第32話:運命の年
アメリカ合衆国が退役軍人を対象とした保険制度を交付したのは記憶に新しいが、対白人感情が理由不明の高騰にある大日本帝国ではこれを見本とするべしという風説が俄に巻き起こる。さすがに、この不景気にそんな予算は無いと見送られたものの、これが思わぬ福音を生むことになる。大日本帝国が福祉を考えているという話は、多少の尾びれ胸びれがついてヨーロッパにもたらされ、軍事大国という評判を今少し和らげることとなった。尤も、軍艦大和の存在を公表した時ほどの福音ではなかったが。
そして、1941年が始まった……。
「そろそろ、選挙の日取りを決めなければ拙いですな」
「ああ、もうそんな時期か」
「はい、宇垣首相が組閣してから早五年、四年制ならばすでに一度選挙が無ければおかしい時期です」
「確かに、五年制に延長はされたが、その五年が経過する、か」
「はい、しかも普通選挙な訳ですから、妙な候補が当選して国際情勢が悪化しなければ良いんですが……」
「……確かに。とはいえ、立候補を制限する訳にもいくまい」
「それなんですよねえ……」
宇垣一成の任命期限は1941年1月25日であった。第二次宇垣内閣を作るにせよ、退陣するにせよ、一度選挙を行う必要が存在した。
そして、その日がやってきた……。
宇垣一成が続投を行わないと表明し、首相選挙は荒れるはずだった。だが、ある武官経験者が立候補した折に、それは沈静化した。
その人物の名は堀悌吉、予備役であり本来ならば引退してもおかしくない立場であったが、昭和帝から「宇垣はこの大事に続投をする気は無いという。とはいえ宇垣は一定の成果を収めた。今度は海軍の番だ。誰か、いないか」と閣僚に声を掛けられた際に「まあ、やるだけはやってみましょう」と声を上げたのが堀であった。
だが、堀にも一つ計算外なことがあった。それは……。
「やるだけはやってみると言ったが……、これは拙いな」
後に堀をして「一世一代の大博奕」と言わしめた事件、それは……。
「宇垣閣下!」
「おう、どうしたそんな息を切らせて」
「あの首相提督、想定よりも軍縮を進めております!」
「陛下がアメリカ合衆国が敵対せぬ以上軍縮をせぬと許さぬといったのであろう、なればやむを得まい」
「しかしっ……」
「案ずるな、軍縮で軍隊から追い出される者がいるならば、儂から訓示を行いなんとかする旨を伝えよ」
「……それで、済めば宜しいのですが……」
「大丈夫だ、人は好景気で荒む事は無いよ」
「はあ……」
堀の軍縮は非常に的確であった。と、いうよりは兵隊を減らしただけで事実上は軍拡とでも言うべき方法だったのだが、単に数をそろえれば良いと思っていた莫迦共にはそれが驚異の軍縮に見えたのだろう。
堀が行った軍縮の内容、それは。
「首相、こんなに兵を削減して大丈夫なのでしょうか」
「今一番削るべきは防衛費だ、何案ずるな。宇垣前首相がなんとかすると言っているし、兵の数をそろえれば勝てる時代ではないのだよ、今はもう」
「はあ……」
「それとだが、もう一つ厄介な案件があってな。なんとかしたいのだが、できるか」
「は、軍縮より厄介な案件でございますか」
「ああ、人は不景気を誰かの所為にしたがる。それが国家間で対照的であれば尚更にな」
「はあ……」
「全く、高橋蔵相が生きておればこんな苦労はしなくて済んだのだが……」
「して、何の案件でしょうか」
「うむ、この一件でアメリカ合衆国に恩を売れたら、決定的破局はなくなるといっても良い」
「……まさか」
「そう、そのまさかだ」
……アメリカ合衆国の不景気は、遂に行き着くところまで来てしまっていた……。
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