第32話. 虚飾の謁見
王都の喧騒を背に、シエラはエデルヴィック宮殿の巨大な門をくぐった。
石畳を叩くブーツの音は、規則正しく、迷いなどない。門を守る見張り役が緊張した面持ちで敬礼を送る。
「オラトスの英雄、シエラ・ハイト殿とお見受けします。お待ちしておりました!」
シエラは立ち止まり、彼らに優しく微笑みかける。
「英雄だなんて大袈裟だよ。私はあなたたちと同じ。自分の街を守りたいだけだよ」
衛兵たちの頬は紅潮し、安堵と憧憬の色が浮かぶ。
「こちらの者の案内にお従いください」
案内役の文官が進み出て、恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました。私が謁見の間に案内いたします」
シエラは案内役の文官に導かれ、宮殿の内部へと足を踏み入れる。
高い天井、磨き上げられた大理石の床、壁に飾られた歴代の王や英雄たちの肖像画。かつてレクロマとシアが歩き、そして血を流したこの場所は、今や権威と伝統という名の埃に覆われていた。
前を歩く文官が、媚びるような口調で振り返る。
「オラトスでのご活躍、王都でも話題でございます。近年におけるファレーン王国の科学技術は大変脅威です。フォアボーテシアやあなた方の力を信頼していないわけではないのですが、さらなる攻撃力が開発された場合、国を守れるとは言い切れません」
文官はそこで一度言葉を切り、さらに声を潜めて続けた。
「さらに……ディレル陛下はまだ若く、王としての経験も浅い。王としての威厳ばかりを意識しているのか、ファレーン王国のものと同じ兵器を作らせようとしたり、あろうことかシア様を我が国の兵器としたり……現実性のない夢物語ばかりを進言するのです」
文官は困り果てたようにため息をつく。
「多少厳しくても、現場としての意見をいただけると幸いです。今の陛下には経験豊富なハイト殿の意見が必要なのです」
自分たちの王が手に負えないから私に頼るのか。歴代の王がいざという時にシア様に頼るのと同じだな。自分で立つことを放棄して……
2人は重厚な両開きの扉の前で足を止めた。
「オラトス自警団団長、シエラ・ハイト殿! 入室!」
見張り役の声と共に、重い扉がゆっくりと開かれる。
眩い光が溢れ出し、その奥に広がる赤絨毯の道が現れた。その最奥、数段高い玉座には1人の青年が座っている。
第6代国王ディレル・リクシアスマ。線が細く、王座に座る空気の重さに押し潰されそうなほど、その瞳には不安と焦燥が色濃く滲んでいる。その傍には、彼を守るように長姉アルスリンデが立っていた。
シエラは背筋を伸ばして堂々と絨毯を進み、ディレルの前へと近づいていく。玉座の階段下まで進むと、彼女は流れるような動作で片膝をつき、頭を垂れた。
「オラトスのシエラ・ハイト、只今参上いたしました。陛下におかれましては、ご機嫌麗しく──」
「頭を上げてくれ」
シエラは面を上げ、ディレルの顔を正面から望む。ディレルは国王として堂々とした口振りをしながらも、探り探りやっているのが見て取れる。
「シエラ・ハイト殿、よくぞ参った。私は、憂いている。ファレーン王国の脅威に対し、臣下たちは守りばかりを口にする。だが、守るだけではじきに立ち行かなくなる。そうは思わないか?」
周囲の臣下たちは、「また始まった」と言わんばかりに肩をすくめ、目配せを交わす。彼らはシエラに、「それは無理です」とはっきり告げ、王の駄々を止めてくれることを期待しているのだ。
「陛下の国を想う御心、痛いほどに伝わってまいります。現場におきましても、ファレーン王国の科学兵器の威力は凄まじく、従来の戦術だけでは対抗しきれぬ現実がございます」
側近たちが「そうだ、その調子だ」と無言で頷く気配がする。ディレルはその空気を感じ取り、あからさまに顔を曇らせた。
「やはり、あなたのように優秀な人物でも無理だと言うのか」
