第三話 十八の決意
数年が過ぎた。
ふたりは十八歳になり、湊人は法人向けの営業、凛は工場の現場で働くことになった。
夜は同じ会社の休憩室から見える街灯を横目に帰って、風呂、簡単なごはん、少しのテレビ。
空き缶の貯金箱は小銭だけじゃない音を立てるようになって、ふたり分の等身大の生活が形になっていった。
「えっ! 三嶋……童貞なのか……?」
「声、でかい。ロッカー反響する」
会社の給湯室。コーヒーを飲もうとした時に佐久間に相談したのが失敗だった。
「だってさ! 正直ビビった。俺なんてもう経験済みだぞ?(自慢にならない)」
「……コンドームだって100%じゃないだろ」
「いや、正しく使えばほぼだって! てかお前ら十五から付き合ってただろ?」
「キスやハグはしてる。その……胸を触ったりは……」
「ピュアかよ! ……でも三嶋っぽい」
佐久間は肩をすくめて、すぐ真顔になる。
「冗談置いて、彼女さんのトラウマの件は聞いてる。慎重なのは悪くない。でも怖いが大きいなら、ちゃんと話せ。ふたりで決めろ。安心材料はダブルで用意したら安心だろ? うん、無事に終わったら俺にうどん奢れよ?」
「うどんは高級品だろ」
「それなら半分こでいいって! いやー、でも俺と三嶋で半分こにしたら、彼女さんに殴られるかなー」
軽口に救われながら、湊人は胸の奥の決意をなぞった。
十八歳。結婚できる年齢。——踏み出すのは、俺ひとりじゃない。ふたりで、だ。
ベッドに腰を下ろしてテレビを点けたけれど、落ち着かずにソワソワしていた。
そんな俺を不思議に思ったのか、凛がリモコンを置いて首を傾げた。
「どうしたの? 仕事で何かあった?」
「いや、違う……。あのさ、凛。俺たち、もう、お互い十八だし、その——」
言葉が喉で丸まる。
望んでないのかもしれないという不安が、舌を重くする。
「……もしかして、そういう話?」
凛の声はやわらかかった。湊人は小さく頷く。
「俺、ずっと怖かった。妊娠も、凛のことも。だって俺達には頼れる人もいない。でも、逃げたくない。ふたりで決めたい。だから——」
凛はひと呼吸おき、そっと彼の手を取った。
手のひらの温度が、喉の結び目を少しほどく。
「話してくれて、ありがとう。……わたしも、ずっと考えてたよ。湊人が怖いって考えてくれていたの、安心する。一緒に慎重でいたいから」
視線を落として、笑うでも泣くでもなく、静かに続ける。
「わたし、湊人としたいと思ってる。でも、無理はしないって決めたい。途中でやめたくなったらやめる合図を決めるのはどうかな? 『待って』で止めるの。それと安心を足すの。正しく使うコンドーム+もう一つの方法は、医療機関で相談しよう? 今日を準備の日にしてもいいし、はじめての日にしてもいい。——どっちでも、私は嬉しい」
胸の奥で、小さな音がした。
怖さの形が、ふたりで分けられる重さに変わる音だった。
「……凛。ありがとな。準備してきた」
湊人は引き出しから、新しい箱を出した。
凛が少し頬を赤くして、こくりと頷く。
「ね、合図の練習……してみようか」
「うん」
「——待って」
「……止まる」
凛の頰に触れた指を、ピタリと止めた。
「ありがとう。それじゃ、もう一回。——待って」
「止まる。……これでいい?」
二人で小さく笑った。笑いながら肩の力が抜けていくのが分かり、二人の距離が縮まっていった。
明かりを少し落として、暗闇の中で互いの輪郭を捉えるように見つめ合った。テレビは消して、ラジオを小さく。そしてキスは、ゆっくりと。
触れるたびに「大丈夫?」と目で問い、目で頷く。
指先は好きを辿るだけ。胸、鎖骨、耳の後ろ——ここが好きを増やしていく。
「……湊人、好きにしていいよ」
「でも、自信がないから……凛に嫌われないか、恐いんだ」
「私、湊人に触れられると、すごく嬉しくなる。だって湊人は私のこと、本当に大事に触ってくれるし、指先から好きが伝わるから……。だから、もっと触って欲しい。きっともっと好きが積もる。どんどん好きになる」
凛の言葉に胸がキュッと締め付けられて、目の前が歪んで見えた。彼女の背中に腕を回して、体重がかかりすぎない程度に体を預けた。
「あ、待って」
腰のあたりにあった俺の手をふわりと止めた。止まるだけじゃなく、離れすぎない距離で待機させて、彼女の言葉を待った。
「ありがと。合図、ちゃんと聞いてくれて」
「いや、むしろ合図があるほうが怖くないなって思ったよ」
その夜はここまで……。
そして最後の安心材料は……凛は医療機関にしようと言ってくれたけれど、俺の考えは違った。
十八歳まで待った理由は、ここにあるから。
「凛、初めての日は……土曜日でもいいかな?」
「うん、お互い休みの方がいいもんね」
柔らかく笑う彼女の表情が愛しかった。
俺も凛も、互いに家族に恵まれなくて、普通なら背負わなくてもいい苦労をたくさん背負わされてきた。
だからこそ……人一倍、憧れが強かった。
『初めてをする前に……結婚しようって伝えたいんだ』
重いと言われるかもしれないけれど、俺はやっぱり……快感を分かち合うだけの行為とは思えなかった。
凛の大事なものを貰う代わりに、俺も……。
まさか、目の前の男がそんな覚悟を決めて行為に挑んでいるとは知らずに、凛は嬉しそうにカレンダーを眺めていた。
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