第3話 任務は花の音とともに

 次の日、学食で朝ごはんを食べていると、目の前の席に少女が腰かけた。どうしてここにしたんだろう、他の席も空いているのに。ちらりとその子を見ると、ぱっちりとした目がこちらを見ていた。栗色の髪をしっかりと巻いた彼女は、向日葵のように、ぱっと笑う。

「おはよう! あなた、新メンバーなんだって?」

「……あ、あなたも組織の方?」

「そ! 二年の日向花音ひなたかのん。気軽にかのかの先輩~って呼んでいいからね!」

「えっと、花音先輩」

「真面目ちゃんだなあ」

 花音先輩は困ったように笑った。でもすぐに真剣な顔になる。

「リーダーからのおつかい。一緒に店舗街に行こうか」

 一枚のメモを渡される。綺麗な文字でこう書いてあった。『HCl切らしちゃったから買ってきて』。最後にリーダーの署名も入っている。HCl……塩酸のことだ。何に使うんだろう?

 花音先輩がにこっと笑った。

「紬ちゃん、初任務だね!」

「は、はい!」

 ぴっと背筋が伸びた。心の中に、夏の朝の空気が広がる。しっかりしなくちゃ、何とかこの島を出るために! 

 食事を終わり席を立つと、花音先輩は私の手を引いて歩き出した。…やけに距離が近いな。これが陽キャか、怖い……。花音先輩はそんな私の気持ちを何も気にしていないように、渡り廊下を通った。朝なのにもう暑い。周りに中庭の緑が広がっていて、研究室のように真っ白な校舎が眩しかった。と、木陰に誰かがいる。その姿に気が付いた花音先輩は大きく手を振った。

「あ! はるはる先輩だ! お疲れ様でーす!」

「はるはる先輩……?あ」

 近づいてよく見てみると、陽翔先輩だ。何か光輝く棒を、一心不乱に振り下ろしている。彼はこちらに気づくと驚いたような顔をした。

「日向に紺野。どうした?」

「陽翔先輩、はるはる先輩って呼ばれてるんですか?」

「あーまあな。日向が勝手にそう呼んでるだけ」

「絶対そっちの方が可愛いですよう。ねえ紬ちゃん?」

 そういうものなのだろうか。キラキラ女子の感性はちょっと分からないけど。賛成した方がいいような気がして、私は言った。

「そ、そうですね。私もそう呼びます」

「お前もそっち側かよ……」

 ため息をついた拍子に、手に持っていた棒がふわりと消えた。私はびっくりして陽翔先輩――はるはる先輩を見る。

「え……? 今のって」

「見たの初めてか? 俺の剣道部の能力。自在に剣を出現させて攻撃できる能力だ」

 先輩が無人の空間に向かって一つ礼をした。その途端に夏の光がぎゅっと集まって来て、一本の剣を形作る。蛍光灯のような光ではなく、ホタルのような柔らかい光だった。この国の最新科学の賜物である。まあ、人々の生活のためなんかではなく、たくさん人を殺せる兵士を作るために開発された技術なんだけど。私たちを強い兵士にするために。

 花音先輩が興奮したように言った。

「はるはる先輩の能力、すごいんだよ! めっちゃ強力なの。私たちの授業にも、ちょくちょく講師として呼ばれるくらいなんだから! すごいでしょ!」

「なんでお前が自慢げなんだよ! それに、講師はだいたい会長の代理で行ってるだけ!」

「会長?」

 はるはる先輩は、ああ、と複雑そうな顔をした。

「生徒会長の篠原瑠璃しのはらるりのこと。うちの学校で一番強力な能力を使えるのはあいつだ。でも生徒会の業務が忙しいらしくて、だいたい俺が代理で講師に出てる」

 私の脳裏に、あの美しい会長の姿が浮かんだ。あの人が攻撃してる姿なんて想像つかないけど……。人は見かけによらないものだ。

 私はふと気になって花音先輩に尋ねた。

「花音先輩の能力は何ですか?」

「私はバスケ部だから、光の玉を操れる能力! 魔法みたいにびゅんびゅん飛ばせたり、パス出来たりするの! かっこいいでしょ?」

「……そうですね」

「紬ちゃんは?」

 そう聞かれて、私は俯いた。私の能力は一向に現れない。もうクラスメイトはほとんど出来ているのに。……ほんと、文芸部の能力って何なんだろう。私の態度を見て察したのか、花音先輩が優しく言った。

「まあ、最初はコツ掴むのが難しいよね。気長に待てばいいと思うよ!」

「……ありがとうございます」

 そのまま私と花音先輩は中庭を後にした。


 学校の正門から一歩外に出ると、そこはすぐに店舗街。雰囲気ががらりと変わった。石畳が敷き詰められた道路に面して、たくさんのお店がある。ショーウィンドウに真っ青な空が反射していて、まるで海の中にいるかのようだった。

 でも花音先輩は、メインストリートから一本外れた通りを歩き出した。裏通り、というのだろうか。店舗街を取り囲んでいるブロック塀の近くだ。さっきまでのキラキラした空気とは明らかに違う。どんよりと暗くて、人通りもほとんどなかった。服屋やアクセサリーショップは姿を消し、古書店だの楽器店だの、少しマイナーな店が多くなっている。

「ちょっと怖いですね」

「このへんだと思うんだけど……あ! あそこだよ!」

 先輩は右側の店に近づいて行った。雨で汚れた看板を拭くと、古びた文字で『政府薬品店』と書いてある。先輩はとん、と私の背中を押した。

「はい、じゃあ行ってきて!」

「えっ」

「紬ちゃんの初任務なんだよ? ちゃちゃっと済ませて、リーダーに褒めてもらいなよ!」

「ええ……」

 こんな暗くて怖いところに1人で……? 私は大きく息を吸った。落ち着け。こんなんで怖気づいていたらやっていけない。私は店のドアノブに手をかけた。深呼吸をして、ゆっくり開ける。

 店の中はやっぱり薄暗かった。木製の棚が天井までそそり立っていて、よく分からないラベルが貼ってあるビンが、所せましと並んでいる。カウンターを見ると、腰の曲がったおばあさんがいた。

「いらっしゃい。生徒が来るなんて珍しいですねえ」

 穏やかな口調だけれど、目の奥には鋭い光が宿っていた。胸に、政府所属と書いてある名札をしている。こんなご高齢の方でも職員なんだ。

「あの、塩酸を頂きたくて」

 おばあさんは手際よくいくつかの瓶を取り出した。私は学生証を見せる……こうすればお金を払う必要はない。全て政府がもってくれるのだ。おばあさんは瓶を袋に入れて、しっかりと持たせてくれた。

「はい、まいどあり。取り扱いには注意するんだよ」

「ありがとうございます」

 よし、任務完了! 私は何とも晴れやかな気持ちで店の外に出た。腕にかかるずっしりとした重みが心地いい。すかさず花音先輩が駆け寄って来て言った。

「お疲れ! ね、さっき可愛いワンピ見つけたの! 買いに行かない?」

「……先輩が行きたいならいいですよ」

「やったー! じゃあ、決まりね」

 先輩はまた私の手を引いて歩き出した。

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