おわりのはじまり ③
帰りしなに、俺はがらんとした二階の職員室の窓際に立つ。
その外には、ここからの蛍光灯の光も届かない放課後の宵闇があった。
そこにじっと佇む〝鬼を祀る祠〟――どこかひどく異物感を覚えてしまう。七不思議に鬼が関わるものが多いのも、きっと敷地の中にあんな祠があるからなのだろう。
「あんまりじろじろ見てはいけませんよ」
突然、そう声を掛けられた。
驚いて振り向く。青白い顔に黒縁眼鏡が浮いている前島が扉のところに立っていた。いつものお決まりの、新任の俺以外の先生たちが集まる会議が終わったのだろうか。
「前島先生――え、なんでですか」
いそいそと自分の席の引き出しの奥深くから黒いファイルを取り出して小脇に抱えてまた出ていこうとするあたり、一旦抜けてきただけなのかもしれない。
「その行為が、不敬にあたるからです」
まるで出来の悪い生徒に社会常識を教え諭すかのような、丁寧な割にしっかりとした重みを感じさせる口調。俺はそれ以上の追求をし辛くなってしまう。
しかし、前島の黒いファイルの背表紙に小さく書かれた名前を見て思わず、
「……あれっ? 『遠峰』?」
この前出会った卒業生の長塚が言っていた、遠峰先生。
あの後調べてみたところ、やはり遠峰という先生は職員室には居なかった。
他の先生に尋ねてみたところで不自然なぐらい曖昧に濁されるだけで、かつて在籍していたのかどうかも分からないくらいで困っていたが――、
「やっぱりいたんだ、遠峰先生って」
前島は天井を仰いで、深い溜め息を吐く。
「ええ、確かに遠峰先生はこちらで教鞭をとられてました」
「実はこの前卒業生が尋ねて来てて――遠峰先生は、今はどちらに?」
「病気療養中、です」
「そうなんですか。参ったな……ご連絡先ってわかります?」
ちっ、と舌打ちが聞こえて驚いた。
それから前島は唐突に頭をばりばりと掻きむしり始めて、苛立たしげにもう一度大きく深い溜め息を吐く。少し猫っ毛気味の髪が乱れてはらはらと何本かが床に落ちていく。
何か、猛烈な感情が爆発する直前の様相だった。
前島がこんな風になるのを初めて見た。
ただただ当惑していると、
「あのですね――参っているのは、私たちの方なんですよ……。もう本当にいっぱいいっぱいなのに、こう目の前で呑気にふらふらされて、どういう気持ちになると思います……? もう、猫の手だって借りたいくらいなのに……なんで」
地雷を踏んでしまった。そんな感覚があった。
「……気に障ること言っちゃってたらすみません。でも俺、放課後の会議にだって呼ばれないし、いまいちこの学園の――その、暗黙の了解? みたいなこともわからなくて」
前島は他の先生方と比べて、比較的俺と喋ってくれる。
だから怒らせるのも決して本意じゃなかった。
しかし、前島の勢いは収まらない。
血走った目で、詰め寄られる。
「――じゃあなんですか。お教えすれば、手伝ってくれるんですか」
手伝うといえば、面倒事に巻き込まれる予感がする。
だけど、断れるような雰囲気じゃなかった。
鼻息荒い前島に向かってしぶしぶ頷く。
すると彼は怪しい笑みを浮かべて、
「美成瑚学園にはね、鬼がいるんです」
また鬼か、と思う。
どういう比喩なのだろう。
そう考えているのが顔に出ていたのか
「ああ、もう!! 折戸先生、アンタ例え話かなんかだと思っているでしょ違うんです全く違う本当なんです、その鬼を上手く宥めないと! 全てが終わるんですよっ!!」
「前島先生、その……」
おかしくなった、そうとしか思えなかった。
「じゃあ来てください。約束通り手伝ってもらいますから」
そういうと彼は俺の腕を掴んでずんずん進んで行く。体格で言えば俺よりも小柄で細い前島先生は信じられないくらいに力が籠もっていて、俺はただただ頼りない蛍光灯が明滅する廊下を引っ張り回されていく。
その最中でも、前島はぶつぶつと呟いた。
「くそ」「こんなこと知らなけりゃ」「おかしいだろ」「遠峰先生さえしっかりしてれば」「なんで僕が」「僕が尻拭いしなくちゃなんねえの」「ふざけんなよ」
その言葉に中に僅かな悲哀が混じっているのが仄かに感じられた。
だから、今ひとつ本気で逆らえなかった。
連れて行かれたのは三階奥、第二会議室。
薄暗いそこに着席して項垂れている教頭を始めとする先生方。
