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『レムコード側も、だいぶブッ込んだ計画を出してきやがったな……』


 リュミヌー珈琲レイヤ支店のテーブルにつくなり、トークルームを展開した榊は開口一番そう言った。榊のアバターはいかにも執事といった風貌の、髪をオールバックにまとめてモノクルの眼鏡をかけた老人だった。


『大丈夫なんですか? いくら暗号化されたトークルームとは言え、ここはレイヤですよ? 内容が漏れたら……』


 侑子は純粋に心配して言ったのだが、榊と晴彦は特に気にする様子もなかった。


『このトークルームのシステム作ったの、俺』

『は?』


 こともなげにそう言った晴彦に、侑子は唖然とした。


『ついでに言うと、その仕様を指示したのは俺です』

『はぁ?』


 畳み掛けるような榊の発言に、侑子はまた素っ頓狂な声を出してしまった。


『正しくはディレクターが榊チーフ、プログラムのチームリーダーが俺で、表向きは、セキュリティ技術を持つ有志を募ったチームという名目だったんだけど……全員、佐々木さんの死に疑問を持っていたメンバーでね。このトークルームの設置が完了したら、全員でレムコードから離反する予定だった』

『……だった?』


 侑子は、いつになく言い淀む晴彦の物言いに違和感を感じた。しかし、その次の言葉はなかなか出てこない。榊が溜息をついて、口を開いた。


『プロジェクトの後半あたりから、一人、また一人と会社を去っていって、以降連絡がつかなくなったんだ。怪しいとは思ったが……決定打は岡崎さんだった』

『……俺のせいです。迂闊だった。うっかり俺が佐々木さんの話を漏らしてしまって……その数日後に……事故に……』

『……!』


 侑子は言葉を失った。そのタイミングは、怪しむなと言う方が無理だろう。


『命は助かったんですけどね。意識不明の状態だと聞きました。なんとかプロジェクトは完成させましたが、今あのメンバーで俺が連絡取れるのは、進藤だけです。……ただ、あのメンバーがそれこそ命懸けで作ったシステムです。レムコードだって盗聴できやしませんよ。言わば、今や【敵】になってしまったレムコードのフィールド内でありながら、一番安全な場所ってわけです』


 榊の話を聞いて、一抹の恐ろしさが侑子の背筋を駆け上った。今更ながら、何か、凄まじい相手を敵に回そうとしているのだと感じた。そして、それと対立しようとしているこの二人さえ、侑子には理解の及ばない人間なのかもしれない。


『それに、万が一聞かれていたって構うもんか。そもそもで、こっちがNetherlayerネザーレイヤに侵入した時点で向こうも勘付いてるだろうよ』

Netherlayerネザーレイヤに縛り付けられていたユーザーを解放していますしね。どうしたってログは残るでしょう』

『それは……! じゃあ、不味いことをしてしまったのでは……』


 この場にいるのがアバターで良かったと侑子は思った。実際に会っていたら、自分が青ざめているのを見られていただろう。

 その時、侑子の手に温かいものを感じた。この感触はおそらく、晴彦の手だ。


『大丈夫だよ侑子さん。あの時はどのみち、ああする必要があった』


 晴彦の方を向くと、愛くるしい獣人のアバターがニコリと笑った。それでも、侑子の胸はどうしてもざわついた。

 その時なぜか、トークルームの障壁越しにカウンターの向こうのマチュと目が合った。トークルームを展開している時は、周囲から中の様子は見えないはずだ。だが、マチュは明確に、こちらの様子を伺っているようだった。

 瞬間、マチュが微かに笑ったように見えた。


『そんなことよりも問題はEternum AIエターナム・エーアイとやらだ』


 榊の声で、侑子はハッと我に帰った。Eternum AIエターナム・エーアイ。確かレムコードが発表した、故人アカウントをAI化するサービスだ。


『レッドフラグ……所謂故人アカウントの生前のログを使ってAIを生成する、ってのが表向きになってるな』

『表向き?』

『侑子さん、俺たちが使ってるAetherLinkエーテルリンクに搭載されてるシステム、Etheric Dive Protocolは、使用者の脳波をスキャンしてそのエーテル体を分離させるものだ。そもそもでそのシステムを作ったのは、レムコードなんだよ』

