第4話「名前で呼んでくれませんか……?」

 次の日、目が覚めると、一緒の部屋で寝ていたはずの彼女がいなかった。

 もしかして、出て行ってしまったのだろうか。まぁそれならそれで仕方がない。

 とはいえあんなブカブカのジャージ姿で外を歩いて恥ずかしくないだろうか。眠い目をこすりながらぼんやりとそんなことを思っていた。


 時間は朝の7時。俺は起き上がり、リビングへ行く。すると――


「――あ、奏多さん、おはよう、ございます」


 ブカブカのジャージ姿の彼女がいた。しかもキッチンに立っている。ああ、出て行ったわけではなかったのか……って、何をしているのだろうか。


「お、おはよう。出て行ったのかと思ってしまった」

「そんなこと、しません」

「そ、そっか、ていうか、何してるの……?」

「朝食を作ろうと思ったのですが、残念ながら冷蔵庫の中に食材が少なくて……パンは見つけたので今焼いているところです」


 昨日よりはしゃべってくれるようになったな……って、そうじゃなくて、朝食を作ろうと思った……? 申し訳ない、ここ数日忙しくてスーパーに行けてなくて、食材はあまりなかったのだ。


「そ、そっか、ありがとう……」

「いえいえ、お世話になったので、これくらい、させてください」


 彼女がニコッと笑って俺を見つめる。二重の綺麗な目で見つめられると、俺は恥ずかしくなって目をそらしてしまった。


「あ、パンが焼けました。食べましょう」


 彼女がパンをお皿に移して持ってきた。残っていた卵で目玉焼きも作ってくれたみたいだ。なんか本当に申し訳ない気持ちになった。


「……あ、ごめん、なさい、勝手に冷蔵庫覗いてしまって……」

「あ、いや、大丈夫。作ってくれてありがとう。食べようか」

「はい、いただきます」


 彼女が手を合わせて、いただきますと言ってパンを食べる。その彼女をじっと見てしまった俺は、やはり幼い感じがするなと思った。21歳にしては子どもっぽい見た目というか……おっと、これは言うと怒りそうなので言わないことにしておこう。


「……私、顔に何かついてますか?」

「あ、いや、なんでもない……それはいいとして、今日も雨が降ってるな……」

「そうですね……梅雨だから、仕方ないのかもしれませんね」


 窓から外を見るとしとしとと雨が降っているようだ。洗濯物が乾きにくいな……と思ったそのとき、彼女の服を洗ってあげないといけないことを思い出した。


「そうだ、君の服、洗わないといけなかった……乾くの遅くなりそうだな」

「はい、大丈夫です……あ、その、あの……」


 何か言いたそうな彼女だった。俺、変なこと言ったっけ……と考えていたら、


「……あの、『君』じゃなくて、名前で呼んでくれませんか……?」


 と、恥ずかしそうに言う彼女がいた。


「え、あ、名前か……ごめん、じゃあ、高野さん……で?」

「あ、いえ……できれば下の名前で……」

「え、そ、そっか、じゃあ、美玲さん……で?」

「はい。あ、『さん』はいらないのですが、ダメですか……?」

「え、あ、いや、ダメってことはないけど……」

「じゃあ、『美玲』で、お願い、します」


 そう言ってぺこりと頭を下げる彼女だった……って、出会ってまだ一日なのに、名前で呼ぶとか……俺は頭がおかしくなりそうだった。


「そ、そっか、じゃあ……美玲で」

「はい。そっちの方がいいです」


 ニコッと笑顔を見せる彼女――美玲だった。やはり昨日よりはだいぶ話せるようになっているな。よく小説や漫画でありがちなのが、全く話さない女の子。それよりは意思疎通が取れてありがたいものだ。


 ……ん? ちょっと待て。何を考えているんだ俺は。出会ってまだ一日の彼女――美玲に、少し自分のペースを狂わされているのかもしれない。


「……雨、やみそうにありませんね」

「あ、ああ、そうだね、食べ終わったしちょっと洗濯機回してくるよ」

「はい。私は後片付けを、やっておきますね」

「あ、ごめん、ありがとう……」


 美玲がゆっくりと食器を重ねて、キッチンへ持っていく。その姿を見た後、俺は洗濯機を回しに脱衣所へ行った。


 ……それにしても、不思議な人だ。美玲は俺という男性に恐怖心がないようだった。お互い大人であるとはいえ、知らない男の人をそう簡単に信じていいものか。いや、俺は別に悪い人というわけではない。でももう少し危機感を持った方がいいのではないかと思った。


 洗濯物を入れ、洗濯機を回した後、リビングに戻ると、美玲はテーブルの前にちょこんと座っていた。


「その格好では、家に帰るのは難しそうだな……」

「あ、そうですね……あの、もう少しここにいても、いいですか……?」

「え、あ、そうだな……せめて洗った服が乾くまでは……もうちょっと時間がかかりそうだけど」

「ありがとう、ございます……奏多さん」


 また名前を呼ばれてしまった。じっとこちらを見てくる美玲。ああいかん、落ち着け俺。目の前にいるのはちょっと幼い感じがする大人の女性だ。いやそれだけでだいぶ緊張するんだけど。


 洗濯が終わって、部屋干しするのは、もう少し時間が経ってからのことだった。

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