幕間1

――黒魔術というものを書庫で見つけた。


 偶然それを見たときに、酷く心の中がざわついた。それは言葉にすれば簡単なもので、所謂嫉妬だった。


 ――羨ましい。


 全てから愛される彼女が。


 ――憎たらしい。


 同じなのに違う境遇を送る彼女が。


 黒い感情が頭の中を埋め尽くして、彼女への憎悪が止まらない。会ったこともない相手で、一目見ただけの相手だとわかっているのに、自分と同じなのに同じじゃない彼女が羨ましくて。私も、彼女になりたかった。

 今のこの状況を変えたくて死に物狂いで縋り付いたそれは、手を出してはいけないものとわかっていた。だけど、それをやめる意思は私にはもうない。彼女のことを考えるのなら、こんな方法をとってはいけない。けれど、私は私が可愛くて、こんな日々から抜け出したいのだ。


 ――もう暴力は嫌だ。怖いのは嫌だ。痛いのはもう、嫌だ。


 気付けばその本に手を出していて、次の瞬間にはそれを実行に移していた。

 瞬間、目の前が真っ暗な光に包まれて、反射的に目を閉じた。次に目を開けた時、私は自分の家の暗い地下室では無く、日の光の眩しい部屋の中でふわふわで暖かな布団に包まれていた。


 自分でやったくせにその状況に驚きを隠せないでいると、部屋の扉を誰かがノックする音が聞こえてきた。狼狽えて返事をした声が裏返ってたが、特に何も言わずに部屋に入ってきたその女性は、私を見て酷く驚いたような顔をして言った。


「大丈夫ですか、お嬢様? 自分で起きるなんて熱でもあるんですか?」


 その瞬間、私は自分のやっていたことが成功したことに気が付いた。


 ――〝私〟と〝彼女〟の存在が入れ替わったのだ。


 たとえ同じ魂を持つ私と彼女だとしても、容姿まで完全に同じとは限らない。その証拠に一度水鏡越しに見た彼女の顔は私なんかより何倍も可愛くて綺麗で、髪もさらさらしてて、私なんかとはとても似ても似つかないような人だった。


 けど、今から私は彼女になったのだ。


 大きなお屋敷で暮らして、優しい人達にいっぱい優しく大事にしてもらって、今までの自分を捨てて生きていくんだ。そう思って心を躍らせた。

 誰も気付くはずなんてないんだからと高を括って、読み取った記憶の通りに〝琴宮愛莉〟を演じた。


 ――これから私は琴宮愛莉。


 アイリ・ソニードとしての自分とはさよならして、幸せな人生を歩んでいくんだ。そう思っていた。


 なのに、やっぱり私は物語のお姫様になんてなれないんだと、彼女と私は同じなんかじゃんないんだとわかってしまった。

 だって、私には彼女のように王子様はいない。私にいるのは暴力を振るってくる法律で決められたパートナーだけ。あの人は私を見ないし、気に掛けて来ることなんてない。ただ、私に罵詈雑言を浴びせ、暴力を振るうだけ。


 本当は私も素敵な王子様に迎えに来て欲しかった。迎えに来たよって。大丈夫? って言って欲しかった。この状況から助け出してくれる人を待ってもそんな人来なくて、自分で打開策を講じてみたら、今度は彼女と自分の差を見せつけられてむしろ惨めになった。


 彼女と私で違うことはたくさんあるけれど、やはり一番は〝彼〟がいることだろう。私にも〝神代誠〟がいれば、何かが変わったのかな。


 ――私も、彼女のような、人生を歩んでみたかった。





 唐突に、パラレルワールドがどういうものなのか、頭の中に流れ込んで来た。


 二つの世界で交わることはないけれど、とてもよく似ていて、でも違う世界。


 そこには私と同じ魂を持った存在が生きていて、私だけじゃなく他の人の同じ魂も存在するのだと教えてもらった。その話を聞いて、私が一番最初に興味を持ったのは、誠のパラレルワールドだった。彼と私はこの世界でも同じように半身として生きているのかと、それがとてつもなく気になった。

 けれど、頭の中に返って来た答えは私の想像を遥か斜め上を行くもので、私はそれを知った時、何も言葉が出なかった。


 その真実を、知らない方が良かったのか、それとも知らなければならなかったのか、今考えてもよくわからない。


 私たちはあの時、ただずっと一緒にいようって指切りをして約束をしただけだったはずだった。なにもおかしな所なんて無い。

 夕暮れの公園で、誠と私の二人で、二人しか知らない約束をした。あの約束をしてから、私たちの間で〝半身〟という言葉は間違い無くお互いを確かめ合える合言葉のようなものになっていた。


 信じない。いいえ、信じたくなんて無い。


 誠が、私のせいで普通の人間として生きていることすら許されない存在、パラレルワールドの〝特異点〟になってしまっただなんて。



 パラレルワールドの特異点とはなんなのかと問うた。

 それは世界の在り方としての理を覆すもの。世界でたったひとりの存在として、神の手足として動き続けることを余儀なくされた、おおよそ人間とは呼べないヒト。


 それは私に告げる。


「貴女はもう彼の〝半身〟などではない」


「彼は貴女のせいで〝特異点〟になってしまった」


「彼のためにも、一刻も早く彼から離れてあげた方がいい」


 そんな言葉は信じないと思っていても、私の頭の中にその声がこだまして消えてくれない。その声は聞こえてくる度に私を責め立てる。〝特異点〟である、誠の横にいる私を責め立てるのだ。


 彼が〝特異点〟になったのは、人の枠から外してしまったのは私のせいだと。

 その言葉を頭で受け止めるたびに、私は思ってしまうのだ。




 ――誠は私の半身ではもう無いのだから、解放してあげなくちゃならない。

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