『そんな物騒なモン作る会社が、故人の活動ログだけを追ってるわきゃねえよなぁ。Netherlayerネザーレイヤの存在からも、そこにユーザーを閉じ込めていたことからも、何かロクでもねえことをしようとしてるのは間違いないんだよ。そこにきて、故人のAI化ときた。これは……』

『待って!』


 畳み掛けて話そうとする榊を、侑子は止めた。頭の中がパンクしそうだったし、胃のあたりも何かがぐるぐると回っているようで気持ちが悪かった。


『待って、下さい……ねこねさんは、そんなところに囚われているってことですか……?』

『……!』


 榊の息を飲む音が聞こえた。晴彦は何も言わない。ただ、目を伏せていた。

 その後、しばらくの沈黙が続いた。

 それが本当なら、遥奈は命すら危ういということになる。あの時夢で聞いた『ちょぉっと、疲れちゃったかなぁ』という彼女の言葉が侑子の耳に蘇ってきた。

 彼女は、遥奈はそれを承知で、あの暗い場所に囚われたまま自分の意思で帰ろうとしていない。そういうことになってしまうではないか。


********


 寝付けなかった。いや、普段からすぐに眠れる方ではないのだが、今日は服用した眠剤すら効いてくるような気がしなかった。

 侑子はまんじりともせず、ベッドに入って何度目かの溜息をついた。これはもう、一度起きてしまった方がいいかもしれない。侑子はそう思って体を起こし、ベッドから離れてリビングの方に向かった。

 明かりが寝室に入らないよう、寝室のドアをそっと閉めてからリビングの明かりを灯す。侑子はカウンターキッチンの内側に周り、冷蔵庫のドアを開けた。若干喉が乾いたので何か飲もうかと思ったのだが、生憎すぐに飲めるようなものは何もない。珈琲をわざわざ作って飲むような時間帯でもないし、いつも水出しで作り置きしている紅茶も底を尽きていた。


「晴彦め……飲み切ったら流しにおけと言ったはずなんだが……」


 侑子はそう一人ごちると、空になったボトルを取り出してシンクに置いた。そのまま、コップを手にとって蛇口から水を注ぐ。ミネラルウォーターを買い置く習慣は進藤夫婦にはない。侑子はあまり水にこだわりはなかったし、晴彦曰く「日本の水道技術は世界で類を見ないものなので、水道水で充分飲める」とのことだった。

 侑子は喉を鳴らして水を半分ほど飲むと、そのままコップを持ってリビングの椅子に座った。テーブルの上に、侑子が置きっぱなしにしていたタロットカードの束が見えた。侑子は手慰みにタロットカードを手に取ると、何をするでもなくパラパラと一枚ずつ、カードをテーブルの上に並べ始めた。

 ふと、侑子は手を止めた。めくったカードは「THE HERMIT」、隠者の逆位置だった。


「閉じこもる……このままでいたい、ってこと?」


 侑子はカードの束を置いて俯き、頭を抱えた。

 遥奈の生い立ちは今までの付き合いの中で時々聞いたことがあった。母親が離婚と再婚を繰り返していたこと。その度に違うと暮らさなければならなかったこと。母親は三交代制の仕事に出ていたので生活が不規則であり、兄弟たちの面倒を見ていたのが遥奈であったこと。出会った時からややメンタルの不安定さは感じていたものの、遥奈はいつもしっかりしている印象があった。それは、常に張り詰めて緊張した生活を送らざるを得なかった幼少期の賜物なのだろう。

