第26話. 私の力はあなたの力
初秋の柔らかな日差しが王家の紋章を掲げた馬車の窓から差し込んでいる。車輪が時々石に当たる不規則な音が、一行の緊張感をわずかに和らげていた。リクシア王国国王ジリアスは、フォアボーテシアであるオルツとファナティア、そして腹心の側近を伴い、聖地セレニオ村へと向かっていた。
新たなフォアボーテシアを迎えるため、シア様より桔梗の槍を賜る儀式が執り行われることとなった。一行はまずオルツの瞬間移動でセレニオ村に最も近い町へと跳び、そこからは馬車に乗り換えて聖地を目指した。村へと続く道の途中には、人工的に造られた深く広い堀が存在し、これが聖域たるセレニオ村と外界とを隔てる最後の境界となっていた。
車窓から流れる穏やかな風景を眺めながら、ジリアスは隣に座るファナティアに静かに問いかけた。
「ファナティア、今日はなぜ付いてきたんだ? オルツがいれば十分であったはずなのに」
ファナティアは窓の外、遠くに見えるセレニオ村の方角へ視線を向けたまま、凛とした声で答える。
「シア様にお礼を申し上げたく。先日の悪神封印の際のお力添えは勿論のこと、私が幼き頃に賜りました御恩にも、未だ直接お礼を言えておりませんでしたので」
その言葉には、長年秘めてきた深い敬愛の念が滲んでいた。
やがて馬車はセレニオ村の入り口に到着した。一行が馬車を降りると、そこには既にシアが静かに待ち構えていた。陽光を浴びて輝く白い髪、全てを見通すかのような碧い瞳。その左腕には、淡い紫色の輝きを放つ桔梗の槍が抱えられていた。腰に下げられたソルデフィオは、今はその力を内に秘め、静かに収まっている。
ジリアスは深々と頭を下げる。
「シア様。お出迎えいただき、ありがとうございます」
「いいよ。フォアボーテシアが増えるのでしょう? それなら私が感謝するのは当然だよ」
シアの穏やかな声に、ジリアスは顔を上げる。
「ありがとうございます、シア様。不躾ながら、桔梗の槍を賜りたく存じます」
「この槍でフォアボーテシアの士気が上がるのなら、安いものだよ」
シアは槍を右手に持ち替え、真っ直ぐにジリアスへと差し出した。ジリアスは恭しく片膝をつき、両手でその槍を賜る。側近がすぐさま進み出て槍を受け取り、丁重に革製のカバーに納めた。
ジリアスは立ち上がり、安堵の息をつく。
「シア様、重ねて御礼申し上げます。フォアボーテシアが3人体制となることで、シア様の御手を煩わせることも減らすことができるはずです。近頃は辺境の自警団の組織力も高まってきており、国内は比較的平穏を取り戻しつつあるかと存じます」
「私も嬉しいよ。レクロマが遺したリクシア王国を守り続けることができて。……それで、あなたはまだ生きていられそう?」
シアの唐突な問いに、ジリアスは苦笑を浮かべた。
「私もそろそろ六十路が見えてまいりましたので、あと数年もすれば長男に王位を譲ることになるやもしれません。まだ17と若く、姉たちに比べると頼りない面もございますが、王族としての誇りは人一倍強い子です。きっと、うまくやってくれると信じております。シア様には今後もご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、どうか、変わらぬお力添えを賜りたく存じます」
「分かってる。そういう約束だからね」
シアは頷くと、控えていたフォアボーテシアの二人へと歩み寄った。
「数年前の、この子との戦闘での傷はもう治ってる? あの時はごめんなさい」
シアは腰のソルデフィオを軽く撫でながら、ファナティアとオルツを労った。ファナティアは慌てて首を横に振る。
「滅相もございません。既に完治しております。シア様に謝罪いただくことなど何も……。謝罪と感謝を申し上げねばならぬのは、我々の方です。我々だけで対処すべきことであったにも関わらず、シア様のお力をお借りしてしまい…誠に申し訳ございませんでした」
ファナティアは深く片膝をつき、頭を垂れた。そして、意を決したように顔を上げる。
「それに、19年前のことにつきましても、改めて御礼を申し上げなければなりません」
「19年前?」
シアは小首を傾げる。
「はい。19年前にファレーン王国との国境近く、マルティバの街をシア様が救ってくださったこと、覚えていらっしゃいますか?」
「覚えてるよ。リクシア王国の中までファレーン王国の兵士が侵入してきていたからね」
ファナティアの瞳に、幼き当時の光景が鮮やかに蘇る。
「あの時の、自然の摂理を超えた青白い閃光……その光の中に浮かんで静かに佇むシア様のお姿……。私は、あの御姿に、あの圧倒的な御力に魂を奪われ、シア様に焦がれました。私がフォアボーテシアを目指したのは、ただ、シア様のようになりたい、その一心からでございました……」
ファナティアは憧憬の念に満ちた瞳でシアを見つめる。
「しかし……今の私は、未だシア様のお足元にも及んでおりません。己の力だけで戦うことすらできず……ただシア様に祈ることしかできません」
その声は次第に力を失い、最後はか細く消え入るようだった。 ジリアスはそんなファナティアの後ろに静かに近づき、諭すように声をかけた。
「ファナティア。私は君が他者に頼るだけの者としてフォアボーテシアに選んだわけではない」
「陛下。ありがたきお言葉、痛み入ります。しかし、技量はあったとしても、この力がシア様からお借りしたものだと思わなければ、私は自分自身を保つことができません。シア様の御力だと信じているからこそ、己の限界を超えた力を引き出すことができるのです。そして、その力をリクシア王国のために、ひいてはシア様のために振るうことができるのなら、それこそが私の本望なのです」
その切実な言葉を聞き、シアは足元の桔梗の茎を爪で静かに切り取った。1つのかたい蕾と、2つの開きかけた花がついたその一枝を、ファナティアへと差し出す。
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。これからも、リクシア王国のために戦ってくれると、私も嬉しいな」
ファナティアは、まるで至上の宝物を賜るかのように、目を輝かせながら震える両手でそれを受け取った。そして、大切そうに指でつまみ、くるくると静かに回してみせた。桔梗の花が、彼女の決意を祝福するかのように淡く輝いていた。
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