「いえ、無理とは申しません」
シエラは臣下や側近に視線を流し、再びディレルに視線を戻す。シエラは少しだけ声を潜め、堂々と告げる。
「ですが、これより先の話は戦場の凄惨な現実と、我が国の命運を左右する極めて繊細な戦術に関わることになります。多くの耳に入れるには、少々……刺激が強すぎるかと存じます」
「刺激が強い……?」
「はい。誠に恐れ多い願いではございますが、人払いを願い、陛下と二人きりでお話をさせていただけないでしょうか。陛下にだけはお伝えしなければならない真実がございます」
その提案に、臣下の1人が進み出ようとした。「ハイト殿であっても、陛下と二人になど……」と口を挟もうとする。
しかし、シエラは振り返らず、その背中は毅然とした態度を崩さない。それは、「王のプライドを傷つけずに厳しい現実を突きつけるために、二人きりになりたい」という配慮に見える。
「……良かろう。全員下がってくれ。ハイト殿と協議をしたい」
ディレルの隣に立っていた側近の女性はディレルに顔を近づけ、耳打ちをする。
「本当に1人で大丈夫? 私だけでも……」
「大丈夫だよ、姉上。1人でできる」
臣下たちは一瞬顔を見合わせたが、シエラへの信頼と「厄介事を押し付けられる」という安堵から、恭しく礼をして退室していった。
重厚な扉が閉じられ、広い謁見の間には玉座の上の王と、跪く英雄の二人だけが残された。
静寂が満ちる。
ディレルは小さく息を吐き、肩の力を抜くと、不安そうにシエラを見下ろした。
「……それで? 2人きりになったのだ。言いたいことがあるのだろう。どうせあなたも、皆のように説教するつもりか? 現実を見ろと」
ディレルの声には反発と呆れの響きがある。
シエラはゆっくりと立ち上がり、階段を一段、二段と登る。本来ならば許されない距離だ。彼女は先ほどまでの忠実な武人の表情を捨て、慈愛に満ちた母のような、微笑みを浮かべた。
「いえ、ディレル様。説教などとんでもない」
「え……?」
「私は、感動しておりました。この他者に頼り切るしかない腐った宮殿の中で、ただ1人……陛下だけが正解を見抜いておられることに」
シエラはディレルの目の前に跪き直し、頭を下げた。
「ファレーンの兵器を模倣すること。シア様の力を用いること。大臣たちは夢物語と笑いますが、それは彼らが臆病で、変化を恐れているからに過ぎません。それは国を救う手段ではありません。陛下のお考えこそが、唯一、この国を救うための正しい道なのです」
ディレルの瞳孔は揺らぎ、シエラを見つめ直す。
「私が正しいと?」
「はい。先王陛下は偉大でしたが、優しすぎました。守るだけでは何も変わりません。何も守れません。陛下が仰る通り、今この国に必要なのは、敵を打ち砕く力です。陛下には、その力を求める資格と、それを手にする才能がおありです」
シエラの甘く、確信に満ちた声が、ディレルの飢えた承認欲求を満たしていく。
「私はディレル様を歴代最高の王にすることができます。私にディレル様の治世を見せてください」
ディレルの目には涙が滲む。
「初めてだ……。私の弱さを責めるのではなく、私の……こんな突飛な考えを肯定してくれる人は……。もっと……話していたい」
「はい、いくらでもお話ししましょう。ですが陛下、そのために1つだけ、やっていただきたいことがございます」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
「ディレル様の考えを通すためにするべきことは、正当性を主張することではありません。……たとえ本心でなくとも、多少は周りの意見に従うふりをして、賢王として信頼を得ることです」
シエラは口元に人差し指を当て、共犯者の笑みを浮かべた。ディレルも、人差し指を口に当てて笑顔で応える。
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