第47話 裏社会の頂点

 重厚な革張りの椅子に沈み込んだ男が、黙ったまま葉巻をくゆらせていた。

 紫煙が薄く棚引き、部屋の空気をじっとりと重たく濁らせている。

 壁一面のモニター群には、都市各所の監視映像、資金流通データ、そして赤字を示す帳簿のグラフがずらりと並んでいた。


「……ご報告があります」


 背筋を正した部下が、息を詰めながらファイルを手渡した。

 受け取ったファイルをブカレスは、一瞥するだけで十分だった。

 どれだけの金が水に流れたかを物語っている。


「で、今さら何の言い訳だ?」


 低い声が響く。それだけで、室内の空気が一段冷える。


「NER-00が、今も便利屋の元にいるのは明白です」

「だったらさっさと取り返せばよかったんだよな?」


 ブカレスの言葉に、部下が小さく唇を噛む。


「それが当初の判断では、早期に動けば警察、あるいは政府の目に触れる可能性が高く……」

「泳がせておいた方が、尻尾を掴めるとでも?」


 葉巻の火が、音を立てて灰皿に押しつけられた。

 鋭く焦げる臭いが立ちのぼる。


「ツエプスの亡霊が……ガキの頃散々面倒見てやったってのに、とんだ恩知らずだな」


 声が静かなまま、怒気だけが濃くなっていく。


「オケアノス貿易のサーバーは完全に破壊され、資金洗浄のルートは政府の監査網に引っかかった。裏取引の記録も吹き飛び、物流の一部は凍結状態。ブツは捌けず、利権は他のマフィアに横流しだ」

「……オケアノスのデータベースが狙われた時点で、我々の計算は崩れ始めていました」

「んなことたぁわかってんだよ」


 ブカレスは苛立たしげに自らの胸元を指で弾く。


「実験体がヴラッドたちの元にいるのは、最初から分かってた。あいつらが隠しきれるような代物じゃない。あのガキの反応も、行動パターンも、全部記録されてんだ。こっちは泳がせて、一網打尽にする算段だった」


 握った拳が、肘掛けを軋ませる。その音が報告者たちの背筋をびくりと揺らす。


「それなのに、気づいた時にはファミリーの足場が崩れてた」

「……申し訳ありません。ですが、他の勢力も同様の混乱下にあります。対抗勢力はまだ動ききれていません」

「問題はそこじゃねぇんだよ」


 ブカレスの目が、薄く血走っていた。


「俺たちは政府を出し抜いて兵力の種になるガキを手に入れたはずだった。あのガキの中身を解析すりゃ、世界は俺たちの手の中にあった」


 椅子から立ち上がる。その体格は圧倒的な威圧感を放っていた。


「あのガキさえ、取り返せればいい」


 その言葉に、部下たちの緊張が一斉に高まる。


「生きてなくても構わねぇ。脳と中枢だけ確保できりゃ、それでいい。俺たちはゴルディアス・ファミリーだ。裏社会の頂点に君臨し続けなきゃならねぇ」

「準備いたします」

「いいか。あのガキを取り返せなけりゃ、俺たちは過去の遺物になる」


 ブカレスの瞳には、狂気と執念が混ざっていた。

 彼にとってネロは、失われた力を取り戻すための、最後の切り札だった。

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