第十五話 クズの名を背負って




 ***



 深夜の峠先にある公園の駐車場。族車やバイクが何台も並び、特攻服姿の男たちと数人のギャル風の女たちが集まる。怒号が響き、ただならぬ空気が流れていた。


 その中心で、クロが特攻服の“総長”の胸ぐらを掴んでいた。


「テメェ、どういうつもりだ!」


 いかつい体格の男──総長と呼ばれるその男は、口角を吊り上げて返す。


「どうもこうもあるかよ……テメェのケツを、俺が拭いてやったんだろうが!」


「頼んだ覚えはねぇーぞ!」


「……俺らにはお前が必要なんだよ、せいちゃん」


 その言葉に、クロの拳が震えた。

 あかりの名を出されたあの夜から、何かが変わってしまっていた。


「あんな糞だまりのカスみたいな連中に話しやがって……」


「じゃあ、どうすりゃよかったんだよ! あのままじゃパクられるか拷問がオチだぞ! ……あんたの彼女か知らねぇが……そのために人を殺したんだろうが、お前は。

 しかも、奴らのシマで、だ」


 拳を握ったまま、クロは総長の胸ぐらを離す。そして、背を向けて歩き出した。


「おい、どこ行く気だ! 今度は何するつもりだよ!」

 背後からの叫びに、クロは何も返さなかった。


 ただ、背中に届いた小さな呟き──


「……お前は敵がいねぇと気が済まねぇんだな」


 それが、最後だった。



 ***



 数日後。

 深夜の街、どこか薄汚れた裏通り。

 クロは陽翔はると、そして数人の仲間たちと共に、エナメルバッグを携え、ある建物の前に立っていた。


 ──暴力団事務所。


 無言のまま、見張りを“静かに”沈め、中に入る。

 鈍器を構える仲間たちの背を追って、クロはズボンの後ろからリボルバーを引き抜いた。

 階段を駆け上がる足音が、夜の中に重く響く。


 扉を開けた瞬間、銃声。

 組員が倒れ、続けてもう一人、三人、崩れるように撃ち抜かれた。


「おい、ガキ……ここまで来たら“間違えました”じゃ済まねぇぞ──」


 言葉の途中で、再び銃声。

 あっという間だった。クロの弾は、一度も外れなかった。


 奥の扉が開かれる。

「どこの組のもんだ、テメェらァ!!」と怒号が飛び、数人の組員がなだれ込む。


 それを迎え撃ったのは陽翔と仲間たち。

 鈍器を振り上げ、叫びながら組員を殴る。血と怒声、恐怖と覚悟が入り乱れる修羅場。


 そして、クロは奥の部屋へ。

 薄暗い空間の中央に座っていたのは、組長──壮年の男。その男は、銃を向けるクロを見てゆるく笑った。


黒江誠志郎くろえせいしろうだな。……ケツ持ってやったってのに、どういうつもりだ?」


「……ああ、おかげで助かったぜ。これはその“お礼”だ」


 クロは淡々とそう言い、エナメルバッグを差し出す。

 組長の顔が引きつる。中身を確認する前に、椅子に縛り付けられる。


「なんだこいつぁ……おい!? やめろ、何しやがる!」


 クロは黙ってバッグの中から“それ”を取り出した。


 事務所の一室、重たい空気の中。


 クロは無言のまま、黒光りする鉄の塊を組長の目の前に置いた。爆弾だ。手製の、目覚まし時計を改造した時限式の装置。その針がカチリ、カチリと無情に時を刻む。


「なんだこりゃ……冗談だろ……?」


 組長は身を乗り出そうとしたが、椅子に括りつけられた腕がきしんだ。焦燥と怒りが混ざった声をあげる。


「てめぇ……こんなことして、タダで済むと思ってんのか……黒江誠志郎!」


 クロは一歩、組長の懐に近づいた。


「助かったよ。ケツ持ってくれて、な。だから“お礼”してやってんだよ、こうしてな」


 静かに、しかし怒気を含んだ声。組長が吠えるように応じた。


「お前らみてぇなクソガキに付き合ってやっただけだ!お前らが勝手に暴れて──俺たちが後処理してやったんだ!」


「仕組んだのはお前らだろ……てめぇらが仕向けたんだ、俺らと向こうをぶつけて、裏で“ケツ持ち料”ふんだくるために……」


 クロの目が燃えていた。怒りでも、悲しみでもない。焼け焦げたような無感情の炎。


 組長が、ふと口元を吊り上げた。


「……瀬里せり灯、だったか」


 その名前に、クロの時間が止まった。


「……あの娘、まだ病院のベッドで寝たきりなんだってな。いい女だったじゃねえか。……なあ、誠志郎。あんな無防備な身体、守ってやれるのかよ? それとも……誰かに、いただかれちまってるかもなァ?」