 彼女は、救いを求めていない。いや、恐らくは現状こそが、彼女にとっての「救い」になっているのかもしれない。


「……侑子さん?」


 寝室のドアが開く音と共に、声をかけられた。パジャマ姿の晴彦が、眠たげにやや目を細めてこちらを見ていた。


「あぁ……すまない。起こしてしまったか」

「いや、俺はちょっと喉が乾いただけ」


 晴彦はそう言うと、冷蔵庫の方まで歩いていく。しかし、冷蔵庫を開いて中を見たのちに、目線をシンクに向けて、やや気まずそうに笑った。


「ごめん……紅茶、なくなってたっけね」


 そんな晴彦の様子を見て、侑子はフッと口元が緩んだ。


「次から、空になったボトルは流しに置いてくれるか? そのあとはやっておく」


 晴彦は、侑子と同じようにコップを手にとり、蛇口から水を注いだ。そして、そのコップを持ってこちらの方へ歩いてきた。


「これは、提案なんだけど」


 そう言って、晴彦は侑子の隣に座る。別に見られたくなかったわけではないが、侑子はテーブルの上に並べていたタロットを片付けながら晴彦の言葉に耳を傾けた。


「水出し紅茶の作り方、俺にも教えてくれる? なんだかんだ、俺も飲んでるからさ」


 侑子は手を止めて、晴彦の方に顔を向けた。晴彦の人当たりの良い瞳が細められて、優しくこちらを見ている。どきりとした。晴彦のこの表情に、侑子は弱いのだ。


「……じゃあ、明日教えてやるよ」


 そう言ってカードをまとめる侑子の手に、そっと晴彦の手が重なった。


「貴女に負担をかけて申し訳ない。だけど、俺は知りたいんだ。なぜ佐々木さんが死ななければならなかったのか」


 冷え性の晴彦の手は、もう既に桜も散り夏に入ろうとしているこの季節になっても冷たい。だが、体が火照りやすい侑子には心地良い冷たさだ。


「……俺の親は転勤族でね。俺が小さい時から何度も住む場所を転々としてきた。だから俺は、固定の友人というものをあまり作れなかったし、作る気にもならなくなってしまってね。学校にも馴染めなくて、引き篭もってた時期もある。そんな状態だった俺の世話を焼いてくれたのが、佐々木さんだったんだ」


 手が重なっている部分の体温が徐々に馴染んでいくのを感じた。侑子は目線を手元のカードの束に落としたまま、晴彦の言葉に耳を傾けた。


「佐々木さんは俺の父親の友人でね。あちこち転々とする父親にわざわざ会いに来てた。一人旅が好きだってのもあったらしいんだけど……だから、俺にとっては一番古い知り合いなんだ。俺が引き篭もっていた時、親に言えないような事も聞いてくれた。今考えれば、親には筒抜けだったんだろうけどね。だから、佐々木さんみたいになりたくて、必死で同じ職場を目指したんだ。それが……」


 晴彦の手に力がこもるのを感じて、侑子はゆっくりと晴彦の手の上に、更に自分の手を重ねた。


「ねこねさんとは……おれの父親が死んだ後に出会った。あの頃のおれは、父親の面倒を見る生活から解放されて、何かを取り戻したいと……焦っていたんだ」


 口を突いて出てきたのは、そんな言葉だった。言うつもりはなかった。だけど、晴彦の話を聞いたら、自分も話さなければいけないような気がした。


「デザインの勉強をしたりしてるうちは良かったんだが、占いについて突き詰めようとし過ぎて胡散臭い話に振り回されたり、着物にハマって高額なローンを組まされたり、まあひどいものだった。ねこねさんはおれのSNSの投稿を見て、しょっちゅう苦言を呈してくれていてね。彼女がハッキリ言ってくれなければ、今でもおれは自分の方向性を見失ってから回っていたと思う」


 そこまで言って、侑子はひと呼吸置いた。そして晴彦の手を強く握り、目線を上げて晴彦を見据えた。


「だから……こちらから頼みたいぐらいなんだ。晴彦、おれにやらせてくれ」


 握りしめた細くて冷たい手が、ぴくりと動いたような気がした。細められた瞼の奥で揺れる晴彦の瞳は、微笑む侑子の表情を切なく映し出していた。

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