第19話:岩波流産
1938年11月のことである。ある出版社が創刊に失敗した。後に、ソビエト事件が起こったためうやむやのまま出版停止処分が続けられたのだが、その結果大きく赤軍的勢力は大日本帝国から殺がれることとなる。以後、新書という書籍媒体が日本に根付くには、ある程度の遠回りを強いられることになる。一方で、その翌月にはある出版社が創刊に成功しており、この創刊失敗は本当にタイミングの違いでしかなったことを意味する。創刊に失敗した側は差別だと訴えたが、それは法廷にて退けられることとなる。
そして、この時期には今でも天下に名を轟かせる部品企業が数多く出産することになる。特に多かったのは愛知県下で、隣県である静岡は大きく立ち後れ、人口を流出する羽目になった。一説にはこの苦い経験から文化面に舵を切った結果、日本初のアニメ制作会社が生まれたとも言われており、後に初めて日本初のカラーアニメを制作することになるのだが、その面影はまだどこにも存在しなかった。そのアニメの内容こそ、駿府城下の文庫本をリメイクした古くさい内容であったが、娯楽に飢えた大衆にとっては内容などどうでも良く、ただ映画館で人間以外の、空想上の産物が色つきで動くことに感動した。そして、この頃から同人制作の、モノクロフィルムが作られ始めることとなった……。
「参謀長、またこんなところで遊んで……」
ある人物を探していた男はそこで目的の人物を発見して、思わず上のような愚痴を漏らした。まあ無理も無い、その人物が熟すべき仕事は多岐に亘って存在したこともあるし、第一「参謀長」は有能であった。有能な者が、しかも高等官僚が怠けるのは国家の損失ともいうべきものであった。
「遊んでいるんじゃない、民力の視察だ視察」
参謀長と呼ばれた男は言うまでも無い、石原莞爾であった。彼は視察と称して度々映画館に足を運んでいた。彼は表現の自由というものを真剣に考えている数少ない為政者であった。さまざまな理由は存在するが、彼は民力を上げることこそが文明繁栄の秘策であると見ていたことが最大のものであった。
「それなら、別に映画館に籠もらずとも……」
「阿呆、娯楽ってのは民力の最たる物だ。こういうものが作れるならば、国力も自然と増加していくというわけだ」
それは、一面とは言え事実であった。娯楽を禁ずる国家は、何れ滅ぶ。それが彼の持論であり、その持論は極めて正しかった。なぜ、娯楽を禁じたら国家が滅ぶのか。それはいうまでもない、娯楽というものは一見無駄に見えて、その実娯楽を楽しめない国家というものは柔軟性を失って硬直し、世論などが思考停止に陥るからだ。彼はそれをよく存じていた。天性の才能かどうかまでは議論の余地があるが、彼ほど表現の自由というものの可能性を信じた軍人は古今希であった。
「はあ……、それは構いませんが、書類の方は」
「上がっているから、こうやって映画館に足を運んでいるんだ」
「そうですか、それならば私は先に帰りますが、くれぐれも早く帰ってきて下さいね?」
「ああ、わかっているとも」
……通称、「石原軍団」とは石原莞爾が余興として映画評論をし始めた頃から生まれた文壇の新たな側面であるとも言われている。
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