 その瞬間、何かが弾けた。


 クロは組長に馬乗りになると、何も言わず拳を振るった。


「……灯に手ェ出すのは構わねぇ……」


 骨が軋み、皮膚が裂ける音が響く。返り血が飛び散っても、クロの拳は止まらなかった。


「──ただなぁ、楽に死ねるとは思うなよ」


「ま、待てって誠志郎くん!! 時間が、もう──!」


 仲間の一人が目覚まし時計の針に気づいた。爆発まで十数秒。


「離せって、まだ終わってねぇ──!」


「今終わらせなきゃ、お前も死ぬぞッ!!」


 叫びと共に仲間がクロの身体を無理やり引き剥がす。火事場の馬鹿力というやつだった。肩を抱えられたまま、クロは出入り口まで引きずられる。


 ──そして、爆発。


 凄まじい衝撃音と共に事務所が炎に包まれた。外まで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたクロの視界が白く染まっていく。


 ふと、誰かの手を取ろうとしたが、そこには誰もいなかった。



 ***



 ボロアパートの一室に、剣呑な空気が充満していた。


 クロの襟首をつかんで壁に叩きつけたのは、葵原あおいはら陽翔だった。感情の限界を超えたような怒りが、その目に滲んでいる。


「……あんたが! 挑発になんて乗らなければ、ケントは死なずに済んだんだ!」


 押し黙ることも、謝ることもせずに、クロは低く呟いた。


「……知るかよ。あいつが勝手にやったことだ」


 その言葉に、陽翔の顔が歪む。


「今ようやくわかったよ……あんたは、正真正銘の──最低最悪のクズだ」


 拳は振るわれなかった。ただ、言葉が殴打のようにぶつけられる。


「周りの人間を巻き込んで、地獄に引きずり込む。昔から、ずっとそうだったんだ……そして、これからも──」


「勝手についてきただけだろうが!」


 クロの反論は声だけが荒く、しかし視線は逸らしていた。


 陽翔は噛みしめるように言った。


「……周りの人間だけじゃねえ……。あの爆発で、巻き込まれて死んだ一般人がいたんだよ」


「…………」


 クロは何も返さなかった。ただ、表情だけが少しだけ歪んだ。


「……あんたにとっちゃ、どうでもいいだろうけどな」


 そのときだった。部屋のドアノブが静かに、しかし確実に回された。


 ギイ……と軋むような音とともに、扉が開く。


 そこに現れたのは、全身を黒鉄に包んだ巨影──ゼルグレイン。


「……そうだ」


 金属の声が、部屋の空気を凍らせる。


 ゼルグレインは一歩前に出ると、クロの首を片手で掴み、そのまま持ち上げた。


「こいつは──仲間の忠告を無視し、地獄に落とす“クズ”だ」


 床から浮いたクロの足が空を掻く。


「お前は常に敵を求める。そして、そいつを“ぶっ殺す”ことでしか、自分を保てない」


「……そうだろう、黒江誠志郎」


 そのとき、クロの足元が冷たい何かに捕まれた。


 視線を落とすと、そこにいたのは──瓦礫に押し潰された無残な姿のフェリナ。


「……クロ……。あなたの隣に、いたかったのに……。こんな体じゃ、もう無理だよ」


 その言葉と共に、別の手がクロの腕を掴む。


 ──ケントだった。笑っていない。血まみれで、右腕はすでになく、左目も潰れていた。


「……見てくださいよ、誠志郎くん。あんたを庇ったせいで、俺は──こんなになっちまったっすよ」


 クロが視線を上げると、そこはもうアパートではなかった。


 ──奈落だった。


 天も、地もなく、どこまでも黒く深い“無”の底。


 その闇の中から、幾千の手が伸びてくる。過去にクロが殺した者たち──否、殺してしまった者、死に追いやってしまった者、その全てが、この場所で手を伸ばしていた。


 足首、胸元、肩口。ひとつ、またひとつと、クロの身体が“罪”に縋られていく。


「お前はこれからも、同じことを繰り返す」


 ゼルグレインの声が、頭上から降るように響いた。


「その“殺意”が……また、誰かを巻き込む」


 ──その言葉が、最後の呪詛のように響いた刹那。


 目の前が、白く弾ける。


 気づけばクロは、宿のベッドの上で、ひとり汗だくで目を覚ましていた。


 息が荒く、喉が焼けつくように渇いていた。


 夢だった。


 だが──あまりにも、現実のように鮮明だった。


 そして、傍らに──

 椅子に座っていたリナが、静かに身支度を整えていた。


 淡く光るランプの下、彼女は無言のまま上着を羽織り、そのまま窓際に立った。


「言っておくけど、こういうのは──最初で最後だからね」


 リナはクロに背を向けたまま、ぼそりと呟いた。


「……あんたと会うのも、今日限りだし」


 言葉とは裏腹に、彼女の声音は怒りよりも、何かを押し殺すような硬さを含んでいた。


 腰のポーチから取り出したのは、鍛え直された短剣だった。


 刃に浮かぶ自分の顔と──背後のベッドにいるクロの姿。


 リナは微かに目を細め、その刃に向かってぽつりと零す。


「ほんと……クズよね」


「……あんたもさっさと着替えなさいよ。ジードがあんたに話あるんだから」


 その言葉を最後に、彼女は剣を鞘に戻し、扉の前で立ち止まった。


 振り返らずに、ドアノブを回す。ギィ、と軋む音とともに、朝が近づいていた。


 閉じられた扉の向こうに、彼女の足音が消えていく。


 クロは動かずにいた。ただ、天井を見上げたまま──


 何も言葉を返すことはなかった。

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