誰も彼も生気のない顔をしていたけれど、持って帰ってきたのが例の黒いファイルだけでなく俺も付随していたことに気づくとひどくうろたえていた。
骸骨のような教頭が顎を震わせて、
「前島先生、なんでキミ、折戸先生を……? まだ早いんじゃ」
「もう遅いとか早いとか言える状況じゃないでしょうが! 私たちは!!」
教頭は再び項垂れて、それ以上何も言わなかった。
「遠峰先生がああなった以上、全部私達で解決しなくちゃならないんです! 生徒たちのためにも、美成瑚の未来のためにも! そうでしょう!?」
「でも、一応は楠田を〝役〟としたけど、上手くいってないじゃないか」
沈黙に耐えられなくなったかのように、他の学年主任の先生が言った。
「だから、やり方が悪かったんですよ――もっと正式な方法で、鬼を」
ぎぃやああああああああああああ
それは、たぶん、何者かの絶叫だった。
突如どこかから響いてきたその声に皆が身構えた刹那、何かの破裂音のような者が連続して響く。近づいてくる。雷かと思った。違った。吊り下げられた電灯が揺らめいている。天井から振る、塵と埃。幾人かが悲鳴を漏らした。教頭は机の下に潜り込み、恐怖のあまりか小さく嘔吐していた。つんとした胃液の匂いが周囲に漂っていく。
映画を見ているかのような、現実感の無さ。
ただ、漠然とこう思う。
その禍々しさから本能で察する。
この音の発生源に巻き込まれたら――死ぬんだろうな、と。
ぎぃやああああああああああああ
「……な」
なんだよこれ、
俺がそう言いかけた瞬間、前島の冷え切った手で無理やり口元を押さえつけられた。彼の酷く血走った目がすぐそこにあって、小刻みに顔を横に震わせている。
喋るな、ということらしい。
苦しかった。彼の指が呼吸を妨げる。
俺が藻掛こうとすればするほど前島はその手の力を強めていき、逃れようとすればするほど蛇のように締め直してくる。何度か軽く彼の身体を叩く。しかし前島はもう俺のことを見ておらず、開ききった瞳孔で何かを探るよう窓の外の闇に怯えている。
ざらついた彼の肌から、その体温から、恐怖が伝染していく気がする。
※
「……三年前の自殺騒動から、全てがおかしくなったんです」
俺が意識を跳ばしかけた後、その怪現象は始まったときと同じくらい唐突に収まった。先生たちはあれを鬼の仕業なのだと言い、酷く震えていた。
「それまでは、あんな変なこと一度も起こらなかったのに」
「鬼の祟りなんですよ。学園長が急死して――、理事長は行方不明」
「美成瑚で働けりゃ安泰なはずだったのに、こんなことになってるなんて」
「こんなのもう、生徒たちにも隠し通せないよ、美成瑚がおかしくなってるってこと」
俺が〝部外者〟でなくなったことからだろうか。
先生たちは言葉少なながらも、前みたいに俺に言葉を濁すようなことはなくなった。話しかけてくれる機会さえ増えたが、その話題の殆どがそういうこの美成瑚学園に奇妙な異変が起きているということばかりで、どうにも嬉しくない変化だった。
校舎の敷地内で赤黒い手形の痕跡が見つかる。
校内に突然原因不明の絶叫と奇妙な音が響く。
全校集会で生徒の頭数が一人多くなっていた。
渡り廊下を歩いていると誰かの視線を感じる。
中庭の祠付近に、黒くぼやけた人影が現れた。
監視カメラや防犯システムに謎の故障が続く。
時折、学校関係者が不審死や行方不明に陥る。
一方的にまくし立てられて返答に困った末に「まるで七不思議みたいですね」と言うと、くすりと笑うことすらせずに「そう……生徒たちのものじゃない、教師に向けた新しい七不思議かもしれませんね」と力なく返された。
そして会話の最後には、大体決まってこういうのだ。
「折戸先生は、辞めないでくださいね」
それはきっと、教育者の矜持――なんて高潔なものではない。
どちらかといえば、逃げ出さないよう皆で見張り合う類のものだ。
この学園に誘ってきたユウスケは俺という自分の後釜を用意することで、周囲から恨まれる度合いを可能な限り最小限に縮めてここから逃げ出したということだ。どれだけあいつに連絡を入れても繋がらないのも納得だった。
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