第16話
東京の天龍家の豪邸、その地下にあるジムは、勇の聖域だった。
ダンベルとバーベルが整然と並び、鏡張りの壁が汗と筋肉の努力を映し出す。
勇は、辛い時や心がざわつく時、いつもここに籠って筋トレに没頭するのが習性だった。精悍な顔に汗を光らせ、長身の体を鍛え上げることで、彼は心のモヤモヤを振り払ってきた。
この日も、カルワラから帰国して数日、勇はジムでバーベルを上げ下げしていた。
だが、いつもと違うのは、その表情だ。
眉間に皺を寄せた真剣な顔ではなく、どこかニヤけ気味の笑みを浮かべ、鼻歌まで漏れている。
カルワラの海辺、プレマワティの清らかな微笑み、秘密の祠での手の温もり――彼女の記憶が、勇の心を軽やかにしていた。
そんな勇の隣では、お抱え運転手の
爽やかな顔立ちの颯は、普段は弟のように可愛がられているが、勇の「筋トレ仲間」に無理やり引きずり込まれることもしばしばだった。
この日も、ダンベルを握りながら、颯は不満げにぼやいた。
「勇さん、なんで俺まで毎回巻き込むんですか? 運転手は筋肉いらないっすよ! てか、今日、なんかやたら楽しそうじゃないですか? めっちゃ不気味なんですけど!」
勇は、バーベルをラックに戻しながら、ニヤリと笑った。
「颯、筋トレは心を鍛えるんだよ。ほら、もっと気合い入れろ! 俺のテンションが高い? そりゃ、カルワラの空気が良かったからさ!」
彼の声は、いつもより弾んでいた。
颯は、ダンベルを置いて首を振った。
「いや、絶対それだけじゃないっすよ。勇さん、なんか変! いつもなら『うおお、俺の人生!』とか叫びながらバーベル上げてるのに、今日、鼻歌って! 恋でもしたんですか?」
颯の軽い冗談に、勇の手がピタリと止まり、顔がみるみる赤くなった。
「な、な、なんだよ、恋って! バカ言うな!」
勇は慌ててバーベルを握り直したが、動揺がバレバレだった。
颯は目を丸くし、ニヤニヤしながらさらに突っ込んだ。
「おおっと! 顔、めっちゃ赤い! 勇さん、マジで恋したでしょ! 誰? ねえ、教えてよ!」
その騒ぎを聞きつけたのが、勇付きの執事、
端正な顔立ちで、勇と同い年の優は、いつも冷静沈着な右腕だ。
ジムのドアからひょっこり顔を出し、颯の騒ぎ声に呆れたように言った。
「颯、うるさいぞ。勇様がせっかく集中してるのに……って、勇様、顔真っ赤じゃないですか? 何があったんです?」
勇は、ダンベルを握ったまま、誤魔化すように咳払いした。
「いや、なんでもない! ただ、筋トレで血が上っただけだ!」
だが、その声は明らかに動揺していた。
勇は、鋭い観察眼で勇の様子を見抜き、ニヤリと笑った。
「ふーん、血が上った、ねえ。颯、こりゃただの筋トレ熱じゃないな。勇様、サンタルガで何かいいことありました? たとえば……
その瞬間、勇はダンベルを落としそうになり、慌ててラックに押し込んだ。
「す、優! なんでプレマワティ様の名前が出てくるんだよ! お前、なに知ってるんだ!」
彼の顔は、これ以上ないほど真っ赤で、まるで高校生の初恋のようだった。
颯と優は、顔を見合わせ、ついに爆笑した。
「ハハハ! 勇さん、めっちゃバレバレっすよ! プレマワティ様って、めっちゃ美人なんでしょ? どんな人? ねえ、話してよ!」
颯が畳み掛ける。
優も、クールな顔を崩して笑いながら言った。
「勇様、僕、隆さんからちょっと聞いてましたよ。カルワラで、公女様とロマンティックなことあったって。ほら、合同慈善活動とか、空港での涙の別れとか……いやー、勇様、恋に落ちましたね!」
「う、うるさい! 二人とも、からかうな!」
勇は、顔を真っ赤にしたまま、ジムのタオルで顔を覆った。
だが、心の奥では、プレマワティの微笑みと、彼女の涙ぐんだ瞳が浮かんでいた。
「またお会いできますか?」――あの言葉が、彼の心を離さなかった。
颯は、笑いながらも少し真剣に言った。
「でもさ、勇さん、恋する勇さん、めっちゃいいっすよ! いつもより人間味あるっていうか! 応援しますから、ガンバってください!」
優も、ニヤニヤしながら頷いた。
「颯の言う通りです、勇様。プレマワティ様との縁談、絶対モノにしてください。僕らも、勇様の幸せ、願ってますから」
勇は、タオルを下ろし、照れ笑いを浮かべた。
「……ったく、お前らな。まあ、でも……ありがとうな」
彼の声には、恥ずかしさと、プレマワティへの想いを再確認する決意が込められていた。
***
その頃、カルワラのでは、プレマワティが星空を見上げ、勇への恋心を胸に抱いていた。 彼女のSNSには、勇からの短いメッセージが届いていた。
「カルワラの星を、東京から思い出しております」
その言葉に、彼女の心は温かな光で満たされた。
「勇様、私もまた、あなたに会いたいわ」と、彼女は天に祈った。
二人の心は、遠く離れていても、女神チャハヤワティの導きによって結ばれていたのであった……
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