わたしの世界を壊したのは、あなたの沈黙だった
@kureyama_hina
第1話 はじまりは、刃の音
人工知能、Artificial Intelligence、通称AI。
人間の知的活動を、コンピュータなどの機械で再現する技術や仕組みのことだ。
そのAIが誕生して、早くも数百年。
我々の生活になくてはならない物となったと同時に、我々の脅威ともなっていた。
——災核(さいかく)
それが突如出現したのは、1世紀ほど前。
人や街を破壊するその化け物は、当時の有能な科学者たちによって、AIが暴走し具現化された"何か"だと結論付けられた。
そんな災核との共存も、いまや日常となった。
私、夜坂灯(やさか・あかり)高校1年生は、夜の繁華街から一本外れた、人通りの少ない裏道を、封筒に入ったお札の枚数を数えながら歩いていた。
「年収1000万円って聞いてたんだけど、正直そこまで羽振りよくなかったな……次はナシ」
黒のフリルトップスにピンクのスカート、足元は厚底のローファー。
いわゆる「地雷系」の格好は、灯にとって男を落とすための戦闘服だった。
か弱そうで世間知らずな女の子——そう思わせて、あざとく近づけば、どんな男も勝手に恋に落ちる。
特別この格好が好きなわけではない。
ただ男を落とすための"武器"として使うためだけだった。
小さくあくびをこらえながら、スマホをスライドする。
灯は、数分前まで一緒にいた男の連絡先を削除した。
そのとき。
路地の奥に、黒い"しみ"が見えた。
最初は誰かが吐いた跡か液体の染みかと思ったが、どこか違っていた。
ただの汚れとは異質な、不気味な予感があった。
足が止まる。空気が一変し、重く鈍い静寂が押し寄せる。
肌にまとわりつく不快感。見えない膜が張り巡らされ、呼吸すら阻まれるような圧迫感だった。
普段なら本能的に「ヤバい」と判断して退くはずなのに、今日は身体が言うことを聞かず、ほんの一歩、足を踏み出してしまった。
その刹那——
ヒタッ。
黒い"しみ"が動いた。ヌルリと生き物のように、じわじわと灯の足元へ伸びてくる。
「え、ウソ、やば……」
後ずさる灯の視界で、しみが弾けた。
ヒュル——と空気が渦巻き、そこに形が生まれる。ぐにゃりと歪んだ異様な人型。黒い穴のような瞳が浮かんでは消え、裂けた口が大きく広がって声なき叫びを上げる。
感情が具現化した化け物。
学校で習った、あの“災核”。
何度もニュースで見てはいたが、実物を見るのはこれが初めてだった。
画面越しで流れていたものとは比べ物にならない。その姿ははるかに禍々しく、尋常ではない速度で迫ってくる。
「いや、いやだっ……誰か——」
叫び声は最後まで響くことなく、空気を裂くような鋭い音が響いた。
ドンッ!!!
見上げれば、路地の非常階段から一人の男が勢いよく飛び降りてきた。
躊躇いもなく災核の目前に着地する。
スッ——
鞘から刀を抜く音が響き、刃が月明かりを掠めた。
ザシュッ!
静寂を切り裂く一閃。迷いなく災核の身体を斬り裂く。金属の輝きが闇の中で光を放ち、斬り捨てられた災核は瞬時に黒煙と化して夜に溶け込んだ。
灯は息を呑み、その一連の動きに見惚れていた。
次の瞬間、男の姿が鮮明に浮かび上がる。
漆黒のジャケットは端正に仕立てられ、シワひとつない。左腕の紫色の腕章には紋章が刻まれていた。
それは何度もニュースで見たことのある、災核を討伐する国家部隊、通称CODE: VALOR(コード・ヴァラー)の制服だった。
「……おじさん、防衛隊の人だよね?」
男はゆっくりと振り返り、灰色の瞳で灯を見下ろした。鋭く、感情を押し殺したような澄んだ目だった。
「急いで表通りに出るぞ」
落ち着いた命令口調に迷いはなく、灯に早くここから離れることを促していた。
「うん、わかってるけど……」
灯は男の横に並び、小首をかしげて距離を詰める。
災核に襲われたばかりだというのに、灯の表情は不思議と柔らかかった。
「でもさ、名前くらい教えてくれてもいいんじゃない?」
にっこりと笑いながら、少しだけ上目づかい。感謝の気持ちよりも好奇心の方が勝っている。男はわずかに眉をひそめたが、言葉を返すことなく前を向いた。
「この辺りはまだ危険だ。行くぞ」
命令口調は変わらない。だがその声には確かな責任感がにじんでいた。
灯は無性にその後ろ姿に引き寄せられ、男についていくことにした。
路地にはぽつぽつと街灯が灯り、影が長く伸びていた。
時折遠くから車のエンジン音や話し声が届くが、この場所は時間が止まったような静寂に支配されていた。
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