第3話

「おいおい、わかったぞ遠藤!」


 山崎が、後ろから俺の肩を叩いてきた。こんな感じで話しかけてくるときは、大抵とんでもないことを言ってくる。


「あんさ、共通の趣味っつーものをさ、つくりゃいいんだよ。無理やりね。」

「共通の趣味ってなんだよ、一緒にベースやるとか?」

「まさに!教えてもらえばいいじゃん。距離縮まるぞ~」

「無茶言うなし。ベースとか金かかるし」

「その金と引き換えに、沢村と付き合えるんなら?」


 そこで俺は少し言葉に詰まってしまった。でも......


「ベースを通して仲良くなったからといって、そこから付き合いに発展するとは限らないじゃん」

「だめだよそんなんじゃ。自信持てよ。来年甲子園に出るであろう高校のサードのレギュラー。三本塁間のベースラインの番人だろ。かっこよすぎるって。絶対に付き合えるって」

「んーわかった。ベースの件については検討する」

「おっ、いいね。それでこそよ」


 太陽には白い雲が今までかぶっていたが、雲は動き、隙間から一筋の光が俺たちを照らし始めた。茜の光だ。


「でもさ、あくまでも検討だからな。検討」


 部活帰りの俺らはその後も恋愛談義を続けた。





 部活で使ったサポーターをどうやら教室に忘れていたようだ。集中しなければと思いつつ、小走りで学校へと戻る。

 薄茜の光が木の葉の間から差す薄暗い教室に足を踏み入れると、机に楽譜を広げて、ベースを抱えて座る沢村がいた。


「遠藤くん、何しにきたの?」

「まぁサポーター取りに戻っただけなんだけど......沢村こそ何してるの?だいぶ時間遅いのに」

「自習練かな。あんまり遅くまで残ってるとスタジオが閉まっちゃうんだよね」

「尊敬だな、本当に......俺そんなことさ、あんまりできないっていうか......」


 会話が切れて、黒板の上の時計の秒針の音だけがただただ聞こえる。


「沢村、俺、ベースに興味があってさ、どんなもんなの?」

「なーに。いきなり言うからびっくりしちゃったじゃん。まぁ、やってみるのが一番早いんじゃない?弾いてみる?」

「じゃあ、ちょっと弾いてみるわ」


 沢村は隣に椅子を準備して、ベースを渡してきた。


「まずね、こっちの腕でボディを抑えるようにしてね、こっちの手の親指はここ」

「こんなもん?」

「いいね!様になってるよ!」


 沢村は笑いながら親指を立てた。


「でね、ここの細い板、フレットって言うんだけど、ここを境目に音が変わるの。」

「なるほど」

「適当なところ押して、右手の人差し指で弦をはじいてごらん」


 はじくと、体に響く低音がでた。ただ、「奏でる」とは程遠い、ガリガリとした雑音が混じっていた。それでも沢村は何も言わずに俺を温かく見守っていた。


「じゃあ、こことここと......そうやって押さえるとね、メジャースケールってのができるの」

「なんじゃそれ」

「とりあえずやればわかるよ。はいここ、またここ、次は......」

「あれ、これ小指届かなくね」

「そういうときは、もうちょい脇を締めるようにするといい感じ」

「おっ、届いた。これ、ドレミファソラシドの音が出たんじゃない?」

「そう!気づきどころがいいね」


 嬉しかった。でも、不思議とドキドキしなかった。嬉しかったのは実は、単純にベースの理論の一歩目に気づいたのを褒められたからなのかもしれない。


「もうさすがに時間遅いからさ、あたし帰るね、じゃあね」


 沢村はベースを肩にかけて教室を出た。その背中は、まだ果てしなく遠く感じた。






 俺は今、長い道のりの始点に立っている。中古といえども15000円。それは新しい道を歩くことの重さでもあると思う。それでも俺は決意ができた。元から俺は、沢村に憧れていたんだと思う。「表現者」になれることが羨ましかった。話しかけに行けなかったのも、「雲の上の人」と思っていたからなんだと思った。たった今の俺が沢村を「好き」というのはおこがましいけれど、いつか沢村のようになりたい。その思いが、店頭のベースのネックに手を伸ばした。

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