬢はベーテンにある魔法学校で非常勤講師をしていたはずだ。講義がない時は……父上に仕事を頼まれていたらしいが」


 顔も知らない占い師を賞賛していると、エクエスがアイリの職業について話してくれた。もう既に伯爵がアイリを手足として扱っていたことを知り、和んでいた空気が一気に張り詰めるような気がした。


「……どうしよう」


 エクエスたち三人の空気が一気に張り詰めたところで、一人黙々とインクを使って構築式を書いていたアイリが手を止め、深刻そうに呟いた。それに気付いた三人は、即座にアイリの元へと近付いて行く。


「アイリ嬢、どうした?」


「あともう少しってところでインクが無くなってしまって……」


 アイリの持っているペンを見てみれば、確かにもうインクがついておらず、今まで書いていた床を見ても文字が掠れていることから無くなるぎりぎりまで書いてくれていたことがわかる。アイリは苦虫を噛み潰したような顔をして俯いている。おそらくこの状況を打破できる術を探しているのだろうが、それも上手く行っていないのだろう。


「……俺の魔力を使えば良い。こんな魔力でも、あと少しなら足りるだろう?」


 エクエスの発言にその場にいた全員が驚いていたが、アイリは驚きの中に怒りを含んでいた。


「た、確かに足りると思うけど……。けど、ダメ。絶対ダメ! あなたは自分の魔力がどれだけ少ないかわかってるの!? インク精製でなくなっちゃうんだよ!?」


 魔法を使う以外で魔力を体外に出す場合、魔力の量は一定量以上を超えないと出せないようになっている。それはちょうどエクエスの持つ魔力量そのもので、つまりはエクエスが魔力を体外に抽出した場合、エクエスは自動的に魔力が無くなってしまうということだった。

 アイリはそれがわかっているから全力でエクエスを止めにかかるが、エクエスの目は覚悟を決めたかのように鋭く光っていて、とてもアイリじゃ止められそうにないのが伝わってくる。


「わかってる。けどこのままじゃ彼らは元の世界には帰れない」


「魔力の無い人がこの世界で生きられないのはあなたが一番よくわかってるでしょう!?」


「けれど、彼らがこの世界に来てしまったのは、元を辿れば俺のせいだ。俺が責任を取らなければ」


「違う! 違い、ます……! 私の、私のせいなの。私が安易に黒魔術なんて使ったから」


「アイリ嬢。君が黒魔術なんてものに頼らなければならなかったのは、君をここまで追い詰めていることに気付けなかった俺のせいだよ。父上の行いに気付けなかった俺が悪い。だから、その責任を取らせてほしい」


「でも、でも……! やっとわかりあえて、これからは貴方と向き合えるって、思ってたのに」


 アイリが泣き崩れる姿を、エクエスが抱き留める。誠も愛莉もただそれを見ているしか出来なくて、ただ誠たちにわかるのは、自分たちが帰るためにエクエスが自らの死を選んでいる、ということだけだった。

 アイリがエクエスに押し切られ、涙をボロボロと流しながらエクエスに向けて詠唱を唱え始めた。このアイリの詠唱が終わってしまえば、エクエスから全ての魔力がなくなり、空気の有害物質に侵されてエクエスは死に至ってしまうだろう。

 何も出来ない悔しさから、誠が唇を噛む。何も出来ないことが歯痒くて、興味が無いと思っていた他人にこんなに心を動かされているのに、何もしないのは、怠慢ではないのか。


 ――大丈夫。助けてごらん。


 突如、誠の頭の中に声が響いた。それは聞き覚えのあるような、ないような、そんな不思議な声だった。誠はその声に素直に従い、アイリとエクエスの間に走って割って入った。


「! 誠!?」


「神代君!? なんてことを……!」


 丁度詠唱が終わったのか、誠に向けてアイリの手から白く光る球体が放たれ、誠に吸い込まれていく。こうして、神代誠は、その体に残る全ての魔力をなくしてしまったのだった。


 光る視界の中見えたのは、珍しく焦ったような顔をしてこちらを見ている愛莉の顔だった。

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